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キミと嘘、プラス心。15

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第十五章 発覚

 ようやく、ここに立つ意味を理解し始めていたところだった。
 食事会とは聞いていたけれど、やけに会場が整いすぎていて、まるで何かのパーティーが開催されているかの様に飾られた奥田ビルの最上階にあるレストラン。
 いくつものテーブル席には、名刺プレートが添えられていて、呼ばれたのが自分だけではないことにすぐに気がついた。
 事の発端は、雨宮さんと百代さんが帰ってすぐだった。


 まだ混乱する頭を整理したくてもなかなか情報と気持ちが追いつかなくて、ソファーに座り込んだまま意識を失っていたんじゃないかと思うほどに僕は無になっていた。
 部屋のデスクに置いてあったスマホが振動しているのに気が付いて、ようやく重たく閉じていた瞼を開き、腰を上げた。
 手に取り表示を確認すれば、いつも決まってため息を吐き出してしまう名前が目に映る。
 今日は食事をする気分になどなれないし、キヨミと奥田家がどんな関わりがあったのかを知るのもまだ怖い。
 そっと、着信に応えることなくスマホを置いた。
 直後、今度は父から着信が来る。
 胸がざわつくのを感じながら、恐る恐る無視はできないと着信に応えた。

『優志、今日奥田グループとの食事会があることを知っていたか?』

 少し焦るような父の声に、僕の心がますますざわめきだす。

「……いえ、知りません」

 僕の返答に父は少し黙り込んでから小さくため息をついた。

『お前と、奥田家長女江莉さんとの婚約を取り決めるお披露目会を開くと先ほど連絡が来たんだ』
「……え?」
『本当に急な話だ。今日の十五時から。場所は奥田グループ本社の展望レストラン。私も今まで何も聞かされていなかったのだが、もう一人うちから招待されていた社員はもうすでに招待状を受け取り済みだと言っていた』
「……江莉さんと、婚約?」

 父の言葉の中から、それだけしか拾い上げることができなかった。
 どうして?

『今から向こうへ出向いてどう言うことなのか話を聞こうと思っていた。だが、一つだけ聞きたい。優志、お前はこの話を受けるつもりはあるのか?』

 真剣な父の言葉に、しとしとと落ちてゆく窓辺の雨を瞳に映しながら、小さく首を振った。

「申し訳ありませんが、私は受けるつもりはありません」

 キヨミがいないと分かった今も、会社のためにだとか、諦めの悪い江莉のためにだとか、そんなことを考えることも当然なくて、答えは一つに決まっていた。

『そうか……』
「……すみません」

 父の落胆する声を聞いて、申し訳なさが募る。しかし、スマホの向こう側の父は怒ることも呆れることもなかった。

『お前が謝ることはない。だがしかし……もしも、向こうとの折り合いが悪ければ、優志、少しお前にはこれからの会社経営に負担をかけさせてしまうかもしれない。それでも──』

 まだ話している父の言葉を遮るのは初めてだった。

「そんなことは考えないでください。僕の会社は、僕が守って行きますから。まだまだ僕は甘えすぎている。これからはもう、守られてばかりいられないので」

 父にも、キヨミにも。
 僕はずっと、甘えていたんだ。優柔不断などと自分のことを卑下して身を守っていただけで、自分から行動を起こすことを恐れていただけだ。
 僕はなにも出来なかったんじゃない。
 なにも、しなかったんだ……誰のせいにもできない。僕がキヨミを失ったのは、紛れもなく僕自身のせいだ。
 だからもう、キヨミを亡くした今更、何を失っても怖くはない。

 予定されていた十五時。いつものスーツで奥田ビルまで来ると、車を降りた。
 入り口ではすぐに歓迎を受けて社内に入った。
 会社自体は休みのため、社員は誰もいなかった。時折、見たことのある父世代の男性達がフロアを歩いているのを見かけるくらいだ。目が合うと、会釈と一緒に何故か拍手を送られて、不審に思う。
 何も知らされていないのは、僕と父だけだったのだろうか。
 だとしたら、奥田グループはこんなことをしてまで沖野グループと繋がりを持ちたいのかと呆れてしまう。

「優志さん!」

 レストランのある階に降り立った瞬間、名前を呼ばれて振り返った。
 振袖姿で佇む江莉の姿に驚く。

「どうでしょうか?」

 恥じらうように上目遣いにこちらを見ながら近づいて来る。

「綺麗ですね、どうしてお着物を?」

 社交辞令で「綺麗」と言う言葉を使うが、何故こんな格好をしているのかが気になって仕方がない。

「あら、ご覧になってないんですか?」

 驚いたと目を見開く江莉の表情に違和感を感じながら、江莉が差し出した手の先に視線を向けた。
 会場となるレストランの入り口に看板が立っていて、そこには「沖野家奥田家・婚約会場」と書かれていた。

「僕はなにも聞いていない。これはどう言うことなんですか?」
「もう意地を張るのはやめてください。優志さんを幸せに出来るのはあたしです」

 ハッキリと断言されて、今まで江莉に対してもっと強く断ってこなかった自分に本当に嫌気がさしてくる。

「僕は君とじゃ幸せになれない」
「……なっ!」
「僕は、キヨミじゃなきゃダメなんだ」
「まだそんなことおっしゃってるんですか? うちの社員に手紙を届けさせたはず。ご覧になってないんですか?」
「……あれは、やはり君が?」

 穏やかに見せていた表情を一変させた江莉に、僕は問う。

「僕は手紙には一切触れておりません。父が目を通したようです。それを、電話を通して聞きました」

 キヨミの事故、そして、死。

「一つだけ……聞いても良いでしょうか?」

 震える声を落ち着かせながらゆっくりと聞く。苛立ちを隠せなくなっている江莉は腕を組み指先は落ち着かないようにトントンと動いていた。

「……なんでしょうか?」
「あなたは、僕がキヨミを探していたことを知りながら、それでも僕を食事に誘い、断り続けても真実を語らず、僕との結婚を望んできた。どうして、嘘を吐いてまで僕に執着するのですか? キヨミのこと、分かっていたならもっと早く、教えて欲しかった」

 江莉と会っていた時間が惜しい。そんな時間があったなら、キヨミを探すべきだった。

「そんなの……あたしが優志さんのことをずっとお慕いしていたからに決まっています」

 駆け寄り、寄り添うように腕に絡まってきた江莉に対して、全身がゾワリと粟立つ。思わず、拒むように突き放した。
 小さく「きゃっ」と悲鳴をあげた江莉に構わず、僕は湧き出た感情を吐き出した。

「それには応えられないと、何度もお断りしたはずだ! 知っていたんですよね? あなたはずっと、キヨミの所在を!!」

 会場にはすでに多くのゲストが集まっていた。
 会場外のフロアで普段あげたことのない大きな声で叫ぶ僕の声に、何事かと数名が駆けつけてくる。突き放されて床に膝をついていた江莉を見て、両脇から手を差し伸べる男たちに、江莉は泣き崩れるようにして両手で顔を覆った。

 百代さんから、奥田江莉と言う人間の全てを聞いた。
 約十年前、モデルを目指していた百代さんは、自分の体を利用して色んな男と関係を持っているという事実があったが、それはまったくの嘘であったこと。
 キヨミが百代さんと知り合って、僕とのことをたまに悩んで話していたこと。
 キヨミの話す嫌がらせは、証拠は何もないけれど、江莉の仕業で間違いないと、今となっては感じると、気がつけなかったことを百代さんは後悔していた。
 そして、キヨミを助けることができなくて申し訳ないと、僕に頭を下げてくれた。

「キヨミは、どうして事故に遭ったんだ……君はキヨミの事故のなにかを、知っているのか? まさか、キヨミに何かしたのか?」

 頭の中に、これまでの出来事がぐるぐると蘇ってくる。後悔と無念が次々と渦巻いていく。

「キヨミ、キヨミって!! なんなのよ! もう死んでしまっていない女のことなんてとっとと忘れなさいよっ!!」

 泣き崩れていたかと思えば、鬼の形相で江莉は立ち上がった。こちらを見る目は鋭く睨んでいる。ついに、彼女の本性が現れたかとゾクリと背中が寒くなった。

「事故なんてあの女の不注意でしょう? あたしが何をしたって言うの? あたしは! 優志さんの気持ちがあたしに向くように努力しただけよ。他には何もないっ!」

 振り乱した髪を押さえて、江莉は荒くなった息を整えるように深く深呼吸している。

「申し訳ないけど、僕の気持ちが君に届くことはない。今までも、これからも」

 はっきりと江莉に伝えた瞬間、ビル内の天井スピーカーから聞き馴染みのある声が響いてきた。父の声であることに気がついて、神経を集中させる。
 周りのざわめきも静かになって、みんなが聞こえてくる声に聞き耳を立て始めた。

「お集まりの皆様方、本日はご多忙の中このような会に出席頂きまして誠にありがとうございます。申し訳ありませんが、今日の沖野家奥田家の婚約発表はすべて、白紙に戻させていただきます」

 ざわめくフロアに、さらに父の声が続く。

「奥田社長と話し合った結果、金輪際、両社の取引含めまして関わりを無くしていく所存ですので、何卒、よろしくお願い致します」

 ぷつりと切れたアナウンス。
 父の少し怒りを含んだような言葉は丁寧に述べられたが、周りの関係者をざわつかせた。
 そして、身を震わせる江莉の姿が視界に入った。

「どう言うことなの!? 父を、誰か社長を呼んで! そんなこと絶対に認めないわ。沖野家との関わりを無くす? あり得ない! ねぇ! ぼうっとしていないで今すぐ社長を! 父を! ここへ!」

 取り乱して叫び始めた江莉の姿に、周りの招待客達は困惑し始める。いつも冷静に判断し、穏やかに努めていた江莉がこのように取り乱すことなど、今まで見たこともなかったからだ。
 僕を初め、周りで動揺する客達も徐々に混乱し始めていく。
 血走り、荒くなる呼吸で言葉を吐き出す江莉に気を取られていると、いつの間にか現れた百代さんが、江莉の頬を殴る勢いで叩きつけた。
 パシィンッ! と、ざわめきを一掃するほどの高い音を立てて、その勢いで江莉は床に倒れ込んだ。

「うるさい!!」

 仁王立ちで江莉を見下ろす百代さんの姿は、僕に向けていた表情とは似ても似つかずに仰々しく見えた。
 まるで、穢らわしいものを見ているような冷たい瞳。

「もういい加減にして! 自分勝手がすぎるでしょ? どうして自分のことしか考えられないの? あんたのせいで、あたしの人生はめちゃくちゃだった。別にあたしだけならそれで構わなかった! だけど! あたしの大切な人たちまで巻き込まないで!!」
「……百代、あんた!」

 ギロリと、叩かれた頬に手を当てながら振り返った江莉の顔は、もはや般若のようだった。

「ねぇ! キヨミさんを追い詰めたのはあんただよね? 優志さんからキヨミさんを遠ざけたのは、あんただよね? キヨミさんを悲しませたのは、あんただよね? ねぇ、あたし、キヨミさんを殺したのがあんたじゃないかって思って仕方がないの! ねぇ、答えろよ! あんたがキヨミさんを事故に見せかけて殺したんじゃないの!?」

 ふつふつと、声も大きく高く、息も上がっていく目の前の百代さんの姿に、僕は胸が詰まってゆく。
 キヨミは、江莉に苦しめられていたのだろうかと、不安が肺や胃を埋め尽くして気持ちが悪くなる。
 はぁ、はぁと、百代さんの息遣いが聞こえる中、かすかに江莉が笑った気がした。

「……何を言っているの? 意味がわからないのだけれど」

 ゆっくりと着物の裾を整えながら、江莉は立ち上がった。頬から口元にかけて赤く腫れているのが目に見えて分かる。

「もう、今日はいいわ。終わりにしましょう。解散よ。皆様おかえりになって」

 周りをくるりと見渡し、江莉は睨むような視線のまま一礼をして去っていこうとした。

「逃げる気!?」

 百代さんが後ろ姿に叫ぶけれど、江莉は振り向くことも立ち止まることもなく去っていった。
 再びざわめきが起こり、百代さんは「お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありません」「すみません」と何度も何度も、頭を下げていた。スタッフがその場の来場者に事の経緯を簡単に説明をして、「お引き取りください」と丁寧に頭を下げる。
 一体、何が起きたのかと、まだ気持ちも頭もついていけなくて、僕はそばにあったソファーに力無く落ちるように座った。
 と、胸ポケットでスマホが震えている。とても出る気になどならない。体がまず、動かないんだ。

「……優志さん」

 そっと呼びかけられて、ようやく頭を少しだけ傾けることが出来た。

「うちの父には、優志さんのお父様と一緒に私もキヨミさんの話をしてきました。江莉がどう事故と関わっているのかは分からないですけど、きっとキヨミさんを追い詰めていたことには変わりないと思うので、江莉としっかり話をしてもらえるように、話してきました」

 俯いたまま、百代さんがどんな表情をしているのかも分からずに呟く。

「……君は、江莉さんの妹なのに」

 なにがあったとしても、姉妹には変わりない。どこかで、家族の繋がりは切れずにあるはずだ。江莉があんな風に取り乱す様なことは奥田グループにとってマイナスでしかない。

「あたし、奥田の人間はみんな大嫌いなんです」

 狭い視界に、震える百代さんの指先が見えた。フロアの絨毯をさっきから行き交う足を虚ろに捉えていただけだったけれど、今は幾つもあった足はもう誰もいなくなった。
 外はいつの間に日が落ちてしまったんだろう。薄暗くなった静かなフロアに、百代さんの声が悲痛に響く気がした。

「父も母も姉も。みんな要らない。あたしのことを唯一認めて、褒めて、頑張れって励ましてくれたのは、キヨミさんでした。あたし、キヨミさんのことが大好きでした。優志さんのことを想うキヨミさんのことを知っています。だから、姉だろうと奥田家だろうと、あたしはあいつを許さない」

 そっと顔を上げて、百代さんのことを見る。キヨミのことを語る穏やかで悦びに満ちた表情をしたかと思えば、また鋭く冷たい瞳に変わっていく百代さんの姿に、悲しみが募る。
 どんなに江莉のことを憎もうが、真実がどうであろうが、キヨミはもうかえっては来ない。
 そう思うと、どうしようもないほどに悲しみが増していくばかりだ。


第十六章に続く↓

前回までの話はこちらから↓

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