白目の余白〜表情とか嘘とか
すごいものを見た。
お寺にある、大きな大きな壁画。
慈愛に満ちた表情のお地蔵さまと天女さま。その周りにいる、たくさんの幸せそうな幼子たち。
そこに天から、まばゆいばかりの祝福の光が注いでいる。
...そんな、神々しい壁画。
描いた画家の方が、90歳を超えてからの作品だそうで、もう、そのお方が生きてこられた人生そのものが、この清らかな世界に現れているようで、私は目に涙を浮かべながら、作品に見入っていた。
と、近くで見ていた人の声が耳に入ってきた。
「この子供たち、白目がないのに、みんないろんな表情してる、って分かるのがすごいよなあ」って。
言われて見れば確かにその通りで、筆でちょん、と黒い色を置いただけのように思える目は、みな、それぞれの表情を表していた。
白目があるなら、黒目の向きとか位置とかで、表情を変えること、それを表現することは容易かもしれない。
でも、ちょんと置いた黒目だけで、さまざまな心持ちを表現するのは、確かに至難の技のはずだった。
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彼と夢の中や心の中で話す時、それといろんな存在とのチャネリングの時、そこに、決して、嘘は入り込まない。
現実の会話でよくある、社交辞令なんていうものは存在しない。
現実の世界の会話では、表に見える、言葉っていうものと、もうひとつ、本心、っていう表立っては見えないものとがある。
でも、魂のやり取りでは、ダイレクトに、心からの言葉、それひとつしか共通言語がないから。
だから、そこに、嘘は入り込む余地はない。
だから、私みたいな、人の感情とか裏の本音とか分かっちゃうような人間には、チャネリングや魂のやり取りは、とってもとっても居心地がいい。
リアルでよくある、この人、口ではこう言ってるけど、ホントはそんなこと思ってないよね、みたいな、げんなりするようなことがないから。
一度だけ、心の中での彼との会話の中で、私は心にもないことを言ったことがある。
正確には、心の準備ができていないことに対して、いつでもいいよ、って答えた。
その瞬間、心の中の視界に、見たこともないような黒い影が下りた。
何だこれは、って初めて見るそれに、私は怖くなった。
彼の奥さんにバレるのだろうか、って怖くなった。
でも、よーく考えたら、私の返事が原因だと分かった。
私にはまだ、そこまでの心の準備ができていなかった。
いつでもいいよ、ではなく、一緒に考えよう、話し合おう、みたいな感じが、私の本心に近かった。
本心でないことを言ったから、影が横切った。
逆に言えば、影が横切ったことのない、今までのやり取りは、全部全部、本当だったということが分かった瞬間でもあった。
心と言葉を一致させること。
いつでもそうできるくらいに心をクリアにしておくこと。
そんな人間になれるように、私は今日も、自分の心と向き合ったり、泣いたりしている。
白目があるなら、形になったり、体裁を整えられたり、もっと言えばどうにでもごまかすことさえできるかもしれない。
その余白に、うわべだけのきれいなものを入れさえすれば。
でも、黒目だけで勝負できるのって最強な気がする。
クリアな心、そのまんまの声を言葉にのせて伝えること。
それは、理想の境地だ。
そういう人格になれるよう、私たちは日々生きて、修行してるのかもしれない。
そして、生きながらでも、そんな仏さまみたいな境地にたどり着けるんだよ、ということを、私はあの壁画から、画家の方から教えてもらえた気がする。
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