見出し画像

とある寂しい家の話

 小学生というのは、突拍子もないことを思いつき、そしてそれを臆さずに実行するのに長けている生物だと思う。それは裏を返せば、何か行動を起こしたことによりどうなってしまうのかという想像力が欠如していることを意味するのだが…。
 私が小学生の頃、通学路に一軒の古い空き家があった。昔ながらのしっかりとした門や塀もある立派な造りだったが、もう長い間使われていないようで、門は開きっぱなし、塀はボロボロでところどころ崩れかかっていた。その塀の内側からも丈の長い草が姿を現しており、家の中の様子が容易に想像できた。誰も住んでいないことは明白だった。
 私の通っていた小学校は小高い山の上に位置し、車が一台通れるくらいの道をずっと登っていくのだがその空き家は山の中腹あたりにあった。
私が通学路に使う比較的なだらかな道と、もう一方別の少し勾配が急な道が合流する地点がある。この家はそのY字路の合流地点にあった。
 小学校に入ってすぐ、当時の私はその家が何か神秘的なものに見え、どうしても入りたかった。
 あれは6月くらいだったように思う。私は学校から帰るごとにその家を観察するところから始めた。
 1日目、入口を観察した。通学路の道では家の裏側しか見えなかったが、初めてしっかりと入口を観察できた。門の内には飛び石があり、その先に年季の入った引き戸があった。夏ということもあり階段の石と石の間から雑草が生え、壁には蔦が張り巡らされていた。
 2日目は庭を観察した。階段を上り切って右手に庭らしきものが見えたが、草がぼうぼうに茂っておりあまり確認することはできなかった。しかし洗濯物を干せるくらいの広さだろう。家の入り口の扉は家全体から見ると比較的新しそうだった。
 3日目、私は遂に家に入ることを決断した。周りに誰もいないことを確認し、門をくぐった。
「すいません」
 家に向かって声をかけたが返事はない。誰もいないようだ。家の扉に手をかける。ガラガラ、と戸が開いた。古びた玄関と、奥に居間があるのが見えた。靴を脱ぐかどうか迷ったが、床もかなり汚れていたのでそのまま入ることにした。居間もかなり汚れていた。小さな机があったがかなりの埃をかぶっていた。周りを見渡しても特に目新しいものや興味を惹かれるようなものはなかった。
 なんだ。分からないものも知ってしまえばそんなものなのか。
 急にこの家への興味が薄れ、同時に悲しくなってしまった。しかし折角だから他の部屋も見てみようと、右手の襖を開けると座敷の部屋に出た。その部屋は古びた小さな箪笥しか置かれていなかった。その奥にはまた襖があり、押し入れかなと思い開けるとまた別の部屋が続いていた。こんなにこの家は広かったかなとさらに襖を開けて奥に進む。また畳の部屋が続いていた。高い位置に小さく窓があるが、磨りガラスで外の様子は見えない。この部屋には何も置かれていなかった。奥にはまた襖があった。
 まさかこの襖の奥にも押し入れではなく部屋が続いていたりするのだろうか…。
 恐る恐る開けるとやはり部屋が見え、畳の古い感じは変わらなかったけれどそこまで傷んでいるようには見えなかったし、前の部屋と比べてそこまで埃をかぶっていたわけでもなかった。今思えば、奥に行けば行くほど部屋は綺麗になっているようだった。足元を見るとこの部屋の畳は比較的綺麗である。
 誰にも使われていなかったから、そこまで傷んでいないのだろうか?そう自分を納得させ、また襖を開ける。また同じような部屋が私の目の前に現れる。
 この部屋はいつまで続くのだろう…?
 私は不意に怖くなって後ろを振り向いた。私が通ってきた部屋が何重にも続き、まるで自分をこのまま飲み込もうとしているかのように見えた。急に私は今まで感じたこともない恐怖を感じ、元来た道を走って引き返した。
どう帰ったのかは覚えていない。とにかく得体の知れない恐怖が私の心を支配していた。帰ってから自分の部屋の布団にくるまり怯えていたのだけは覚えている。
 それから数週間はその道を通学路として使うことはなく、そのまま夏休みへ突入した。あの部屋は何だったのか、何故奥に行けば行くほど綺麗だったのか、どこまであの部屋は続いていたのか、疑問は多くあったが私はもう一度あの家に入る勇気はなかった。

 それから学年が上がり、近所の同級生と友達になってから一緒に帰ることが増えた。
 ある日、彼はその家を見て同級生が言った。
「あれ、うちの家らしいんだよね」
 私は少し動揺しつつ、平静を保とうとしながら質問した。
「そうなの?ここに住んでるの?」
「いや、住んではないんだよ。元々おじいちゃんとおばあちゃんが住んでたけどだいぶ前に死んじゃって、それから父さんが少しの間住んで手入れもしてたらしいんだけど、単身赴任でもう何年も帰ってきていないからもう荒れ放題なんだよね」
「じゃあ昔は綺麗だったんだ?」
「そうだった気がする。僕もそこまで覚えているわけじゃないんだけど。でもあの家、近いうちに取り壊すことになるみたい」
「誰も住んでいないから?」
「それはそうなんだけど、なんかあの家から変な感じがするというか。よく分からないんだけど、なんだか呼んでいるような気がするんだよね」
「呼んでいるって?」
「その家の前を通ると、こう、うまくは言えないけどあの家から入ってきてほしそうな雰囲気を感じるというか」
 私はその話に食いついた。
「それで?入ったりはした?」
「結局入ってないんだけどね。だって草ぼうぼうだし。汚れそうだし入っても面白くはなさそう」
「…まぁ、そうだね」
「それで不思議なのが、母さんと父さんに話したら2人とも同じことを言ってて、なんだかすごく不気味だったから取り壊した方が取良いかも知れないって話になったの」
「…へぇ」
「変な話でしょう。信じてないよね」
「あぁ、いや、信じているよ。これは驚きすぎで逆に驚いてないように見えてるやつ」
 私はなんだかよく分からない言い訳をした。
「じゃあもし誰かがあの家に入ったりしたらどうなるんだろうね?」
「それは不法侵入っていうんじゃないの」
「まぁそうなんだけどさ。その家は喜ぶかな」
「そういうことか。どうだろう。もしかしたら誰も家にいなくてずっと寂しい思いをしているから、きっと喜ぶんじゃないかな」
 私はそこでなんとなく、自分があの家に入った時に感じた違和感の正体が分かった気がした。

 中学校に上がってから通学路も変わり、その家の前を通ることはなくなった。それからまた何年か経ち、高校に上がって久しぶりにその家の前を通ると跡形もなく無くなっていて驚いた。しかしその空き地の面積と、あの時私が入った部屋の数とどうも合わないような気がする。当時私が小学生で体も小さく、部屋の大きさを過大評価していた可能性もあるが、それにしても一部屋二部屋分くらい足りない気がする。もしかして、あの時ずっと進んでいけば家から出れなくなっていたのではないだろうか。そう思って少し背筋が冷たくなった。

 それからまた何年か経った今、あの家に閉じ込められていたらどうなっていただろう、その家と時間を共有しても、ある意味面白かったのではないかと、ふと思い返すことがある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?