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少子化は問題なのか

2022年版の男女共同参画白書が発表されました。
昭和から平成、令和へ家族の姿に変化が見られることが分かっています。

婚姻件数の減少や離婚件数の増加、それによる単身世帯の増加で主な課題に挙げられるのは少子化や孤独問題です。しかし、ここまで変化があると、そもそもそれは課題なのかと考えさせられます。

個人の意思が尊重されている結果なのでは?


子供を2~3人、またはそれ以上を育てるには、今の日本の労働環境では仕事を多分に調整せざるを得ないと考えます。
それが母親であるのが圧倒的多数の現状で、かつて専業主婦が前提であった時代の数値(出生率のX.X%等)を求めるのは個人の意思が尊重される風潮の中ではかなり難しい要求なのかなと思います。
また、婚姻率が低迷し単身世帯が増えおり、結果として子供が少ないのは、一人ひとりが選択した結果であれば、それは良い事なのだと考えます。

旧来の社会インフラ・保障制度が現状に合っていないのでは?


少子化の回避はインフラの維持には不可欠といった事を良く聞きますが、そもそものインフラに無駄はないのでしょうか?
確かに橋や道路や、保険制度や教育は働き手による納税で多くが賄われています。しかし、橋や道路であれば現在日本津々浦々に住む人たちを集住させることを検討するべきです。保険制度は医師の働き方改革に鑑みても受診を全体的に減らす必要があります。教育も集住が進めば学校施設をより減らせると考えます。
例えば、地方の鉄道では多くが赤字運営が続いているといったニュースを聞きますが、この状態こそ現代に合っていないと感じます。
もちろん、その場に長く住む人がおり、その方々の住む権利は尊重されるべきですが、これ以上将来世代への負担を増やすべきでしょうか?

残念ながら、これらはすべて政治判断になるため、日本の今のピラミッド状況では到底実現し得ないことですが。


救われるべき人

実現できる・できないはさておき、上記理由より私は「少子化」自体はもはや問題ではないと考えます。
それを課題ととらえ、出生率の向上を評価指標と置くこと自体が「もはや昭和」の観念にすぎないです。

ただ、この数値の中に、人と接したいのにできない、一人が辛いのに周囲に誰もいない…といった方がいるのであれば、それは救われるべきです。
個人がのびのびとやりたいことを志向でき、しかし失敗した時に救われるセーフティーネットは社会として用意するべきだし、私ができる事は何か模索しています。

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