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タイミングと縁

やっと、自分の中でこの人かな、という人に出会え直しのは去年の8月。

* * *

「花束」の投稿の時、別れの決め手になったのは親友2人の言葉だった。

「時間とお金をそこに使うのもったないないよ」
「私は、元彼と別れた後 “Love myself” の期間を設けたから今の人に出会えたんだと思う」

“Love myself”。言い換えれば自己受容。これは刺さりに刺さりに刺さりまくった。
この課題とは人生かけて戦ってきたけど、他の多くの人と同じように難しくて私は負けることの方が多かった。

でも好きではない人と付き合ってみて、
痛みを伴いながらもわかったこと

「自分を幸せにできるのは自分しかいない」。
仮に好きな人と付き合えたとしても!

誰かに幸せにしてもらおうという思考では永遠に私は幸せになれないんだ、、と彼のおかげでありがたいことに気づかせてもらえた。私自身で人生を充実させたり、自由に生きたりしなきゃいけない。「いけない」って言葉も、本来はきっと「していい」のような簡単で根源的なもののはず。

色々キャパオーバーして4月に別れてから、6月くらいまでは毎日依然として就活に追われてた。恋愛なんて自分から求めに行く心の隙間は残されてないけど、オリパラとか新しい出会いがぽつぽつある中で、
ある日ひょんなことから彼とは出会う。

0歳から私の幼馴染(♀)の大親友(♂)の彼(以下: 🦕)
この幼馴染が本当にいい子だから、この子の周りはいつも楽しい優しい人で溢れてるけど、🦕は私が今まで出会った誰よりも感謝と気遣いと気配りができる人だった。(と仲良くなるにつれ判明。初めは仲良くなれないと思ってた)


タイトルにもある「タイミング」、
よく恋愛では言われますが本当そうだなと思うわ。
もし私が、幼馴染のように🦕と高校で出会っていて、一緒の部活仲間だったら確実に親友ポジションだった。

けどこうして大学生終わりに(あっちは社会人1年目)、色んな人と出会ったり経験積んだりの後に巡り合った人だからこそ、彼の為人への信頼や関係性への安心感を基盤にして発展するんだろうなと。


「激しく赤く燃え上がる情熱の炎より、青く静かに燃える情熱の炎を」なんて言葉がありますが、まさしくだなと思います。

“love myself” を経た去年の下半期は、良いオーラが出ていたのか、ありがたいことに何人もの方から好意を寄せていただきました。珍しく自分の意中の人からも告白してもらえたのですが、、

「やっぱり」という一面が見えると辛いなと思うことがありました。それでも好きだと思ったり、好意を寄せてもらえる自分に多少酔っていたなぁと。

どんな時も、友達としてそばにいてくれたのは🦕で、誰に対しても私と同じように接していながらも、なぜか私のことを特別に思ってくれてるのも文面や誘いや二人でいるときの様子からも伝わって、なんて心地良いだろうとずっと思っていました。


お互いが自立した生活を歩んでいる基盤の上に、今の関係性があるからとても心地よい。安心して自分の人生を生きられるし、一緒にいる時も楽しいし、やっと「ここで落ち着きたい」と思える関係に出会えた。


これまでの人生柄はどうしても色んな人と会ってきた方だし、将来はまた海外にと思ってたくらい出会いはどんどん広げていきたい主義だったけど、

2021は良いご縁や出会いに恵まれたから、私の人生ここでもう関わる人区切っていいなと思えるくらい幸せだった。

これからも私自身と、私の周りのほんと少数の大切な人たちを幸せに問いのをモットーに、ゆるく人生生きていきます✌️

あー、4月から働きたくないなあ!!!!!!