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【お題企画:名前の由来】祝福も呪いもこの手で

名前は、生まれて最初に与えられる祝福、もとい呪いだ。
「こうであって欲しい」と同時に「こうであれ」と、これから行く道を祈り、願われ、音と意味とを与えられる。数文字のそれらは、その人を表す記号として生涯、共にあり続ける。

人は、衣服を着るより前に名前というテクスチャを皮膚に張り付かせ、個としての殻を纏う。自己と他者が混ざり合う事のないように。多くの人の間でも、その人がその人として在り続ける為に。

けれど私は、そのテクスチャが上手く纏えていないような、そんな感覚を持ち続けている。社会的には機能しているこの名は、個人的な感覚の中ではずっと上滑りし続けている。

数年前も、私はこの題で文章を書こうとしていた。とあるエッセイコンテストに応募する為だ。
その時の私は、自分の名前について父と話した時の情景を中心に書いた。とある居酒屋の小さなテーブルを、父と母、当時まだ恋人だった夫と私で囲んだ時の事だ。
両親と夫の、初顔合わせでもあったと思う。色々な話が流れ流れて、全員に充分酒が回った頃、ふと私の名付け時の話になった。
「◯◯(私の名)の名前は、成田山の姓名判断の先生にお願いしたんだ。うちの子供達はみんな、あそこで付けてもらったんだ」
そう話しながら機嫌良く笑った父の顔を、今でもよく覚えている。
他にもいくつか候補があったんだけど、という話の続きを受けて私は、他の名前でも良かったんじゃないと軽口を叩いた。すると父親は、
「えーっ、せっかく父さんが付けたのに!父さんが、付けたのに!」
と、目を剥いて叫んだのだった。

数年前に書いた応募原稿では、確か「その父親の言を受けて、自分の中で何かがが落ち着いた」と書いた記憶がある。
私の名前についてのコンプレックスはここで決着がつきました、親の愛を再確認した良い時間でしたと、そのような文のまとめ方をした。

嘘を吐いた、と今ならわかる。二重、三重の自己保身だ。私は納得した、解消した、だから私は美しい、生きていていい、こんな私を評価してくれ。美しいと受け入れてくれ。
私は、嘘を吐くことでこの世界に受け入れられるなら、この身を殴り続けるつもりだった。痛かったけれど、醜いと受け入れて貰えない方が怖かった。

応募原稿から数年の間、心ある友人や知人、夫との交流を通して、嘘を吐かなくても良いと思えるようになってきた。少しずつ、自分に合うテクスチャを貼る事も出来始めている。それは名前程強いものではないけれど、私を私の望むようにな形で、社会で伸びやかに泳がすための皮膜として機能し始めている。

だけど、自分から目を逸らし続けた代償はそれなりに大きい。自己を殴って黙らせる事が自然になっている為、自分の意思を見つけるのにまだ、多大な労力と時間を必要とする。それはもう仕方のない事なので、自他の叱咤激励で都度、どうにかしていくしかない、と思っている。

私は今のところ、与えられた名前を自己を形作るテクスチャとして使用するのではなく、自分に合うように作り出し、身に纏って生きていこうとしている。
私が作り出すそれは、「こういう形で生きていく」という自己表明だ。それが、私が自分に与えられる祝福であり、呪いでもあると思う。
私は、祝福も呪いも、自分で自分に授けてあげたい。そうして生き続けていく中で強靭になったテクスチャを得、いつか、何もかもを抱き締められるようになりたいと、そう思う。

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