りすあん

人生の夏休み中。思い立ったことを徒然なるままに書いてます。

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  • リスあん旅行記

    ウィーン、京都(2019)

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京都魔界めぐり その7 東寺・羅城門跡

最終日は平日。なので朝食会場はゆったり。午後早めの新幹線で帰宅するのでホテルから歩いて行ける東寺や羅城門跡へ。 東寺 https://toji.or.jp/  建立は796年。平安京の遷都は794年。 実は私、この京都行きまで東寺の存在を知らなかったのです。そりゃ仏教への興味は薄いのですが、我ながら信じられない。。。そして東寺があるなら西寺はと思ったら今は跡しかないというのも初めて知りました。 で、東寺のHPによりますと、唯一残る平安京の遺構で1994年に世界遺産に登録

    • 京都魔界めぐり その6 祇王寺・檀林寺・化野念仏寺

      祇王寺 http://www.giouji.or.jp/about 平家物語・巻第一の「祇王」に登場する白拍子の祇王が入寺した尼寺。 日本大百科全書によると、白拍子は平安時代におこり、鎌倉時代にかけて行われていた歌舞、及びその歌舞を業とする舞女のこと。男装して踊っていたので男舞とも言われました。 寄り道ですが、白拍子と聞いて思い出すのは静御前。源義経の愛妾だった静御前は義経の異母兄で不仲だった源頼朝の前で舞うように命じられ、義経を想う舞を踊りました。 祇王寺は浄土宗の往

      • 京都魔界めぐり その5 帷子ノ辻・太秦・渡月橋・野宮神社・西行井戸

        白峯神宮は雨でしたが徐々に止みはじめ、続いて向かったのは京福電気鉄道(通称は嵐電)北野線の北野白梅町駅。洛西の嵐山・嵯峨野方面への電車が出ています。 私が今回の旅行で一番楽しみだったのは行ったことがなかった嵐山・嵯峨野で、風光明媚なイメージしかないのです。が、平安時代、ここは右京。住む人が少ない洛西には葬送の地がありました。葬送の地は洛東(東山方面)には鳥辺野という一大葬送地があったので西限定ではありませんが。 嵯峨野の奥にある化野(あだしの)は平安時代は風葬の地で。風葬

        • 京都魔界めぐり その4 一条戻橋・晴明神社・白峯神宮

          この朝の天気は雨の降りそうな曇りでスタート。でも午後は晴れの予報で嬉しい。魔界めぐり3日目はこの旅行中で一番行く場所が多い日です。 この日最初の魔界はバスで堀川通りの「一条戻橋・安倍晴明神社前」で下車して、一条戻橋と安倍晴明神社へ。この界隈にある現在の一条通りは平安時代の一条大路。一条大路は平安京の最北端なので深夜には妖怪がうろうろしていた(百鬼夜行)そうで。 まずは貴船神社や鬼切丸のエピソードにも出てきました、一条戻橋。この橋は平安京内の一番北にある一条大路で堀川を渡る

        京都魔界めぐり その7 東寺・羅城門跡

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          20本

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          京都魔界めぐり その3 幸神社・京都御所・北野天満宮

          叡山電鉄の終点、出町柳で降りると川が。当日は不思議なことに気づかなかったのですが、地図を見るとここはデルタ地帯なんですね。高野川と賀茂川が合流して鴨川に。 ここの橋を渡っている時です。橋の灯火の上にはとんびらしき大きな鳥がいました。 橋の上に鎮座するとんび(こんな写真を撮っていた) 随分大きな鳥だなねーなどと言っていたのですが、しばらくすると、飛んで行ったのでそれを見ていたら。河川敷にいる人々の頭を掠めて飛んでいきました。。。怖い。 こんなところから獲物を狙ってるんだ。

          京都魔界めぐり その3 幸神社・京都御所・北野天満宮

          京都魔界めぐり その2 鞍馬寺・貴船神社

          ところで、京都の魔界ですが、それはどこから? 平安京以前の都は710年に遷都した平城京でした。が、天智天皇系の50代桓武天皇は旧勢力(天武天皇系天皇に仕えた貴族や大寺院)排除のため784年に奈良から京都盆地南西部の山背国の長岡へ遷都を宣言します。 そういえば平城京から平安京への遷都の前に長岡京って名前は聞いた記憶があるなぁ。いつの間に長岡京は消えたんでしょう?ここに魔が関係しているんですねぇ。 長岡京は造営に着手したものの、旧勢力により造営責任者の藤原種継が暗殺され、こ

          京都魔界めぐり その2 鞍馬寺・貴船神社

          京都魔界めぐり その1

          夫が京都に行きたいと言う。それも魔界めぐりに行きたいって。彼は京都の魔界に関する本をいろいろ物色してきては嬉しそうに読んだり、今年放映があった京都魔界めぐりの放送を見て楽しんでいる。魔界って何ですか? まぁ平安京の時代は太陽が沈んで日が昇るまで、真っ暗な時間が長かったから目に見えないものが多く、想像力も働きやすかったろう。都があったこと1000年以上、色々な(悪い)出来事があったろうしね。 ウグイス鳴くよ平安京(794年平安京遷都)なんて覚えたな。 私は魔界をめぐるのはそ

          京都魔界めぐり その1

          ウィーンへ その13

          夜に翌日早起きして、建物だけでも観に行こうかとも考えたけど、バタバタになりそうなのでやめて、朝ごはんの前に近くのベルヴェデーレ宮殿の庭園散歩に。 前日にホテルの方に庭園のオープン時間を確認したところ、庭園は6時30分から入場可能でチケットも不要だった。 昨日と同じ光景も時間が違うと影があるせいかなんだか違うように見える気がする。朝8時前、なので人はまばら。ランニングしている人を2、3人ほど見かけたかな。 ここから奥の方に上宮が見える。 ホテルの周りを少し歩くと植物園が

          ウィーンへ その13

          ウィーンへ その12

          宮殿の庭園は公園レベルなのですが、公園も見ておきたくて。 初日に現地係員さんに今頃はバラが見頃ですよと教えてもらっていた市民庭園(フォルクスガルテン)へ。トラムの降車停留所はウィーン美術史博物館の一つ先の停留所Ring,Volkstheater。(初日に間違えて降りた停留所) 市民庭園(Volks Garten) 1823年に完成したウィーンでもっとも古い市民公園。至るところに見事なバラが400種類あるそうです。椅子もあるので座って鑑賞できるので休憩にも良。きれいに整備さ

          ウィーンへ その12

          ウィーンへ その11

          ベルヴェデーレ宮殿の目玉はクリムト。ベルヴェデーレ美術館には特に作品が多いのではなかろうか。 Der Kuss(Liebespaar)  接吻  Liebespaarは辞書によると相思相愛の二人、恋人同士。 幸福感が溢れている。金色が美しく、足元のお花と緑もかわいらしい。 当然ここは他に比べれば人多し。 なぜか入り口にレプリカも置いてある。 クリムトは女性の絵が多いですが、私が気に入ったのは花の絵。 お花が優しく描かれていて好き。 Bauerngarten mit S

          ウィーンへ その11

          ウィーンへ その10

          翌日は午前4時に目が覚めて、眠れなくなってしまった。。 疲れてるのになんでーと悶々としつつ6時頃やっとウツラウツラしてきたので、早起きはあきらめて寝ることに。コーラを多めに飲んだのがいけなかったのか。 8時過ぎに起きてノロノロ支度して朝食を取り、ノロノロ支度。 観光は今日一日しかないんだけど、睡眠不足が尾を引く。 今日はまずホテルから5分くらいのベルヴェデーレ宮殿へ。初日に現地係員さんに聞いた話では、混雑のためそろそろ予約制に変更するとか。早い時間に行った方がいいですよと

          ウィーンへ その10

          ウィーンへ その9

          ティツィアーノのイザベッラ・デステの肖像 イタリアルネサンスを代表する女性。 遥か昔、ウィーンに行ったら見ようと思っていたのに当日まで忘れてた。 大学生の頃、塩野七生さんの「ルネサンスの女たち」でその存在を知った、イザベッラ・デステ(1474-1539)はマントヴァ侯爵夫人(のちに公爵)。 この本をきっかけに私はイタリアルネサンスの時代に興味を持ち(美術でなく政治抗争の方に)、卒業旅行でイタリアに行った時はユーレルパスでフェラーラとマントヴァまで足を伸ばしたなぁ。 イザ

          ウィーンへ その9

          ウィーンへ その8

          絵画ギャラリーは3つのエリアに分かれていますが、当日は無我夢中で館内を歩いてしまった。 私の美術館での楽しみ方は 有名な絵(展覧会の目玉)・・一通り見るけどついついここに目が 描かれている人を本で見たことがある・・絵自体よりこの人知ってる感覚 その場で好きな絵を見つける・・ないこともある 今回の旅では肖像画の人物の方に興味が。 肖像画は写真などない、簡単に移動できない時代にはとても貴重ですね。 別の人が描くと違う人に見えてしまいますが、それはそれでいいかと。 美術史博物

          ウィーンへ その8

          ウィーンへ その7

          シェーンブルン宮殿をあとにして地下鉄U4でカールスプラッツ(Karlsplatz)駅へ。 よく見てこなかったのですが、ここの駅舎はウィーン世紀末を象徴する建物だそうで。 この駅の近くにウィーン・ミュージアム・カールスプラッツがありますが、建物は改築工事のためお休み。 この期間中に展示物の一部が日本に来てます。(ウィーンモダン展) 私はこの駅の近くのカールス教会(Karls Kirche)へ。 http://www.karlskirche.at/  外観は小冊子にあったこちら

          ウィーンへ その7

          ウィーンへ その6

          シェーンブルン宮殿は当時戦争が多く財政難のため当初設計したフィッシャー・フォン・エアラッハの原案通りにはいかなかったそうですが。 いえ、充分広いです! 私は宮殿内部、Privy Garden、グロリエッテ(それぞれチケットが必要)の順に回って、あとは戻りがてら庭園を見ることに。 ガイドブック上は宮殿から丘の上のグロリエッテまで歩いて20分。 敷地内の小道にも名前がついてますね。 まずは宮殿へ。 残念ながら撮影は建物内の入口まで。 ハプスブルク家は始祖ルドルフ1世か

          ウィーンへ その6

          ウィーンへ その5

          2日目。今回一番行きたいと思っていたシェーンブルン宮殿に行ってから街中に行くことに。 この日の天気予報も晴れ、最高は30度。暑。。。 朝食はホテル内で(宿泊込み)。旅行前は朝食はついてなくてもいいけどと思ってました。が、朝食はホテルで食べられて良かったーと現地で考えを改めました。お店に入るのに気合が必要な私には食事はおおごとだった。。。 朝食会場は係りの方への挨拶とルームナンバーだけ言えばOK、でビュッフェ形式なので気楽。観光中、食べそびれたら大変なので朝食はしっかり食べ

          ウィーンへ その5