25歳が思った「肩書き」というもの。
私は肩書きが小さい頃からほしいと思っていた。
ある程度はなんだっていい…それは
自分をわかりやすく表現できるし、
肩書きのイメージから理解してもらえるし、
役割が明確なる感じがしたから。
特に小学生の頃は
学年で1番足の速い〇〇くん
成績の良い〇〇ちゃん
学級委員の〇〇くん
運動神経抜群の〇〇くん
字のとても綺麗な〇〇さん
動物好きの〇〇 ←私
大学生なら
サークル代表の〇〇
起業した〇〇
イベント開催できる〇〇
とかとか。
私は大きくなってほしいと思った肩書きは、
「獣医さん」
その時は動物好きな自分と、かっこいい目でみられたい自分の気持ちから、動物のお医者さんになりたいと周りに話した。
小学校ではある程度、勉強できたらすごい!みたいなふうにいわれてたし、自分の存在意義がとてもシンプルに伝わりやすく、自分で実感しやすいと思ったから。
まあ25歳のわたしからすれば、あまい考えしてるなと思った。笑
でも、特に中学以降もなりたいことや好きなことがなかった私はやっぱり獣医さんになりたいと受験まで思った。
ところが、大学入ってわかるが
獣医さんになる人は大学ではまわりみんなそうだし、正直、大学にいる限りはこの世で「わたし」ができることって何?ってなるわけ。
動物治すのって、普通にかっこいいと思うけど動物治して自分はどうありたいのかはよくわからない。
最近、思うけど動物治したいの一心で獣医さんとして一生をささげる自分の人生を疑わない人を私は純粋に尊敬する。
私は、自分のために獣医さんになりたいと思ったから。
もちろん、獣医さんという肩書きを得るために目標で努力できることは素晴らしいと思う。
きっと、その過程でたくさん成長できるだろうと思ってる。
けど、その肩書きは自分の満足と安心感を得るためだけになるかもしれない。
どんなときも、答えは自分の中にある。
肩書きで自分をつくって、自分の中を隠してしまうのはなんか違う。
実は肩書きがない人の方が、素直に笑顔に人と接してるのを感じたことはたくさんある。
少なくとも肩書きに頼らず、自分を見つめているではないかと思う。
みんながそうだと思わないけど、肩書きって自分を誤魔化したりすることも場合によってはできるし。
でもね、自分の心の声をきけてるとき、肩書きはあってもなくても関係ないものになるときっと私は思う。