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招かれざる恋人たちの夏祭り|夏の香りに思いを馳せて|

朝日がさざ波をきらきらと輝かせた。
この時期特有の甘い潮の香りが、夏の訪れを告げた。

ばあちゃんとの朝の日課は、舞の稽古だ。

「イセ。よく聞くんだ。今からばあちゃんがお前に言うことは、決してほかの人には言っちゃあならないよ」

イセは、十七歳になったばかりだ。

「お前は、神様に選ばれたんだ、イセ」

「ほんとの昔、大昔にはな、神様に選ばれた娘は、村人を災害から守るために、神様に捧げられたお供えものだったのさ」

「あるとき、村の勇敢な若者が、命がけで神様に直訴した。もう村の若い娘を生贄に出すわけにはいかないとな」

「若者の勇気を認めた神様は、生贄の代わりに、毎年の夏祭りで、娘に神楽を舞わせろとお命じになった」

「その昔から毎年、この村では神様に選ばれた娘に神楽を舞わせるようになったのさ」

「その娘が、お前なんだよ、イセ」

「ばあちゃん、それ、本当の話……?」

ばあちゃんは、何度も深くうなずいた。

「お前にだけ教えてやる。ばあちゃんも昔、神様に選ばれて舞を舞ったのさ」

「これだけは覚えておくんだ。祭りには、『招かれざる者』が来る。お前にはもう、見えるはずだよ、イセ。『招かれざる者』には、絶対についていっちゃあいけないよ」

こんな話をするなんて、ばあちゃんもいよいよ、年を取って少しぼけてきちゃったのかな。舞の稽古が終わると、イセはそう思って、いつもの通り自転車に乗り、村の高校へ向かった。

年に一度の夏祭りの日。高校も、祭りの準備があるからと、今日だけ授業は午前中で終わる。

玄関で靴を履こうとしたその時。

「いーちゃん、隙ありっ!」

ぱこんっと、ノートで頭を叩かれた。草介だ。

「痛った……なにすんの!」

「年に一度の神楽、大役おめでとうってさ、挨拶。なーんだ、緊張でガチガチだと思ったら、案外ぼーっとしてんなあ、いーちゃん」

同い年の草介とは、母親同士の仲が良く、赤ちゃんの頃からの付き合いだ。

「緊張? はは。草介、私がいつから神楽舞ってると思ってんの? 三歳からだよ、三歳!」

そう言って今度は草介の頭をぱこんっと叩く。

「痛って……!」

「お返し! じゃ、祭りで」

ばあちゃんに手伝ってもらい、白と朱の巫女装束に着替え、白粉を塗り、紅を引いた。黒髪を染めずに腰まで伸ばしているのは、この祭りのためだ。

平安の昔の少女も、この格好をしていたのだろう。代々受け継がれてきた黄金色の冠をつけ、しゃらんと鳴る鈴を手に持てば、舞の装束の準備ができた。

この神社は海を臨む高台の上に建てられている。
日はすでに落ちていて、昼間の熱を、闇とともに夜の海風が奪っていく。
あちらこちらで、和紙で作られた明かりが灯され、ぼおっと橙色に輝きだした。派手な浴衣を身にまとった女の子たちの声高な歓声に交じって、笛や太鼓の祭り囃子が聞こえ始める。

海を見下ろすと、いくつもの小舟がぼおっと灯る明かりを載せてたゆたっている。イセは目を凝らした。毎年祭りのたびに見ていた光景と、明らかに違うものが「見えて」いた。小舟に乗っていたのは、明かりをかざした「人ではない何か」だった。

頭は魚で、体は小さな子供のようなもの、毛むくじゃらで角が生えたもの、五本の足を持ち、蜘蛛のように這いつくばるもの……。それらは、ばあちゃんが言っていた「招かれざるもの」たちであった。

異形のものたちに目を奪われていると、神社の宮司から声がかかった。
「出番だ! イセ」

動揺を隠せないまま、舞台に上がった。
勇壮な太鼓、海に溶けていくような龍笛の細い音色。
笙や篳篥の雅楽も静かに加わった。

この日、イセは初めて神楽のトリを務める。

天女が舞い降り、鈴の音を響かせて、天と地を清めていくという物語だ。
動揺を隠し、できるだけ表情を変えぬよう、細心の注意を払い、首を傾げ、舞う。かがり火がイセの顔を幽玄に照らし出す。
舞を舞っているイセは、十七歳よりも年上にも、幼くも見えた。
その佇まいの美しさに、村人たちが酔いしれていく。

ふと、客席の「その人」と目が合った。
「その人」はずぶぬれで、ぼうぼうに伸びた髪が顔にかかり、表情は伺えない。ずいぶんぼろぼろの着物を着て、泥だらけの足には草履を履いている。

次の瞬間、強烈な懐かしさが胸にあふれた。
自分の中に、自分ではない誰かがいる。
その誰かが、「その人」を激しく欲していた。

「その人」はイセから目をそらさなかった。
ただ、まっすぐにこちらを見つめていた。

「会いに来たんだ、伊勢」

イセの頭の中に声が響く。
突如、舞台の明かりが消えた。

「その人」はいつの間にか舞台の上にいた。

「伊勢。とても会いたかった。今度はずいぶんと時間がかかってしまったね」

イセの中のイセではない誰かが喋りだす。

「今回は六十年ぶりですもの。なかなか依り代が見つからなくて。でも、またこうして巡り会えましたわ。ずっと、お会いしとうございました」

「その人」はイセへと手を伸ばした。

「今度こそ、一緒に来てくれるね?」

「ええ。もちろんですわ」

「伊勢」がイセの口を使って話し、イセの目を使って涙を流した。歓喜の涙だった。

ばあちゃんが言っていたことが脳裏をよぎる。
「『招かれざる者』には、絶対についていっちゃあいけないよ」

このまま連れていかれたら、きっと二度とこの世には戻ってこられないだろう。

どうすれば、どうすれば。

海に沈められていくように、意識がなくなっていく。

「イセ!」

「つかまれ、イセ!」
沈みゆくイセの手首を、大きくて温かい手がつかんだ。

強い力で引き上げられていく。

ざぶんっと、海面に出た。呼吸ができる。

「いーちゃん! しっかりしろ!」

舞台の上で目を覚ますと、明かりがついていた。

「いーちゃん、よかった」

草介が、泣いていた。

後から聞いた話によると、イセは舞を舞っていた時突然失神し、舞台で倒れたらしい。

うわごとのように、誰かの名前を呼んでいたという。

草介が必死でイセの手をつかみ、イセを呼んだ。
その呼びかけに応えるように、イセはようやく「帰ってきた」。

後になってばあちゃんが教えてくれた。
この海で、何百年も前、大きな合戦があったこと。
その時に失われた命を、この神社は弔っていること。
そして、六十年前、ばあちゃんにも同じことが起こったこと。

あの時、草介が呼んでくれなかったら、私はどこに行っていたのだろう。

舞台が終わり、大人たちが片付けに奔走する中、草介を呼んだ。

「あのさ、草介……」

「ん?」

「守ってくれて、ありが……」

ぶわあっと、海風が声をかき消した。

「え? 何て?」

「……もう、いい」

俯いてどぎまぎとした。

もう一度、言ってみよう。

見上げると、草介の澄んだ褐色の瞳がイセを見つめていた。

いつの間に、こんなに背が高くなっちゃったんだろう。

「大丈夫。いーちゃんは俺が守るから」

にかっと笑った草介は、「伊勢」にとっての「その人」なのだろうか。
愛しい「その人」と生き別れた「伊勢」の孤独が、癒される日は来るのだろうか。

イセは、真っ暗な海に向かって、恋人たちの鎮魂を静かに祈った。

<終>

#夏の香りに思いを馳せて

***
素敵な企画に心を惹かれ、気づくとキーボードを叩いていました。
「夏の香り」が大好きです。
とても楽しんで書くことができました。
自由な創作の場所を提供してくださり、本当にありがとうございました。

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