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エッセイ|産みの苦しみ~小説書きの独り言~|

小説を書くときの、産みの苦しみが好きです。
頭の中にある、ふよふよと浮いている概念を掴み、つなげ、文字にし、言葉を紡ぐ過程が好きなのです。

好きですと書きましたが、実際に産まれるまでが大変です。
「あー、ここ(喉元)まで出かかってるのに」
と言って、新しく紅茶を淹れなおす。
「うーん、頭の中にはあるんだけどなあ」 
と言って頭をぐしゃぐしゃ。
「あー? もう今日は日が悪いのかなあ?」
と言って、ソファの背にもたれかかる。

気づくと指がキーボードの上をさまよいながら数時間経っていたりして。
安産の時もあれば、とんでもない難産の時もあります。
BGMをかけていることも忘れ、数時間が数十分しか経っていないように感じる時が典型的な安産パターン。対して、BGMを次々と変えても、まったく筆が進まないのが難産パターン。

儲からないことにこんなに時間資源を割くことが、時折とても怖くなります。

それでも、書きたいのです。
根拠はありません。ただ、書きたい。

上手いか、認められるか、売れるか。

当然、上手い方がいいし、認められて売れれば夢のようなのですが。
もし、それが叶わなくても、書きたいのです。

文章を書けなくなるまで、書き続けたい。
たとえ私の書いた文書を読む人がいなくても、私は暗闇に文章を放ち続けたい。

尊敬する瀬戸内寂聴先生は、命ある限り執筆をされていらっしゃいました。

『体力年齢=リミット』
アスリートであればこの式が成り立つのでしょうが、文学は違う。
言葉を読めて、書ければ続けられるのです。
挑戦したいと思えたのがこの分野で本当に良かった。

周りの人がどんなに意地悪で、どんなに不幸なことに襲われても、私自身が擦れる必要なんてないと、昇華させて文章にしようと思える。文章書きは心の支えなのです。

今日も紅茶とルイボス茶をお供に、髪はぼさぼさで、頬杖をつきながら、難産と向き合っています。

無事に産まれてくれよ~!


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