これは「タイトルなんてクソくらえ」という記事のタイトルです。
このnoteのタイトルを見て、どう感じましたか。
もしタイトルがなければ皆さんがこの文章を読んでいることはないので、皆さんとの出会いを提供してくれたタイトルに対して、悪態をつくよりぼくはむしろ感謝すべきだ、といったご意見が大半でしょう。
しかし、本当にそうでしょうか。結論を急ぐ前に、一度「タイトル・見出し」というもののあり方について深く考えるのに付き合っていただいたいのです。少しだけお時間をください!
タイトルの持つ意味
印刷技術の発明から今に至るまでずっと、タイトルは文章の上に張り付きつづけてきました。
それは至極まっとうな理由に基づくものです。
第一に、タイトルや見出しがあることで、これから話されることに対して心の準備ができます。
タイトルを読めば、その文章で何が話されるであろうかだいたい想像がつきます。
上の画像であれば「この文章は猫が出てくる小説なんだな、猫は好きなので読んでみよう」と思ってもらえるし、この記事であれば「今はタイトルを褒めているが、最終的には現状のタイトルの問題点を指摘するのであろう」と予測することができ、ぼくが後でタイトルの問題点を指摘し始めたときにも驚かずにすみます。
この「読む前にざっくりわかる」という利点を活かすために、本やWebサイトではタイトルを一番上においています。
例えば一番最後にタイトルがあったところで、今まで読んだ情報が繰り返されるだけなので大していいことはありません。英語では見出しのことをHeadingと言いますが、その名の通り文章の頭になければ意味がないものなのですね。
2番目に、あとから目的の内容を探すときに見つけやすいという利点があります。
タイトルや見出しがあるおかげで、「このへんにあったはずだ」と当たりをつけるのが簡単になります。
本においては、本文の上や下にしばしば現在の段落の名前が書いてあり、読者が迷子にならないようにしてあります(最近ではWebサイトでもそういう構造のものがありますよね)。
上の画像であれば、小説の内容を忘れていても「吾輩は猫である」というタイトルを見れば、確か犬についての小説ではなかったはずだと思い出せるわけです。
ここまで、タイトルが素晴らしいものだということがわかりました。こんな素晴らしいものに一体どうして「クソくらえ」なんて暴言を吐けるでしょうか。タイトルバンザーイ!この記事の著者は恥を知れ!
クソタイトルの発生過程
しかし実は、ここまであげてきた利点は、特に明記はしていませんでしたが、すべて読み手にとっての利点です。
ここからは、タイトルの持つ書き手にとっての意味を少し考えていきます。ここでは皆さんが書き手の気持ちになれるよう、小学校の読書感想文を例にとってみましょう。
まず、読書感想文は完成するとこんな見た目になります。
今回は読書感想文を掲載しているサイトから文章をお借りしました。こんなサイトがあるなんて、本当にありがたい限りです。ところで学校はYouTubeとかよりこういうサイトをフィルタリングすべきだと思います。
なんと読みやすい文章なんでしょう。小学生が書いたとはとても思えません。小学生の皆さん、コピペはバレますよ。
ところで、人間の頭というのは実はそんなに論理的にできていないので、読書感想文を書き始める前の頭の中は概して、ぼんやりした書きたいことがたくさん溶け合わさったどろどろのスープみたいな状態になっています。
文章を書くという営みは、これを一筋の線の形にしていくことです。
その線が、どんな軌跡を描いてどこに行き着くかなんて、一度書き出してみないとわからない、というものです。
この状態、皆さんおそらくご経験あると思いますが、強いて再現するならこんな感じです。
あまりにもまだ決定していない部分が多すぎます。夏休みもあと数日だというのに大丈夫でしょうか。
でも、夏休みの読書感想文に限らず、文章というのは書く前はこんな感じになっているものです。別に君がさぼっているなんて言ってるわけじゃないんだ。大人もこうなっちゃうんだ、実はね。
とはいえ夏休みもあと数日しかないし、とりあえず一行目から埋めていくしかないな。一行目は…、えーっと、タイトルを書かなきゃいけないんだな。うーん、タイトルねえ、タイトル…タイトルを考えなきゃ…なんだろう…そういえばあさがおに今日まだ水あげてないな…いやそんなんはあとでよくてタイトル…うーん、とりあえず適当に埋めておいて、あとで時間が余ったら書き直そっと。
これでよし。
…よくないだろ!!!!!
一体これまでいくつの読書感想文が、このような過程を経て低質なタイトルをつけられる羽目になったのでしょうか。
タイトルを最初に書くということ
このような現象がなぜ発生するかというと、(これはとても重要なのですが)タイトルとは、本文の要約だからです。
そしてタイトルが一番最初にあるということは、本文を書くより前に要約を書かなければならないということを意味します。
文章を書く前の頭の中は先程述べた通りどろどろのスープです。
本文を書くより前にタイトルを書くという行為は、着地するかどうかもわからない文章について、必死で着地点を推測して埋める作業です。
それがうまくできないとき、上のような情報量ゼロのタイトルが生まれてしまいます。
「○○を読んで」を低質なタイトルだ、と感じるのは、本文の適切な要約になっていないからです。こうなってしまうのは小学生の創造性がないからではなく、書くことがまとまっていないのにタイトルをつけさせるような構造になっているからなのです。
タイトルを最初に書く、すなわち「書いてもない文章を要約する」という行為は、書き手にとっては実は大きな精神的負担となり得ます。
クソくらえという気持ちになっても仕方のないことだと思います。
タイトルの持つ意味(書き手にとって)
しかし、タイトルは読み手にとってはいくつかの利点ももっているのでした。ここで一度振り返って比べてみましょう。
読み手の利点1: 初めて見る内容について、心構えができる。
書き手にとって:心構えもなにも、書き手は自分の書きたいものを書いているので、この利点はない。
読み手の利点2: あとから見返したとき、これが目的の文章かどうかすぐに判別できる。
書き手にとって:これは確かに利点といえそう。
これらに加えて、先ほど述べた「書き手にとって、最初にタイトルをつけるという行為は負担であり、低質なタイトルが量産される原因となりうる」というポイントがあります。
これらの3つのポイントをふまえると、次のようなことに気づきます。
それは、「タイトルはあったほうがいいが、書き手にとっては、文章の最初にはないほうがいい」ということです。
原稿用紙より気楽に
今あるノートアプリはものの見事に、全部最初にタイトルを書くしくみになっています。
EvernoteをはじめGoogle Keep、各種Markdownエディタ、このnoteだってそうです。
読み手にとっては、タイトルを最初に書くと先に述べた通りのよいことがあります。読書感想文は先生に読んでもらわないといけないので、最初にタイトルをつけろと言われるのもごもっともです。また「書き手にとって大きな負担」という点も、それを乗り越えられるくらいいい文章を書け!というプレッシャーだと捉えればいい面もあるかもしれません。
しかし、読み手がいる文章しか書いちゃいけないわけじゃないし、構造化されたことしか書いちゃいけないわけでもありません。むしろ、ぼくたちの人生で構造化されている部分なんて、ごく一部のはずです。EvernoteやGoogle Keepなんかがターゲットとしている、普段書く何気ない文章にまで、読み手の存在を想定して最初にタイトルをつけなければならないのは、何かがおかしいと言わざるを得ないのではないでしょうか。
どうして「今日アイスクリームを食べておいしかった」という文章に、「今日楽しかったこと」という低質なタイトルをつけなければならないのでしょう。どうして、自分には生きる価値がないんだと感じた夜、つらつらと思いを吐き出す前に「自分の無価値性について」というタイトルを書かなければならないのでしょう。
そしてなにより、まだまとまっていない最高のアイデアを形にしていく作業を、タイトルが邪魔していてはいけないと思うのです。
だいいち、休み時間、自由帳に思うがままに書いていたとき、みんなタイトルなんてつけていなかったと思うのです。我々の原点はそこにあるに違いありません。心が成長しても、アイデアを思いつく過程はちっとも変わっちゃいない。もやもやした考えを、紙の上にとりあえず書き出して俯瞰してみる。読み手のために整理するのは、そのあとでもいいのではないでしょうか。デジタル世界にも、原稿用紙のほかに、自由帳があってもいいと思うのです。
提案
とはいえ、タイトル(見出し)があとから自分の文章を見返したときの一覧性を高めるのは間違いありません。
それなら、タイトルを最初じゃないところに書くというのはどうでしょうか。
タイトルが要約なのだとしたら、文章を書き終わったあとに書くのが一番楽なはずです。それをサポートするようなかたちのノートアプリがあればと思うのです。
ないので、作りました。
このノートは、こんな構造になっています。
タイトル欄は一番最後に置きました。
もちろんタイトルを書きたい気分でなければ、タイトル欄はそのまま空けておいてかまいません。
最後にあっても「タイトルである」と主張できるように、タイトルがスクロールに合わせてくっついてくるようにしました。これはぜひ皆さんの目で確かめてほしいです。本文よりあとにあっても、これはタイトルだなと感じていただけると思います。
本文を書くこと以外考えてほしくないので、デザインも振る舞いもシンプルに。それから趣味で作っているので完全無料でぼくには一銭も入ってきません。
構造化されていない考えが出回ると困る本とは違って、誰でも気軽に、なんでも適当に書き残しておいてくれることを願っています。偉大なアイデアだって、最初は自由帳のメモ書きだったはずです。ちょっとだけ便利で見やすい、自由帳があってもいい。
これが使われなかったとしても、「タイトルをあとに書く」という考えが広まってくれたら本当に最高だと思います。ここまで長々と読んでくださり、ありがとうございました。
申し遅れましたが、ritarといいます。インターフェイスのデザインがめちゃくちゃ大好きな大学生です。記事の内容に共感していただけましたら、ぜひ「スキ!」を押していただけると飛び跳ねて喜びます。
読んでいただきありがとうございました。サポートがたまったら執筆時に飲む用のちょっといいお茶を買おうかなと思います!