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家庭は仕事?

彼のことで相談してた時、占いの先生に
「お互いに、家庭は仕事、みたいな感じね」って言われたことがある。

仕事で疲れて帰ってきて、本来安らげる場所であるはずの家庭。

そこが、やっぱり仕事、であること。

つまり彼には、安らげる場所なんてない、ってことだった。

そして私はと言えば、夫への信頼感とかは最早なくなっている中で、ただ、子供たちを育てる、というやっぱり仕事として、母親としての責任みたいなもので、家庭にいたのだとも言えた。


家庭を仕事なんて思うのはひどい、家族が、子供がかわいそう。
そんなふうに言われるであろうことは分かっている。

でも、仕事みたいな一面もある、って考えることで、私にとってはいろんなことを割り切って、逆に穏やかな気持ちでできることも、あった。

仕事、だからこそ責任をもってやるのだ、と、これまでの全てのことに感謝をもって、私はこの婚姻関係を終わらせて、次のステップに進むのだ、と今はそんなふうに思っている。


次に私の中に出てきたのは、じゃあ、母親とのことも仕事、って考えたらどうだろう、っていうことだった。

母親が死ぬまで世話をする、葬儀を出す、母親が今住んでいる家を何とかする。

それは、間違いなく、私の仕事、だった。


仕事やりたくない、やめたい、って言ったところで、そうはさせてもらえない。

ほかにやる人いないから、私がやるしかない。


仕事キライだから、働かなくて済む時がくるまでイヤイヤやる。

母親キライだから、母親が死ぬまでイヤイヤやる。


どっちもあんまりかっこよくない。


どうせやらなければならないのなら、自分の時間を費やさなければならないのなら、少しでも楽しみを見つけて取り組んだほうがトクなはずだった。


母親だから、恩があるから、やらなくちゃ、やさしくしなくちゃ、とかは、私にはなかなか思えない。

本当はイヤだ、やりたくない、誰か頼れる親族がいるなら丸投げしたい。
私はそんなふうにしか思えない、ろくでもない人間だ。

でも、だからこそというべきなのか、仕事、と考えることで、少し、距離を置ける、割り切って考えられる。


なんであんな母親の面倒みないといけないの?
娘だっていうだけでなんで全部やって当たり前みたいに思われるの?


そんな思いが、多分、減る。

だって仕事だもん、って割り切れる部分が増える。

つまり、私はラクになる。



母親とは全然関係ないけれど、私には今、自分のことで願い事がある。

自分の健康面で。こうだといいなあ、っていうことが。

この間、ふっと、その願いは叶う、って、一ヶ月くらい、母親に本気でやさしくしたら叶うくらいのものだ、っていうことが、私には分かった。

エビデンスというの?そういうのは何もない。因果関係すら何もない。

でも、私には、そういうことが、分かる瞬間があって、今回は、そう、分かった。


だから、母親に本気でやさしくしてみよう、って考えた。

一ヶ月。

キリのいいところで、来月の夏至の辺りまで。

夏至まで頑張ると、残り半年、冬至まで、いい流れに乗れるから。


名付けて、母親にやさしくしてみようキャンペーン(笑)。
期間限定、夏至まで。


仕事でいえば、今月本気で頑張ってみる、そしたら昇給するかもしれないじゃん、ってそんなわくわくするような感じと共に。



母親とのことが仕事、であるならば、私はもう産まれ落ちたのが職場だった、みたいなものだ。

あったかくて安らげる家庭、ではなくて、職務を全うするための職場、に産まれたということだ。

そりゃあ、私にあちこち歪みが出たってしょうがない、当たり前だ、って思える。


でも、ここで、今、頑張れば、多分、私は魂的にレベルアップできる。

だから、私は自分のために、仕事をする。

母親の世話をする、という私の仕事。

心からの愛をもって、母親と接してゆく。

仕事に愛を込められるのは、かっこいいことだから。













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