魂の世界と私
彼の気持ちとか、宇宙からのメッセージとか、きちんと座って瞑想して、受け取る準備を整えて受け取ることもあるけれど、それ以外にも、ぼーっとしてる時、寝入りばなとか朝目が覚めてうつらうつらしてる時とか、そういう時に私は受け取ることも多い。
今朝受け取ったのは、私とつながってくれたのは、彼の奥さんのおばあちゃん。
亡くなってもう二年近く経っているし、生前にお会いしたことも、私はない。
でも、何度も私とつながってくれて、お話してくれて、私に愛を送ってくれる、おばあちゃん。
孫娘の夫である彼を愛してる私に、可愛い孫娘から夫を奪おうとしている、そんな招かれざる客である私に。
おばあちゃんとのこれまでのやり取りは、私の過去記事「魂の世界からの応援」に載せています。
(ここにリンクを貼ろうと試みたけどできなかった笑)
久し振りにつながってくれたおばあちゃんは、やっぱりやさしかった。
そうして、
あんたがいるから、あんたと話せるから、私は上がっていけるんだ、って言ってくれた。
孫が可愛い、孫の幸せを願うのは当たり前。
孫の幸せを壊す奴を憎むのも当たり前。
でもそれは、孫しか見てない、そういう次元のこと。
もっと上の次元にいけば、あんたたちの愛こそがこの世には必要だ、って分かる。
あんたの姿を見てるから、あんたの愛を知ってるから、私はあんたと話そうと思った。
あんたを見ること、あんたと話すことで、私はより高いところに昇っていける。
それは、単に、孫とひ孫の幸せ、をせせこましく望んでるだけでは決して行けないような場所。
あんたのおかげなんだ、って。
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生きてる人間がきちんと生きることこそが、亡くなった人への供養、なんて聞いたことがある。
きちんと生きることで安心してもらえる、と同時に、きちんと生きることで、亡くなった人も、霊も、魂のレベルを上げていけるのかもしれない、と思う。
そうして、きちんと生きる、は多分、勉強して大学に行って就職して結婚して添い遂げて、とか、そういうことだけに限らない。
むしろ、こうでなくちゃ、みたいなのをどんどんどんどん削ぎ落として、自分ととことん向き合って、本当に自分が求めてるものとか生き方とかに出会えた時、自分の本質に沿った生き方をすることこそが、亡くなった人も喜ぶ、きちんと生きる、ことじゃないかな、って思う。
そうして生きることが、軽やかに、自分自身を愛して生きることが、多分、宇宙の望んでいることだ。
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