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初めてカウンセリングを受けた時のこと

今回は少しだけ趣向を変えて、カウンセラーである陽子さんのカウンセリングを受けての感想を書いてみようと思います。これもまた私にとって大きな体験だったので。そして私はこの方のカウンセリングを、もう皆受けたらいいのにくらいに思っているので。受けたのが去年の12月なので10ヶ月越しのレポということになる。もうほぼ1年前か、やば。ちょっと思い出しながらで。

はじめに述べておくと、カウンセリングとその名だけを聞いて昔の私が思い浮かべるものは、精神的に深いネガティブなものを抱えている人が受ける、心の部分の病院、みたいなそんなイメージだった。でもこれはとても偏ったイメージで、今は、人を通して自分の心を見つめて、自分でも気付いていなかった思考の癖や抑制していたもの或いは気付いていないフリをしていただけの本心、そういうのを全部紐解いていくという難しいかつ重要な作業を、すぽんと抜けるまで手伝ってもらえる、そんな場だなと思っている。

私の場合は、何度か書いたけどドラゴンボールで言う精神と時の部屋みたいで、「はじめます」から多分1時間くらいだったと思うんだけど、その部屋から出てきた時には、つまりはおしまいってなった時には、あれなんか時空歪んでた?くらいの変な感覚になっていた。そしてとてもすっきりもしていた。

その時のメモを見返すと、最初は怖かったし緊張もしていた、とある。そうだったらしい。やっぱりどうしても感覚的な内容にはなってしまうのだけれど、よくよく覚えているのは、最初に私が口に出した話題(私が相談したいと思っていた話題)を、そうだよねーともう分かっていたという風に受け止めてもらい、しかしそこからどんどん深くに入っていったので結局最初のその話題薄!みたいになったこと。勿論最初の話題というのも私にとっては重要で長いこともやもやしていてなんでなんだろうってずっと人知れず考えていたことではあった。のだけれど、根っこにあるものはもっと深く、じゃあなんでそんなことを思うのか、自分はどうしたいのか、本当に恐れているのはなんなのか、それらを考えながら潜っていく、そんな時間になった。

その内容はというと、恋愛とか性別とかに関わってくるもので、ここで私は曖昧なものを曖昧なまま受け入れていいんだと思えた。そして思っていた以上に長く多くを超えてのしかかってきていた課題で、男性と女性とか、そういう人間がつくった二項対立になっている全ての事象を、枠を、超えたところにいきたいと思った。いかなければならないとも。自分の本心が右と左どちらを向いているのか分からないのなら、分からないという状態そのものに正直でいなければならない。カウンセリングが終わってから暫く整理をして、それからこれで進めると思った。

自分のことが一番分からないし見えていないと、私はつくづく感じる。一人で乗り越えられたらそれはそれでいいことだけど、独りよがりになってしまったら、見えていたはずのことも見えなくなってしまう。そうならないためには人の手を借りてでも、訓練が必要なのだと思う。

陽子さんのカウンセリングは、なんというか、オールフラット、軽さと重さの融合、という感じ。そして他人事として聞いてくれて自分事として考えてくれる。これって本当に凄くて、どちらか片方とか自分事のように聞いてくれる人って沢山いるんだけどそれだとそこで完結してしまう。結局その人の人生はその人だけのものだから、進むためには考えなければならない。

私は口に出して言葉にするのが遅くて不得意で、でもぽつっと出した言葉のニュアンスを全て掴みきってくれる。なんなら言葉に出来ていなくてもいい。しかもきちんと待ってもくれる。無闇矢鱈に言葉をくれない。引き出してくれる。その安心感。
長らく、理解や共感はもういいからただそうであることへの容認だけでいいから、と思っていたし同じような人は沢山いると思っていた。それは今も変わらない本心だけど、だからこそ、「そうだね」の言葉の中に理解も含まれていたならば、こんなに嬉しいことはないと思う。



この方のカウンセリングを受けることで、なんか漠然とだけど、救いになる人が沢山いるだろうにと思う。悩みがあろうとなかろうと、気付きにならないことなんてひとつもなくて、そして何よりとてもとても面白いから。うんたらかんたら書いてきたけど面白いってことだけでも伝わってくれたらもうそれでもいいや。きっと新しい発見とエネルギーが得られるので。










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