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キミと嘘、プラス心。17

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第十七章 心、キミ逝く。


 空は晴れて、わずかに見えているビルとビルの間の闇に星が見える気がした。
 ザワザワと話し声が聞こえて、入り口から何人ものスーツ姿の年配者が出ていくのを眺めていた。
 パーティーが終わったのだろうか。
 隣に座っている孝弥も気がついて、息を呑む様に入り口を見つめていた。
 そこから誰が出てくるのを一番に待つのだろうか、とあたしは考えた。
 これから、モヨから沖野さんとモヨの姉が婚約を交わしたことを聞かされるのかと思うと、なんだかやりきれない。

「どう言うことなんだ、白紙に戻すとは」
「金輪際関わらないって、そしたらうちの会社にも何かしら影響してくるぞ」

 先ほどから、足早にビルを後にする人たちが迎えの車に乗り込むまでの間に、口々に困惑した様に話しているのが聞こえてくる。
 怒っている様な人もいたし、落胆している様に見える人もいる。パーティーで何があったのか、不安になってくる。

「モヨは……まだ中にいるのかな」

 ポツリと孝弥が呟く。
 あたしはスマホを取り出してモヨにメッセージを送った。
》今奥田ビル前にいるよ。今日のパーティーにモヨも参加していたの?
 沖野さんはこのパーティーのメインだから、もしかしたらスマホを見れる状況ではないかもしれない。モヨが気が付いてくれたら。
 そう願いながら画面を見ていると、既読の文字が表示された。

「孝弥、モヨが気が付いてくれたかも」
「え……」

》今優志さんと一緒。孝弥もいる?
《いるよ
 少し間をおいて、モヨから返信がくる。
》優志さんが沖野グループの車をエントランス前に呼んだから、それに乗って行って。あたしたちもすぐ向かうから
 隣で虚な表情をしていまだに入り口付近を眺めている孝弥。一台の黒塗りの乗用車がビルのエントランス前に止まったのが視界に入った。
 もしかしたら、あれのことかもしれない。

「ねぇ、孝弥、モヨがあの車に乗ってって」
「……え?」

 あたしが指差す方をゆっくり振り返った孝弥は、ようやく気を取り戻した様に瞳を大きく開けた。

「……あれって?」
「沖野さんの会社の車みたい。モヨもすぐに沖野さんと一緒に来るって」

 あたしもよく分からないけれど、孝弥もよく分からないと言った顔をしている。とりあえず、モヨに言われた通りに車に近付くと、運転席のドアが開いて運転手が降りてきた。

「永田孝弥様と雨宮詩乃様ですか?」
「……は、はい」
「どうぞお乗りください。社長もすぐにお戻りになられますので、一度我が社へご案内致します」

 後部座席のドアを開けて、中に入るように促される。信用して良いものか悩むあたしは、もう一度あたりを見まわした。

「これは沖野グループの車で間違いない。大丈夫だ」

 小声で孝弥が頷くから、あたしも続いて乗り込んだ。すぐに発進された車はテールランプの続く道路をゆっくり進んでいく。
 煌めく街の明かりは、夜とは思えないほどに眩しい。
 こちらにいた頃は覚えた道だけを、歩く日々だった。同じことの繰り返しで、自分のやるべきことの意味がわからなくなることもあった。
 世界は見渡してみれば知らないことばかりで、とても広いんだと感じる。もっと知ろうとすれば良かったのかもしれない。
 窓にうつる景色はどれも見たことがあるようでも、初めて見る感覚だった。

 沖野ビルへ到着したあたしと孝弥は、入り口で待っていた男性に案内されながら最上階へとエレベーターに乗り込む。開いた扉の向こうには、少し靄のかかった雨上がりの夜の夜景が広がっていた。
 それでも、やはり見慣れない景色に胸が高鳴る。

「すごい……」

 案内役の男性に「今しばらくお待ちくださいませ」と頭を下げられ、去っていくのを見届けた後に、孝弥がポツリとつぶやいた。

「俺はこの景色は嫌いだ」

 窓の外を見ることなく席に座り、頭を抱えるから、あたしも湧き上がる興奮を鎮めて、隣に座った。

「こんな狭い世界で、どうして大切な人を守れなかったのか、悔やみきれない」

 窓から見えた景色は壮大で広く感じたのに、孝弥にとっては狭い世界なのかと驚く。だけど、なんだかそれに納得できる気もした。
 広く見えていても、実際は狭いこの世界で、あたしも孝弥もモヨも、沖野さんもキヨミさんも、もがき苦しんで生きてきたんだ。
 それぞれが、それぞれの場所で。決して交わることなく同じ場所を歩いていた。
 出会うタイミングなんて、誰にも選べない。
 今、この時だから出会えたんだと、受け入れるしかない。受け入れたくないのなら、突き放すしかない。そうして、つながりは結びついていく。
 あたしが沖野さんに出会えた意味は、あるのだろうか……

「俺は、ねぇちゃんと出会えたことに意味なんてあったのかな」

 あたしと同じように孝弥も考えていたのか、ため息を吐くように力無く笑った。

「俺ばっかりが大好きで、幸せで、ねぇちゃんにも幸せでいてほしかった。ただ、それだけが俺の生きる意味だったのに」

 孝弥の俯く姿は無気力で、もう震えさえも感じ取れない。孝弥は、キヨミさんのことが本当に大好きだったんだと、あたしは胸が痛む。
 あたしは一人っ子だから、兄弟の存在がどう言うものかを知らない。兄や姉に憧れを持つ時もあった。弟や妹が居れば良かったのにと、寂しく思うこともあった。
だから、姉を失い喪失感に崩れる孝弥の気持ちも、姉に裏切られ嫌悪感を抱き続けるモヨの気持ちも、当然分からない。
 分からないけれど、抱える悲しみや怒りは深く重たいんだろう。二人が前を向いてまた笑える日が来るのは、これから先いつになるんだろうと、今は不安しかない。

 エレベーターが到着の合図を知らせる。あたしと孝弥は振り返った。ドアが開いて、先にモヨが現れる。続いて、沖野さんもこちらに歩いてきた。

「詩乃、孝弥、お待たせ」

 モヨが笑いかけてくれるから、なんとなくホッとする。
 後ろにいた沖野さんも、少し疲れたように影を纏っているけれど、笑ってくれた。
 座っていた孝弥が立ち上がって、勢いのまま沖野さんに向かっていくのを見て、あたしはハッとしながらも見守るしかない。

「……奥田江莉との婚約は、どうなったんですか?」

 いきなり本題に入る孝弥に、沖野さんは困ったように眉を下げた。無言のまま歩き出し、隣の部屋のドアを開けた。中へ入るように手を向けてくるから、それに従う。
 部屋の中は、モヨと一緒に来た時に通された部屋と同じ。もう、窓からの景色にあたしは驚かなかった。ただ、沖野さんが、孝弥が、モヨが、なにを語るのかだけが不安になる。
 沖野さんから一番離れた位置にあたしは座った。

「婚約なんて、あいつが勝手に決めたことだから、白紙に戻した。そして、今後一切、奥田グループとの関係も切ることになった」

 沖野さんより先に、モヨが口を開いた。口調は怒っているけど、どこかホッとしているようにはっきりと伝わる。

「僕は、初めから江莉さんとの縁談は断り続けていました。だから、今日のことももちろんお断りしました」

 真っ直ぐに孝弥を見つめて、沖野さんは言う。
 孝弥の疑う瞳が、緩んでから今度は悲しみの色を纏う。涙が溢れているわけではないけれど、どこか納得したように頷く孝弥は、持っていたカバンから何かを取り出した。

「……これ、ねぇちゃんの日記です」

 一冊の本のようなものを取り出して、沖野さんへ向けた孝弥。あたしは、思わず一歩みんなに近づいた。
 沖野さんが戸惑いながらもそっと受け取ったキヨミさんの日記は、厚い本型の日記帳。

「……僕が見ても、良いんですか?」

 沖野さんが確認するように聞くと、孝弥はコクリと頷いた。モヨも興味ありげに沖野さんの手元を覗き込む。
 パラパラと、ページを捲る沖野さんは、最初からゆっくりとキヨミさんの言葉を確かめるように目でなぞりはじめた。

 きっと、我慢できなくなってしまったんだろう。ゆっくり表情が歪み、眉を下げて口元に手を当てている。瞬きも忘れてしまったように日記帳から目を逸らすことなく、見つめている。
 途端に、沖野さんの瞳から、ポロポロと涙が溢れ出す。
 きっと、キヨミさんのこれまでの思いがそこには綴られているんだと感じた。
 沖野さんに伝わることのなかった本音を知ったことで、彼は涙を流しているんだと。
 嗚咽混じりに堪えながらパラパラとページを捲り、ついには、声をあげて沖野さんは泣き出す。日記帳を抱きしめ、ひたすらに「ごめん、ごめん」と、キヨミさんが目の前にいるみたいに謝り続けた。
 薄暗い外の景色が、より悲壮感を誘う。
 もう、そこに希望はないのかと、沖野さんの涙にあたしまでもらい泣きをしてしまいそうになる。
 膝から崩れ落ちた沖野さんは、体を小さく振るわせながら、泣く。
 大切な人を亡くした悲しみは計り知れない。
 あたしにはない経験だから。沖野さんにかける言葉もなくて、ただ見守るだけしか出来なかった。
 しばらく泣いた沖野さんは、椅子に座り直すと日記帳をもう一度開いた。そして、愛おしそうに開いたページを指先でなぞる。

「ありがとう……キヨミ」

 沖野さんの言葉に、孝弥は優しく微笑んだ。

「それ、沖野さんにあげます。姉ちゃんが伝えきれなかった思い、ちゃんと受け止めてやってください。そして、今まで俺の大切な姉ちゃんのこと、愛してくれてありがとうございます」

 スッと立ち上がって、孝弥は深々と頭を下げた。
 沖野さんは驚いた後に「ありがとう」と、笑った。
 よかった。みんな笑えている。
 きっともう、少なからず悲しみは受け止めている。前を、向き始めている。

✳︎
 肌を掠める風が、柔らかくなった。
 夏も、もう終わりに近づいている。
 キミのいた場所は、僕のいる場所に比べて暑さが穏やかな気がする。まるで、僕を許してくれるような、そんな柔らかい風に感じて、涙腺が緩む。考えるだけなら僕の勝手だ。
 キミは、もしかしたらまだ許してくれていないかもしれない。もっと、話をしたかった。分かり合いたかった。

 駅に降り立ち、雨宮さんに教えてもらった生花店、フラワーショップ・レインへ向かう。キヨミの好きだった花はなんだろうと考えてみるけれど、よくよく考えてみても、何も思い浮かばなかった。だから、お店の方にお願いして、適当に綺麗な旬の花を纏めてもらった。
 キミが最期にいたこの場所に、戻って来れた。ようやく、会いに行ける。
 長い間、待たせてごめん。
 ごめんだけじゃ、足りないだろう。
 キミと出逢えて、キミといて、愛し、愛されて、僕は本当に幸せだった。
 僕だけが幸せではいけないと、こんなにも大事なことを、どうしてキミは教えてくれなかったんだろう。責めてしまうのは良くない。
 だけど、キミが思い悩んでいたことを、僕に話してくれていたら、僕が気づいてあげれていたら。後悔ばかりが募って、悲しくなる。
 キミも僕も、きっと大人になりきれていなかった。「好きだ」とか、「愛している」だとか、言葉はあっても、きっと繋がりは緩く解けやすいものだったのかもしれない。
 一人で抱え込まずに話して欲しかった。キミが話してくれなかったのは仕方がない。そればかりは、全部頼りなかった僕のせいだ。
 今となっては、全て水の泡だ。

 手にしていた花束を、そっと墓前に供えた。
 ふと、お墓の横、雑草の生えた場所に視線を落とすと、そこに鈴蘭の花を見つけた。
 思わず、口元が綻ぶ。
 キミは、尚も僕との再会を喜んでくれるのだろうか。もう二度と会えなくても、ここに来れば、いつでもキミと再会できる。
 もうすぐ、キミと出逢った冬が来る。
 僕は懲りずに、窓の外にキミが現れてくれることを期待しながら、車を走らせるのかもしれない。
 笑ってくれていいよ。
 いつかまた、遠い未来でキミに出逢えると信じて、僕は強くなる。
 僕が歳をとってキミには馴染みのない姿になってしまっても、また見つけてくれるといいな、なんて、子供みたいなことを思っているよ。

 明日からは、キミの想いに恥じぬように、全力で生きることを約束する。
 だからどうか、安らかに。
 愛してた、キヨミ。
 ありがとう、さようなら。

 見上げた広い空に浮かぶ羊雲。雲の流れを追っていると後ろから声をかけられた。

「……沖野さん」

 すぐに振り返ると、雨宮さんが立っている。

「あたしも、キヨミさんにお花、持って来ました」

 手にしているのは、目にも鮮やかな黄色のガーベラ。

「それは……」
「あ、気が付いてくれました? うちの看板に描かれているガーベラです」

 僕が答えるよりも先に、彼女はお墓に花を手向けながら話してくれた。

「花言葉は、〝究極の愛〟〝親しみやすさ〟〝優しさ〟です。なんだか、全部キヨミさんみたいだなって思って、これを選びました」

 手を合わせて、雨宮さんは一生懸命に目を閉じたままキヨミにきっと話しかけている。

「嘘ついて……ごめんなさい」

 ぽつりとこぼした雨宮さんの言葉に、僕は首を振る。

「あの日、雨宮さんと出会わなければ、きっと僕はキヨミのことを何も知らずにただ後悔して生きて行かなければならなかったんだと思う。
雨宮さんがついてくれた嘘が、キヨミと関わった人たちを結びつけてくれた」

 百代さんや孝弥くん。他にも、たくさんの人にキヨミは愛されていたんだと知ることができた。何も知らなかった僕に、みんながキヨミのことを教えてくれた。

「僕が愛した人は、やっぱり素晴らしい人だったんだと、改めて感じたよ。ありがとう、雨宮さん。あの日あの時、僕に声をかけてくれて」

 こちらに振り返った雨宮さんに微笑むと、彼女も安心したように微笑んだ。

「そして、出来ればこれからも、キヨミと繋がる縁を大事にしていきたいんだ。良かったらまた、孝弥くんや百代さんもまじえて、食事でも」
「……はい、ぜひ」

 空がこんなに広いなんて、知らなかった。
 毎日毎日、すぐ目前のことばかり気にして過ごしていた。高みに登ろうと必死になっていた。目指すところは、すぐ目の前の壁を超えたところにあると。周りが見えずに盲目になっていた。
 世界は、こんなにも広くて美しいことを、思い出す。
 あの日、僕がこの街へ来たのは、現実逃避の為じゃなくて、キミと出逢うためだったのかもしれない。何も知らない地に降り立って、何も知らないことに恐れて、自分の知る範囲の中で動くことしかしてこなかったから。
 キミが、僕を狭い世界から引き出してくれたんだと、今なら感じる。
 見上げた青い空に、キヨミの影が見えた気がした。
 キヨミが繋いでくれた人達の絆は、絶対に離したりはしない。これから先、僕が守っていくから。キミが残してくれた言葉の通りに、きっとやり切ってみせる。

ーユウくんは自信を持って前に向かって。ー

 キヨミが日記に残した言葉を胸に、前を向いて歩き出す。
 曇り空から一筋の光が差し込んでくる。
 やがて、世界は明るく照らされる。鬱陶しい梅雨が終わり、晴れを迎え入れ、落ち着いた気温に、キミと再会した冬が来る。そうして繰り返す季節の中で、僕はまたキミのことを想っては、前を向く力に変えていく。明日への一歩がきっと、明るくなる。

 キミと出逢えた奇跡に、心はずっと強くなっていく。


前回までの話はこちらから↓

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