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書籍が出版されたのですが、宣伝しない代表者たち

今日、仕事の原稿の締切日。郵便局に行く前にカフェにて一人時間。

コーヒーではなくソイラテ。
最近はコーヒーはあまり飲めなくなりました。

 先日、やっと代表者の本の出版を済ませ、校正刷りをしたところ、数カ所に誤字と段落ミス。  

覚悟はしていたのですが、パソコンで打つと、やはり変換ミスはあります。まだ編集に疲れたまま。

300ページの小説なので、確認するうち、目が疲れてヘロヘロ。

そもそも、私達の小さなスタジオの代表は、音楽家の顔と執筆家(売れない笑笑)の顔を持つオヤジなのですが、昨日の会話が面白かったです。

●音楽は作曲、編曲、そして録音から制作全般に渡り、楽しいと思ったことは、だだの一回もない。
体を痛める仕事だ!
そうです。

●ピアニストとしての舞台仕事は、体調不良でも、仕事に就いた10代の頃から一回も休んだ(穴を空けた)ことはない。自分を無に出来る。
一個人として、自分自身を出せる仕事だ。場末という言葉が大好きである。場末芸術家だ。
そうです。

●脚本などの舞台作品執筆は、本番が成功したことを想像するだけでワクワクする。しかし、その作品に音楽をつけることになると、たちまち疲れがドバ~っと出てきて、差し引きゼロのモチベーションになる。  
だそうです。

●出版など、最初からそもそも考えてもいないが、いざ、書くとなると、頭の中にストーリーの情景が育ち、そして、登場人物が実在するかのようになり、やがて自分の手から離れ、そして、登場人物の中の女性に恋心を持ってしまう。
つまり、「小説の執筆はドキドキ感がある」
だそうです。

しかし、自分を形成し、雑木と成長した今、やはり場末芸術?としての無名の場末ピアニストであることが、一番自分らしい。
と、言っていました。

 私がいるスタジオスタッフは、全員が高齢音楽家になりました。私は年々、世間から取り残されるのではないかと、不安が襲ってきます。

しかし、代表も主任も、先ほど同じ言葉を言いました。 
「若者の音楽を認めりゃいいんだよ。首を突っ込まないようにすれば安全だ。僅かだが年金をもらえるのも彼らのお陰だ。まあ、固い考えは抜きにして、音楽も人付き合いもアナログで生きようぜ」
意味に苦しむ言葉ですが。
だそうです。

 noteは私が個人的に行っていますが、別なアカウントを作り、宣伝するようにと話したのですが、全く(笑)

近々には一人のファンとして、代表が出版した本もご紹介しようと思います。


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