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逃げても「壁」となって自分の前に立ちはだかる。逃げるなら逃げ切れ。逃げられないなら覚悟を決めて立ち向かえ。


壁にぶち当たって、逃げられるならすぐ逃げる。そして逃げ切る。
でも、逃げられないなら、覚悟を決めて立ち向かうしかない。

逃げたいと愚痴る私に言ってくれた、友人の言葉です。


つらい時に自分を守るのは大事だと思う。自分のことは自分で守る。

特に、客観的に見ても理不尽な状況下に置かれた時は、自分のことは自分で守らないと、心も体も壊れてしまう。

客観的ではなくても、自分が壊れてしまうくらいまで、自分を消してしまいたくなるまでには、我慢や努力して壁に立ち向かうべきではないと思う。

逃げることは、必ずしも悪ではないし、恥でも、弱いからでもない。

逃げるには勇気が要るし、「戦わずして勝つ」ための賢さかもしれない。

自分では「逃げてしまった」と罪悪感を抱いてしまっていることも、意外と客観的に見れば「前向きに進んだ」という評価になるかもしれない。

(うじうじと後ろ向きな私を支えてくれた友人の言葉たち。)

◇ ◇ ◇

でも、私は、「嫌だから」「やりたくないから」という最初に持ってしまう感情だけで自分を甘やかしすぎる傾向がある。

自分を甘やかして逃げるのは楽だけど、あくまでその場しのぎ。

甘やかせば甘やかすほど、逃げれば逃げるほど、より高くて厚い壁となって、遠くない未来に自分の前に立ちはだかる。

◇  ◇  ◇

「可愛い子には旅をさせよ」

過保護・過干渉の親元で育ち、学生という身分も長かった私は、他の人より苦労せず生きてこられたと思う。

言い換えると、他の人たちが乗り越えてきた、「嫌なこと、やりたくないことをやり切った」経験が少ない。

短期的に見ると「恵まれている」けど、この有名なことわざが教えてくれているように、長い目で見ると、早いうちから世の中のつらさや大変さを味わっておくことが「恵まれている」のかもしれない。

◇  ◇  ◇

親はむやみやたらに過保護・過干渉に私を育てたわけではなく、よくこのことわざを口にしていたし、地元に残りたがる私に、大学進学時には親元を離れるように言ってきた。

でも、過保護・過干渉の度が過ぎていたのか、元々の性格がそうさせるのか、壁にぶち当たると、自分の欠点と向き合えず、自分を正当化して周りを否定し、すぐに逃げようとする人間になってしまっている。

それなのに、自分の意志で行き先を決めてしまうことにも慣れてなくて、自分で下した方向転換の決断を「逃げ」と決めつけてしまう。

他の人がすでに経験して解決法を習得している「壁」でも、乗り越え方の知識や経験が少ない私は、凹んだり悩んだりして、「壁」の前でうろたえる時間が長い。

◇ ◇ ◇

先日、仕事で「嫌だ」「やりたくない」と思うことがあり、つい不機嫌になり、自分を正当化してしまうことがあった。

私がどう思おうが、状況が変わるわけでもなく、ましてや好転するわけでもなく、ストレスが大きくなるだけだった。

なかなかまずい精神状態まで陥ったけど、最終的には仕事に対するギアを一段階上げると、仕事も進みだし、ストレスではなくて仕事に意識も向くようになり、ついにはその仕事を無事にやり遂げた。なんなら、プラスαまでできたと思う。

もしかすると、他の人に早めに「助けて」と言えばよかったかもしれないし、もっと早くギアを上げたらよかったかもしれないし、質を落として最低限のことだけやればよかったかもしれないし、他の方法があったかもしれない。

「壁」の乗り越え方も、「壁」からの逃げ方も、たくさんある。

仕事なんて「嫌だ」「やりたくない」が大半なのだから、その最初の突発的な感情を盾に不機嫌になっても、何も変わらない。状況は悪化するだけ。

「感情を生み出さない」というのは難しいけど、「ネガティブな感情が湧いてきても、逃げるにせよ、立ち向かうにせよ、理性的・客観的に対応する」というスキルを高めていかないとな。

◇ ◇ ◇

ようやくこの記事が書けた。

負の感情しかない時は書けないから、こうやって書けたということは、喜ばしいことだ。


写真:rihaijによるPixabayからの画像



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