四、 客演も!? 演劇局が本格始動

 この記事は、総合表現サークル“P.Name”会誌「P.ink」七夕号に掲載されたものである。本誌は2023年7月7日に発行され、学内で配布された。


 この部分の記事、演劇局長自身に書かせればよかった……。後悔している。いけない。困難は分割しなければならない。いや元々そういう意味ではないけど。
 当会の演劇局長といえば、誰を隠そうササキソラニンである。佐々木Ĉieloの芸名で当会の制作に多大なるはたらきをし(特に #ハロウィンプロジェクト におけるボイスドラマ「トリップ・オア・トリート」の「怪物」役は圧巻であるので確認されたい)、演劇局長として先の正月に配布された「P.ink創刊号」のあとがきに、演劇にかける熱い想いと考えを寄せてくれた人物である。
 一部を引用する。

 ——さて、紀政諮から「演劇局を今後どうしていきたいか」を書けと注文をつけられています。是を語るにあたり、少し、長く語らせていただく必要があります。そもそも演劇、ひいては芝居とは、古きをただせば神楽。神に奉納するための舞や、その一部のことでありました。それより能や、より面白可笑しく人の親しめる狂言となり、そして大衆文化として、歌舞伎という芝居の文化が発達したわけです。この古い神代の舞より、大衆化された所謂旧劇が、西洋文化とその近代演劇との交わりを経て、今日の、新劇に至るわけであります。神楽の話に戻りますと、芝居のその目的の中には、己を神仏と同一化させることがあります。そうして自身をより高位の存在へと高めたうえで、神に、その舞や、芝居を奉納するわけです。これをより世俗的に、親しみやすくしたのが今日のミュージカルを含む演劇でありまして、その習合する対象は同位の人間で、奉納の対象は客たる人間であり、自分自身であるわけです。その表現方法は非常に複雑で、役者当人の芝居のみならず、音響や照明、ひいては脚本づくりといった細やかな要素がその演出に関わります。
 芝居をすることにより、我々は、複数の他人格を自身のうちに取り込むことになります。それは、思考の複層化や、客観的な視角の獲得に繋がるわけです。無論、音響の材料選びに照明の工夫はこの客観性が充分に得られたことの証明になりましょう。自分以外の存在を自己の内に創り、取り込み、新たな自己を演じる。私は芝居のこういうところが好きであり、人生を是に捧げる人の多いことも頷けます。——ササキソラニン

 詳しくは本誌冒頭にあるQRコードから当会公式noteを表示し、そこにある「初春の章」という記事をご覧いただきたい。
 そもそも、総合表現サークル〝P.Name〟とは、私、紀政諮のつくる文芸集団と、彼、佐々木Ĉieloのつくる演劇集団との協力的枠組みを二人で構想したのが発端の団体である。にもかかわらず、去年度の発足期において会内のプレゼンスのほとんどを文芸活動が占めていたのは本当に遺憾なことであった。先の記事にも述べた通り、今年度の活動の念頭には「演劇局の実体化」が強くあった。

  そのような背景を受けたものである。
 去る四月二八日。この日の全体会議は、新歓運動によって増えたメンバーたちを迎えた大所帯のものとなり、重い議題が決にかけられた。そのうちのひとつが、演劇局則新設案である。
 次ページの通りの案が全会一致で可決された。

総合表現サークル“P.Name”規約補則 演劇局則

 本規則は、当会の演劇局を運用するにあたり、当会執行部、特に演劇局長の業務とその保護すべき局員の権利について、総合表現サークル“P.Name”規約を補完するものである。本規則の改廃には総合表現サークル“P.Name”規約の改正と同様の手続きを要し、以下、用語の定義は総合表現サークル“P.Name”規約の前文にのっとる。
 演劇は自己の内にある他者または複数の自己を、用意したままに表層化させる。これに各個人の理想を追求するほどに他者との協働の枠組みは不可欠となる。並びに旧劇を始め型の形成、獲得が肝要となり、以って型にはまらぬ新劇の自由な遊びが生まれる。当会の演劇局は、同局員の自由な活動と堅実な成長とを支援し、本規約前文の精神を実践する。

第一条(名称)
当会の演劇局全体を指し示す名称として、将来的に座名を設定する場合は、全体会議での議案通過および演劇局長の承認を要する。

第二条(局員の権利)
演劇局員は、演劇を中心にした芸能に関わる活動を行う際、その内外を問わず、演劇局チャットにおいてこれを自由に告知・宣伝できる。
 第二項
演劇局員は、演劇を中心にした芸能に関わる活動を行う際、その内外を問わず、演劇局長による公共広場チャットにおける告知・宣伝を執行部に要求できる。
 第三項
演劇局員は、演劇を中心にした芸能に関わる活動を行う際、その内外を問わず、演劇局長および広報担当者による外部への告知・宣伝を執行部に要求できる。
 第四項
当会執行部は、上第三項および第四項を受け取れば、執行部の他の役員にもこれを報告する。
 第五項
上第三項および第四項にある要求にあたっては、二時間以内に会長によって差し止め要請がなければ、可及的速やかに要求に当たる告知・宣伝を実施する。

第三条(局長の主催行事)
演劇局長は、月に一度程度、裁量によって適切な関西小劇団の舞台公演を選定し、演劇局チャットにおいて参加者を募って集団観劇を実施する。

  前文は、初春の章に書かれたササキソラニンの思想と彼自身の起案をもとにして作成された。
〝P.Name〟という極端なまでに自由を強調する場において、演劇という営みのある種の不自由さとどのように付き合うべきかを提示するものとして将来にわたって扱われるべきものだと考えている。次代の当会の担い手の参考になればいいと思う。 

 さて。当会の演劇局は決して「体力」のある枠組みではない。舞台作りをやれるほどの境遇には今のところ無く、もっぱら「演技的表現」を行うことで局員の個としての能力を向上させるのが、今の演劇局の存在意義と言える。
 当然、所属するメンバーはその役者個人として、外部のすばらしい劇団で舞台に立つことがある。そこでこの規則では、そういった場合に情報共有および宣伝をする形式を規定し、促進している。

 現に、メンバーのうち二名が既に他の劇団の舞台に立っており、当会のSNSからこれに関する告知を行っている。両演目ともそもそもすばらしい舞台であった。併せてチェックされたい。
 なぜ素晴らしい舞台であったと断言できるのか。
 それは、まず片方に関してはその演者というのが私自身であり、部内者の目線から評価できるためである。
 そしてもう片方、笠崎州の出演した舞台に関しては、演劇局として集団観劇を敢行した為だ。

 局則第三条こそがこの規則制定の肝と言える。
 かつて、このサークルを設立するために役者としてのノウハウを積もうとアンサンブルとして先輩方の座組みに参加した際、その座組みの代表に、サークルの構想についてたまに話していた。その際に言われたこととして、「舞台作りをするならば舞台をインプットしろ」というものがある。
 もはや舞台作りという当初の目標は遥か未来の夢となった。とはいえ、個々のメンバーは創造性に富んだ素晴らしい「役者」達である。役者だけではない。文芸をするにしても、舞台演劇のインプットを糧にできる者はやはり多い。加えて、文芸局の会誌作成のような「局の統一的運動」のない演劇局において、局としてのまとまりを実体化するものとしても集団観劇は位置付けられている。
 要は、サークルのメンバー数名で、笠崎くんの舞台を観に行った。

 今後、当会の演劇局はどうなっていくのか。代表である私にも想像があまりできない。全ては局長であるササキソラニンの意向にかかっていると言っていい。

——まとめると「がんばるびぃ」ってことです。——ササキソラニン

文責:紀政諮(代表 / 文芸局長)

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