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ikigaiとkodawari

脳科学者の茂木健一郎さんの著書に「ikigai」があります。
日本流のウェルビーイングの在り方として、ロンドンの町にある図書館の心理学コーナーに置いてあったので手に取ってみました。

冒頭に都内にある著名なお寿司屋さんの例を挙げていました。このお寿司屋さんはオバマ大統領が来日した際にも接待に設定された場所です。
その店主の方は、常にその日一番のお魚を仕入れること、ベストなコンディションでお客さんに提供することを考えているとのこと。そして、ある時彼はお寿司を握っている時に死ねたら本望であると言ったそうです。
お魚を選別する際はどのお魚が良いかその状態から見極める拘りを追求することを厭わないため、お客さに美味しく食べてもらえた時の喜びもひとしおだそう。
「ikigai」ではこの彼のこだわりこそが、彼に生きがいを与えいきる意味と喜びを与えていると述べられていました。


”生きがい”や”こだわり”といった言葉はよく聞き慣れていましたが、なるほど日本特有の考えでもあるのかと思いました。
確かにロンドンに来て思うのは、お店や商品の品ぞろえの少なさです。例えば家電を買おうと思った場合、数ある商品の中から店頭で試したりレビューを読んだりして決めるとおもいます。枕やマットレスも同じです。硬さや生地、何でできているかなど、そもそも種類が多いのでその中から自分好みを決めるといった感じかと思います。こちらでは、店頭はもちろんネットでも種類が少なく、購入している人を見ると、とりあえず必要な機能が動いて役割を果たしていればあまり気にしていないように見えます。
日本では消費者が厳しいのか、生産者の努力で結果として種類が多くなったのか、どちらかは分かりませんが、結果として人々に”こだわり”を生む背景になっているのかなと思います。


一方で、ビジネスにおける突き詰めすぎている”こだわり”や市場とのニーズと離れた”こだわり”は弊害も生みます。例えば家電製品で言うと90年代から00年代ではスマートフォンの台頭でデジカメやビデオカメラ、オーディオ類といった家電が市場ごとほぼなくなっています。ただ日本企業はハードウェア重視、ソフトウェア軽視のまたスペックは高くてもデザインでは劣る製品体質や企業志向が足かせとなっており、市場変化のスピードに対応できているとは言えません。

https://bunshun.jp/articles/-/12022


また、日々の仕事においても、本質ではないところにこだわり、結果として無駄が多く発生します。例えば、コロナ禍でようやく撤廃が進められている押印も、紛失リスクやそもそも押印の目的を考えれば、よりよいツールへの
代替がを早く考案できたのは自明です。本質を捉えず、プロセスにこだわりすぎると、結果として長時間労働を助長します。

したがって、個人的にはこの冒頭の例は、現代においては少し古い例だと思いますし、誤解を与えかねないと思っています。

ただ、例えば普段使うボディソープを素敵な匂いのものにしたり、お気に入りのカフェを見つけて一定の頻度でそこのラテを飲んだり…そういった小さな”こだわり”は確かに日々の生活に色を与え、幸せを与えるのかと思います♪


ちなみに私の日々のこだわりは、浅草にあるお店で買った檜のボディブラシを使うことです。他にも少し前はハンドソープやボディソープにもこだわっていました。家に帰った時や一日の終わりの癒されたかったのです。
使いきってからは、適当なものを使っていたので、この本を読んでまたお気に入りを見つけて買おうかなと思っています♪



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