見出し画像

「美しい花」

大好きだったアナザースカイが再開してもうすぐ一年が経つ。あの時はどんな数字や偉い人の話より、本当に世界が少し前進したんだ、と感じた。
同時に本当にこんなに、私たちは囲われた世界から出られなかった日々を過ごしてきたのだな、というざらりとした実感もあった。
とはいえそれから先だってまた、止まったり、進んだり、勝手にいったり、するのだろうけど…それはそれでそれでもちゃんと本物の今が動き出した、そんな瞬間だったと思う。

思い出を巡る旅番組というより、過去に繋がった場所と歩んできた心の空を描く、そういうニュアンスが好きだった。見る度に自分の心の空はどこへ繋がっているだろうと、そんなふうに想いを馳せることができるのも好きな理由だ。
もちろん行ったことのない世界中の美しい景色と、ゲストが辿る軌跡の多様さと、そこへ重ねられる音楽がとても秀逸で、そんなところもやはり素晴らしかった。

「夢の数だけ空がある」

私の目に映る世界がどんどん広がっていくようで、見る、と同時に、感じる、という感覚があった。心の扉が開く、その先には。

触れたその時の感動や感触は自分のなかに溶け、けれど目の前から過ぎ去ると人は忘れてしまいがちだ。
次の景色があるから。

アナザースカイの中でも、ひときわ特別に覚えている回がある。

少し前に、古本屋で買ったあの写真集の話をしている。
釘付けで見ているとその本の中と同じ、可愛く美しく艶やかな景色が次々と映し出される。まさに色が咲いていた。ピースが繋がって私の目はらんとして心がざわめいた。
その人が訪れたのはカリブの島、イスラ・ムヘーレス。晴れた空と青い海と白い砂浜と彩度の高いイロトリドリの街。その鮮やかで煌めく色は、花や星や虹のパレットをひっくり返して遊んだようだった。
色彩は人の目に贈られたギフトなのかもしれない。そうにさえ感じる景色だった。

私が古本屋で気に入って買ったそのぼろぼろの写真集は、写真家の蜷川実花氏がこのイスラ・ムヘーレスで撮り溜めたものだったのだ。

その中で目に焼きついたのは、公共墓地だ。
墓と言っても家の近くにある祖父の墓石のような黒くて静謐な石の塊ではない。
白、或いはカラフルに塗られた墓石は家の形が多く、十字架やハート型のオブジェ、宗教的銅像に貝の首飾り水瓶、天使、造花、造花、造花。
色鮮やかな世界、誰でも足を踏み入れられる開かれた墓地、生きた草木に囲まれた、作り物の美しい花。
驚天動地。
お墓に造花、ありなのか。それならば…とすぐにでも動き出したくなる私の性分が疼く。
蜷川氏は造花を、人の欲望が詰まっている様で好きだ、と話していた。
欲望とは一見傲慢で独りよがりのようだが、きっと真ん中には純粋な願いや希望がある、そんな気がした。彼女が撮った公共墓地の写真は初めて訪れた写真集の中でも、番組で訪れた何十年後も、変わらず鮮やかだった。
まるで造花の様に、色を失うことなく咲き続けている。

墓石は、死んだ人のためのものではなく、生き続けている側のためのものだ、と何かで見たことがある。
妙に納得したのは、祖母を見ていて思うところだ。祖母が祖父と世を別つまでが半世紀、あと十年ほどでもう半世紀が経ってしまう。墓地へ祖母が訪れる回数は減ったが、心持ちは十年前と変わらず。
そして彼岸になればその場所にはたくさんの人が墓参りに集まる。
みな、生きている人だ。
生きた人、生きた火、生きた花。
石は死んでいるのだろうか。私はいつも会ったことのない祖父の石に話しかけるが、口なしの祖父から声の返事はない、少なくともこの耳には。
けれど話しかければ聞こえる気がする。それはありがたいことに、私が生きているからできること。
なんだか皮肉だ。そして勝手なのだ。

私はその日のアナザースカイを見てすぐに、祖父の墓の花を造花に変えようと家族に提案した。
本当は墓石も素敵な色にしたかったが、それは難しいらしい。ならば花だけでも、と。
概念は簡単に捻じ曲がったりしない。方向転換には妙に臆するし勇気がいる。
そこには誰の決め事があるのか。破れないことにどんな意味があるのか。
私はその方がいいと思った方へ、行ってみたかった。
家族の賛同を得られたのは良かった、さすが我が母だと感心する。
意を決して、枯れかけた生花と水を捨てて銀の花器を綺麗に洗って乾かす。
初めて買った偽物の供花は、なんだかとても安っぽく見えたが、鮮やかで堂々とした大きな花だった。
墓地の前を通る度に、気になって横目で見る。今日もちゃんと美しい、そう胸を張って自転車を漕いだ。

小さな墓地には、石たちが肩を寄せ合うように集まる。花のない墓もあれば、背筋の伸びた菊や百合が満開にしている墓もある。
萎れたストックが淡く、スターチスがいつまでも素知らぬ顔をする墓。
短い矢車草がひとつふたつみっつ頭を下げ始めた墓。
カラフルなコップは小さな子供の、ごつい湯呑みやワンカップは父やそのまた父のもの。
祖父の墓は、今日も艶やかで美しい大輪の花が空を見上げている。違和感も、私には恐るるに足らなかった。
その時は何基もある墓の中で、偽物はうちだけ。
ところが、それが何年かすると、隣が、斜め左奥が、あの角も、その向こうの端も。ニセモノの花が爛々と咲き誇る墓地になっていた。
それぞれの花が、それぞれの顔をして、それぞれの所以を示している。
ここは死んだ人の場所だが、生き残った人の物語でもある。そこには家族の、親子の、一族の、想いがひしめく。それで今はいいのかもしれない。
朽ちていく花を、変えるため通い続ける祈りと。いつもいつまでも美しい花を、あの人へ手向けたいという願いと共に。

造花は雨風嵐に晒されても、銀の淵で凛と咲いている。
しかし色褪せてクタクタになる前には、或いは盆や彼岸には美しさを新調したいものだ。
そんな造花が早く駄目にならないように、私はひっそり、雨が降ると溜まった水を捨て流しに墓へ行く。

そういえば、今年の春は矢車草を土手であまり見なかった。
温暖化は沸騰化になり熱波で山が燃えている。この後は爆発してしまうんじゃないかと思ってしまうが、そうでもなく地層から歴史を見れば寒冷化するのではとも言われている。
地球という生きものもまた勝手に生きている。
私たちの一つの命が比べものにならないくらい、長く永く。人間様などと驕っていたくない。
ともあれ何十年も前から比べれば夏は恐ろしく暑く長くなったことは確かだ。春や秋の曖昧で穏やかな時期は短く、気がついた頃には去ってしまうくらいになった。
そのためか、その土地土地で咲く花が変わってきているらしい。花屋さんに並ぶ花も一昔前とはだいぶ違う顔ぶれだと聞いた。
気がついた頃には変わってしまった後で、それを仕方がないと受け止めるか。違和感を携えて、変わらないために変わっていけるか。そのために短い命の、ひとりができることはいくつあるだろう。
ファーストペンギンには誰だってなりたくない。けれどその恐れと勇気の先にいつも未来が佇んでいる。
去年植えたミモザの木が私の背より大きくなってきた。次は金木犀を植えたい。もっともっと木を植えたい。
小さな庭だけど。
心の声を信じていたいのだ。

少し前に前橋の街に新しく生まれたアートスポット、ガレリアにて偶然の再会を果たした。
ガラス張りの大きなウインドウ、目を差す様な色鮮やかな花たちが鼓動の瀑布となって佇んでいた。

蜷川実花氏の展示だった。
だとするとこの花たちは…画廊の方に話を伺って合点がいった、目の前に聳える花々はすべて造花だったのだ。
人の欲望が永遠を願う、そんなことは無理だとわかりながら、それでも。
そんな思いの化身である造花たちは、生きることと朽ちることを表しているのだそう。

表現者の真ん中の奥の奥の深いところは、とても小さくまばゆく、きっとずっと変わらないのだろう、とふと思う。
根源というもの、表現におけるプリミティブな最初の呼吸、理由なき理由、のぶぶん。
偶然のこの再会をこの場所でできたことは、おそらく必然なのだろう。
新しく生まれる鼓動がそこかしこで鳴り始める街で、また終わりゆく人や場所があり穏やかな風に包まれて共存している。
生命の循環を表した巨大展示から、フェイクだが確かに、小さくて大きな本物の命の息吹を浴びた。

私の「夢の空」はどこだろう。

残念ながら行ったことのある海外は19歳の時に行ったロンドンだけ。キングズロードのワールズエンドに行きたくて赤いパスポートを手に派手なコートを着込んで旅券の安い冬に訪れたが、空は霞んだ淡灰色で今はもう幻の様だ。

そもそも旅に出ることが、あまりない。
そんな私が最も旅に出たと言える場所は沖縄だ。
これは修学旅行も含まれているが、それにはまた別の、短くも色濃い空があるのだがここでは割愛しようと思う。
沖縄のどこまでも続く青い空も海も道路も、夢に続くことはなかった。ただあの場所に訪れていなければ生まれていないものがたくさんある。そういう意味では私の空の一つかもしれない。

だとすると、私にとって夢に繋がった街はただの東京ということになるだろう。
狭い箱のような部屋の少し低い天井、そんなところから私の夢は果てない空へと続いていったのだ。
花も何もない、飾る隙間も余裕もないような。詰め込まれて膨らんだ夢で息が苦しかった、あの空は、今ここに繋がっているだろうか。

その部屋にはバスルームの小さな窓とベランダへ繋がる大きな窓があった。
もうひとつ、机の上に小さな窓があり、開け放つとひとりきりなのにたくさんの仲間がいる様に思えた。会ったこともない人たちだが、傷つけ合うことよりなぐさめ合うことの方が多く、似た者同士たちが逃げる様にして集まったあたたかいそこは救いようもないがひどく愛おしかった。
もちろん色々なことはあったが、それでも今多くの人が片手に持つ小さな入口とは、似て非なるものだ。
その窓辺で、私はその世界から生まれた新しい音楽に出会う。音と創作はそれこそ表裏一体であり、私の中に深く深く根を下ろしていった。
見えないところで密かにいつも救いがあったあの世界、そのくらいの親密さと見ず知らずがちょうどいい距離感だったネット社会は、もう十年くらい前の私の居場所だったのだと思う。

誰にも会いたくないけれど何かに出会いたい、の原点。
あの時に何度も聞いた「鬱くしい花」という名曲がある。
この曲に、命という、その時はもう少しリアルさが無かったが生きることの芯の部分を守られ支えられた。
その芯の世界では、確かに美しい花が咲いていて、遠く画面の向こうの見ず知らずの誰かといるその場所が、孤立ではなく孤独の草原に私を立たせてくれた。
あの時吹いた風は今の空にも繋がっていると、思ってもいいだろうか。
その風に揺れる小さな花の美しさはなにものにも変え難く、あがいて生きた証みたいなものかもしれない。
そういう空が私にも、そういえばあったのだ。ひとつでなくていい、そんなふうに思うには時間がかかってしまった。数えていくことができるというのは、みずぼらしくも今こうして生きているということなのだ。

秋の彼岸も過ぎ、路肩の赤い花も色褪せていつの間にかまた姿を消してしまう。透き通りはじめた風も敷き詰められた雲もおかしなくらい照る日差しも、季節を渡る手触りにどうしても物悲しくなる。
黄金色に揺れていた稲が刈られ、落ち葉がカサカサと隅を踊る頃になってきた。もうすぐ冬が来る。

すぐここにある手元の世界も、広大で果てしない遠くの世界も、この数年目まぐるしく変化を繰り返している。目が回らずに真っ直ぐ立つのは至極難しい。残像と残骸にこころが疲弊するが、回復する間もなくまた別の風が吹く。
遠くでは今日も悲しみがもろもろと崩れ落ち、呼応して渇いてゆくばかり。目も開かないような世界、そこでは空はどんな色をしているのだろう。
楽しそうな子どもたちの声も、夢を憂う午後の輝きも、絶えずいてほしいのだが私たちにできることは数えるほどもない気がしてしまう。

そんなことは無理なのかもしれないけれど、永遠に枯れない美しい花で、世界がいっぱいになればいいのに。そんな願いで一輪でもいいから、芽吹いてくれたらいいのに。
叶わないと知りながら、それでも数えていく。
今日も空が高く青い。


なんでもない、ある日の空