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虫我「サンタ証明の途中式」前編

「次は、如月四条、如月四条」
 ある冬の一夜。大学生である僕は、その送迎バスの最終便に一人揺られていた。
「……」
 十二月二十四日の夜。生憎僕にとってクリスマスは聖夜ではなく、何気ない日々のその一員にしか過ぎない。
 僕は窓を、その中にうつる世界を見る。夜の暗闇に照らされるキャンドルのような街並み。宝石のような街灯。腕組みして歩く二人組。笑顔の絶えない家族連れ。それは、クリスマスと形容するにはぴったりの風景。
 僕の興味の問題か、不思議なことにその景色は曖昧だった。
「……死んじまえよ、全員」
 そんな世界をみながら、ふいに、そんな言葉が口から零れた。バスの中は僕以外、運転手を除き誰もいない。そもそも、自分にさえもはっきり聞こえないぐらいの声量だったので、誰かの耳に届く心配は皆無だった。
 けして本心ではないけども、こうも見せつけるように光り輝くものがあったら、ほんの少しは毒づきたくもなる。半ば義務のような台詞。リア充、という枕詞の次に、爆発、とくるみたいな、意味のない形式。
しかし、でも。
「……死んじまえは、流石に言い過ぎか」
 今更ながらに、自分がこんな台詞を吐いたことに違和感を持つ。僕にとってクリスマスは特別じゃない、普段と変わらない毎日と一緒。だから、好きになる理由がないように、別に嫌う理由もあるはずない。
 そのはず。
「…………」
 どしてか、胸の中のつっかえ棒みたいなものが取れない。何か忘れている。僕はかつて、クリスマスに対して、何か思うことがあったのではないだろうか。
 目を閉じ、記憶を遡る。曖昧な輪郭をなぞるように、ぼやけた記憶を呼び起こす。
 ずっと、ずっと前だ。確か、その日は雪が降っていた。警報が出るくらいの大雪だった。それで、何だっけ。……確か、泣いていた。僕はずっと、泣いていた。降りそそぐ雪の中で。
 切り取ったようなワンシーン。思い出せることはそれだけ。前後の記憶は何も思いだせない。雪のように積もった時間、その下に埋もれた記憶は、溶けることなく氷となっていた。きっともう、そこに春は訪れないだろう。今まで思い出さなかったということは、忘れてもいいような、どうでもいいことだったに違いない。
 きっと、そうだ。昔のことなんて、もう関係ないんだ。

「次は終点、夢、夢」
 いつのまにか寝ていたらしい。繰り返されるアナウンスで目を覚ますが、同時に、そのアナウンスが知らせる内容の、その意味不明さに戸惑う。
「は? なに、これ」
 バスの中は依然と僕一人。眠りに落ちる前と何ら変わらない
たださっきと違っていたことが二点。
 まず一点。次の行先を示す設置されたディスプレイ。そこには、本来の終点の名前ではなく、「夢」と映っていたこと。
 次に二点。窓の外の風景が全くの暗闇だったこと。
 僕は、窓に額をこすりつけるようにして外を見る。が、何も見えない。遠くだけでなく、窓の下の直近でさえも、文字通り何も見えなかった。僕が見ているものは、窓ではなく黒い壁なんじゃないのか、と錯覚せざるを得ない。遠近感を失いそうな黒。それがありえないことであると頭の中で理解しつつも現に今、額に感じている窓のひんやりとした冷たさが、これが現実であることをこれ以上なく訴えていた。
 事態を飲み込めず、もう一度ディスプレイを見る。黒い画面に、ただ一人、幽霊のように「夢」という文字が浮かび上がっている。

 アナウンスが鳴った。
「終点、夢、終点、夢です。みなさま、お降りください。」
 窓の外の景色は変わらず黒だったが、車体の駆動音がなくなったことから、どうやらバスは停車しているらしい。
 立ち上がり、出口に向かう。
 気になることは、……たくさんあるのだが、とりわけ一つ。一体、この運転手は何者なのだろうか。夢という、どうにもおかしい名前を平然と読み上げるこの運転手に、僕は、不信感を抱かずにはいられなかった。
 歩み寄り、バックミラーに運転手の顔が映りそうになった、丁度その時。
 意外なことに、向こうから声がかけられた。
「……随分と、混乱なさっていますね」
 静かな動きで、男は運転席から立ち上がる。そうして僕と向き合う。僕は、その姿かたちを見て、驚かずにはいられなかった。
「……なッ」
 男には顔がなかった。いや、もっと正確に言うならば、頭がなかった。そこにあるものは、黒いもやだった。制服を着て、帽子をかぶった、人型の、黒いもやもや。目も鼻も口も、およそ人間の部位と呼べるパーツは、身体の形を残し何もなかった。
「そう驚くのも無理はないでしょう」
「あ、あの」
 一体何を質問すべきか迷う。そんな僕の様子を見かねてか、運転手が話し始めた。
「ここはあなたの夢の世界です。現実ではありません」
 ほおをつねってみる。
「……痛い、ですけど」
「人間の脳は予想の遥か上をいきます。このように、あなたに痛いと思わせることぐらいわけありません」
「ここは、僕の夢……」
「ええ、そうです。いずれ目覚めるものですから、どうです? 目覚めぬのうちに色々観光なさっては」
 僕はそのまま、丸め込まれるようにして外に出た。

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