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眠った後に行く世界

気が付くと私は、白い部屋にいた。あたりには何もない。

「お久しぶりです。またお会いしましたね」

私の目の先には、スーツを着た羊が立っていた。

「…お会いしたことありましたっけ?」

私が恐る恐る尋ねると、その羊は

「ええ。しかし覚えていないのは仕方のないことですからね」

と言った。

「すいません。そもそもここはどこなんですか?」

と聞くと、

「ここは、夢の中です」

と答えが返ってきた。

「夢の中?」

「はい。現実世界のあなたは今眠っていて、この『部屋』にたどり着いたのです」

「言っていることがよく分かりませんが…」

「それもそうですね。まずは夢の仕組みを説明しなければ」

と言って彼は淡々と説明を始めた。

「人は眠ると夢を見ますね。それは例外なく。夢を見ない日があると思いますが、それはあなたが記憶していないだけで必ず何かしらは見ているのです。浅い眠りの中で夢を見た場合、あなた自身の脳にあるストック、要は記憶によって夢が構築されるのですが、ある程度深く眠っている場合、あなたの…なんと言いましょうか。この世界には対応する言葉がないのですよね。強いて言えば魂、というのが一番近い表現でしょうか。それがあなたの体から抜け出し、とある世界に集まってくるのです。そして、まるで複雑な迷路のように、何億、それ以上のルートのうちの一つを選び、それぞれの部屋へとたどり着くのです」

「…それで、今回たどり着いたのがここだったと?」

「その通りです」

「質問していいですか」

「はい、もちろん」

「あなたの説明だと、もし全く同じ部屋に入った人がいた場合、同じ夢を見ることになりませんか」

「その通りです、が、少し違います」

「違う?」

「この部屋は、実はあまり明確に決まっているものではないんです。あなたは視力は良いですか?」

「良い方ではないです」

「でしたら、この例えがしっくりくると思います。眼鏡やコンタクトレンズをかけていない時、遠くのものはぼんやりとしか見えませんよね。もしくは乱視だったりでダブって見えるとか。そしてそれをある程度想像で補っている部分が少なからずあるでしょう。遠くで猫だと思って近づいたら、ただの布切れだったとか、経験ないですか」

「まぁ、そうですね」

そう言うと彼は満足そうに頷いた。

「そうでしょう。ですから同じ部屋に入っても、大筋は同じような夢だけれども、全く同じ夢を見るということはないんです。同じ部屋で会うことはあります。例えば、自分の小学校時代の夢を見たとしますね。そこには自分のクラスメートがいて。基本的にはそのクラスメートはあなたの想像、あなたの脳からの記憶を頼りに作られるものですが、もしかすると、その中の誰かはあなたの想像で補われたものではなく、たまたま同じ部屋にいたかもしれません。友人が夢の中に出てきて、それから何故か意識するようになってしまった、なんて話は聞くんじゃないでしょうか。それは、同じ部屋にいた可能性が高いです」

最近、高校の時に好きだった人が夢に出てきたのを思い出した。どうして今になって出てくるのだろうと思っていたが、あれは同じ部屋で出会っていたのだろうか。もしくは、無意識的に彼女のことを意識していただけだったのか。

「お互いが強く思っていればいるほど、同じ部屋に入る確率は上がるみたいです。とはいえ、そもそもの確率が非常に低いのでなんとも言えませんが。まぁ自分の夢に相手が出たきたからといって、ご自身の想像かもしれませんし、そもそも相手が覚えているかどうかも分からないので確認のしようはないのですけど」

それもそうだ、と思った。それならこの夢の内容は自分の胸にしまい、さっさと忘れてしまうのが吉だ。今更蒸し返したところで幸せになる未来は見えない。

「折角ですから、面白いものを見せてあげましょう。こちらに来ていただけますか」

彼は白い部屋の左奥に歩いて行き、隅に手をついて覗き込むような格好をした。私もその羊の隣に行き、彼の目線と同じ方向を覗き込んだ。

「こちらです。見えますか」

彼はそう言ったが、ただ白い壁があるだけだ。何も見えない。

「段々、透けてきませんか」

羊にそう言われると、段々と見ている周りの部分が透け始めた。その部分だけガラスにでもなったかのようだった。外は深海のように暗く、底に何があるのか分からない。しかし細く、白く光る線が張り巡らされその先には例外なく部屋が存在していた。部屋の形は丸であったり四角であったり様々だ。色は基本的には白色だが、色がついている部屋もある。なんとなく、構造的に巨大な蟻の巣を彷彿とさせた。

「あの部屋は見えますか。あの赤い」

羊の指差した先には確かに所々赤が飛び散っているような部屋があった。

「あれは血です。誰かしらが斬られるか何かで死ぬ夢を見る部屋でしょうね。あ、あっちの方が強烈そうですね」

羊は徐に上を見上げた。

私も上を見上げると、いつの間にか天井もガラス張りのようになっていて、上も見えるようになっていた。羊の指差す方を見ると、先ほどの飛び散っているレベルでなく、全て赤で染まっている部屋があった。

「あれは怖そうですね。きっと起きても記憶に残るんじゃないでしょうか」

ちょうど、白く光を放つ何かが、白い道を辿ってあの赤い部屋に入っていくのが見えた。それを見ながら羊があぁ、と羊は呟いた。

「ちょうど誰かがあの部屋に入りましたね。かわいそうに」

「そんな夢を避ける方法はあるんですか」

「見る時はどうしても見てしまうんですけどね。しかし、やはり眠る直前の精神状態によって入る部屋というのもそれなりに固定されますから。少なくとも私が言えるのは、質の良い睡眠をとってくださいということですね」

そう言って彼はまた部屋の中央に歩き始めた。

「さぁ、コーヒーでもいかがですか」

私が彼の方を向くと、小さな白い丸机と椅子がいつの間にか出現していて、その机の上にはホットコーヒーが置かれていた。

「あ、ありがとうございます」

そう言って私は椅子に座りコーヒーを手に取ったが、ふと、このコーヒーを飲んで良いものだろうかと思った。以前どこかで、この世界のものではないものを口にしてしまえば、その世界から戻ってこれなくなると読んだことがあったからだ。用意をしてもらってこんなことを聞くのは申し訳ないんですけど、と私は言った。

「このコーヒーは飲んで大丈夫なんでしょうか。その、例えばこのコーヒーを飲むことによってこの世界から出られなくなるなんてことは」

彼はあぁ、と何か納得したように頷いた。

「それは全く問題ありません。あくまでここはあなたの『魂』が来る場であって実際にはコーヒーは出ていませんから」

「じゃあ、このコーヒーは?」

「あくまであなたの想像のフィルターにかかったものです。とりあえず、このコーヒーを飲んでみてください。とてもおいしいですよ」

彼の言っている意味がよく分からなかったが、私は椅子に座り、コーヒーを飲んでみた。熱すぎずぬるすぎず、ホットコーヒーとしてはベストな、ちょうど火傷せずに飲める温度だった。口に含んだ瞬間にコーヒーの風味と苦味が一気に広がり、とても良いコーヒーだと思った。

「美味しいです。これはどこのコーヒーなんですか?」

「どこのでもありません。強いて言うならあなたの意識の中です」

「…というと?」

「正確に言うと、私はコーヒーを出していないのです」

彼の言うことがまだいまいちピンとこない。

「でも、これはコーヒーですよね」

「私が出したものをコーヒーだと認識したのはあなたです。つまり、私たちには、あなたたちにどんな夢を見させるかある程度誘導する力を持っていますが、本当にそう思うかはあなた方次第、ということですね。ですから先ほどの質問に対して回答するなら、私はそもそも食事を提供することができないので大丈夫、ということになります。さらに付け加えると、あなたは私のことを羊だと見えていると思いますが、正確に言えばそれも違います。あくまで私はあなたの想像を介した姿でしか見えないので。ここにあるものは、あなたの世界に存在するあらゆるものである一方、あなたの世界に存在しないものでもある、とも言えるのです」

「あの、質問なんですけど」

「はい、なんでしょう?」

「あなたは何者なんですか?どうしてここにいるのですか?」

私がそう聞くと、彼は少し困った顔をしたように見えた。羊なので、本当にその表情をしたのかは分からなかったが。

「逆にお聞きしますが、あなたは何者で、どうしてここにいるのかと聞かれるとどう答えますか?その質問は非常に難しいです」

それもそうだ、と思った。自分が何者かなんて分からないものだ。

「しかし、あなたがご質問されるのも分かります。この世界がまるで分からないですものね。ですので、分かる範囲でお話しましょう」

彼はまた淡々と話し始めた。

「物心ついた時から、私はここにいました。そして、あなたのようにこの部屋に来てお話をしたりするのです。人によっては私が怖い化け物にでも見えるのか、怯えて話にならない時もありますが。そう考えると、私はそもそも生きているのか、という話にもなります。私はあなた方によって生み出されたものとも言えるわけです。私があなたとお話をし、感情を持っているけれども、それは感情と言って良いものなのでしょうか。とにかく私は、皆さんがあるからこそ生きていられる、存在できる、不安定な存在なのです。今話せるのはそのくらいでしょうか」

ところで、と彼は続けた。

「夢の面白いところは、自分の意識した事柄がすぐに反映されることです」

たとえば、と彼が言った。

「何か食べたいものありませんか」

「そうですね、今はコーヒーに合うお菓子が欲しいです」

「では、ケーキなんかどうでしょう」

彼の右手には、いつの間にか苺のショートケーキがあった。どうぞ、と言って彼はコトリ、とお皿を私のコーヒーの横に置いた。一口食べると、軽やかで上品な甘さが口の中に広がった。私が好きな味だ。自分が今まで食べたケーキの中で一番美味しいかもしれない。彼はニコリと微笑み、これでなんとなくお分かりいただけたのではないでしょうか、と言った。

「ですから、今はあなたの思ったことが全て起こるんですよ」

それなら、何か不吉なことを考えても怒るということではないのか、と思っているとガサガサと音がし、部屋の四隅から、急激に草が生え始めた。この草が、段々とこの部屋を覆っていく。天井を完全に覆い尽くし、今度は木々が天井を彩る。まるで原生林にでも来たみたいだ。気付けば足元にも草が生えそしてそれがまたすごい速度で私の胸下あたりまでやってきた。そしてまだ伸びている。これは自分が想像したからだろうか。

「あぁ、そろそろですね」

彼は自分の顔あたりまで成長した草木に慌てる様子もなく、淡々と、まるでそれが起こるのを知っていたかのように言った。

「そろそろって、何が?」

焦りを覚えながら尋ねる私に、またも彼は淡々と

「あなたが帰る時間です」

とだけ言った。

「今日は楽しかったですよ。またお会いできたら良いですね。もっとも、あなたは今日のことを忘れるかもしれませんが」

草木はさらに成長し、この部屋を覆い尽くすほどになった。もう彼の姿は見えない。草木はまだ成長をやめず、この部屋の密度がより一層高くなっていく。

後退りしていくと、急に背中から吸い込まれるような、途轍もない吸引力の掃除機を背中に当てられたかのような感覚があり、今いた部屋から離れ、その部屋の光が急に遠くなっていった。

しばらくすると、周りに点在していた部屋の光もなくなり、何も見えない、文字通りの暗闇が広がっていった。目を開いていても瞑っていても何も変わらない暗闇。その暗闇を見つめながらぼんやりと、あぁ、「魂」が自分の体に戻ってきているのだなと思っていた。

どのくらい暗闇を進んでいたのかわからない、しばらくして光が見え、目を開けるとそこは朝日の差し込む自分の部屋だった。

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