八月
彼に初めて出会った八月がまた来てしまった。
近頃の私といえば、エステに通い、去年より10キロ痩せた。
目標だった仕事に就けるようになった。
研修に積極的に参加したり、さらに自分磨きを頑張ったおかげか、周囲から仕事面でも外見面でも褒めてもらえるようになった。
前よりも素敵な自分になったはずなのに、また何も手につかなくなってしまった。
前回投稿した中にもあった彼女の助言通り、没頭することで彼を忘れられている瞬間はいくつかあった。
エントリーシートをひたすら書きまくっていたり、学校の研修に行ったり、好きなバンドのライブに行ったり。
確かにそれに尽力していたときは彼のことを忘れることができていた。
でも、逆にそれ以外の時間はどっぷりと彼のことを考えるようになってしまった。
お酒を飲まなくなったせいで逆にすぐに眠れなくなった。
ベッドの電気を消しても、後ろから抱きしめてくれる彼がいないことが苦しくて、彼に連絡しようと携帯に手を伸ばす自分を必死に止めながら、一時間以上ひたすら泣いているようなことも日常になってしまった。
泣き疲れて眠れたとしても、目が覚めると彼がいないことが受け入れられず、頭が痛くなるぐらいひたすら眠り続けた。
彼の嫌な部分ばかり思い出してしまうのに嫌いになれない。
いつも年下扱いしてくるとこも、元カノの話ばかりしてくるところも、一方的にいくつも約束をしてきたのに守ってくれなかったところも。
そもそも、生徒と先生である関係なのに簡単に私の誘いにのってきたところも。
彼となら私がずっと欲しかった普通の幸せが得られると思っていた。
今の立場が変わって、関係が咎められなくなったら私の家を飛び出して、色んなところに行けるんだと思っていた。
なのになんで今私はひとりぼっちで家のベッドの上で泣いているんだろう。
2年前、「同性であること」を理由にずっと大好きだった子に振られた。
そのせいか、彼を好きになってからは、無意識に異性を好きになった安心感にあぐらをかいていた。
彼に触れられる度に、心は男でも女でもないのに女の体で生まれてきた私を肯定してもらえているのだと思えた。
彼と一緒にいられるのなら「女性」のレッテルを貼られても良いと思えた。
彼より前に好きになった人に対して性的欲求が向かなかった。
だからキスもセックスも死ぬまでしないものなのだと思っていた。
ずっと男性不信で、同じ空間にいることすら苦しかったのに「触れたい」、「触れられたい」と思える相手に出会えたことは奇跡だと思った。
今まで実家にもどこにもなかった私の居場所は彼の腕の中にあったのだと、そこならもう傷つくことも泣くこともなく、ただただ幸せに暮らせると幼い私は信じてやまなかった。
私が弱音を吐くと、いつも彼は「頑張って」と言ってくれる。
でもいつまで頑張れば良いんだろうと最近は思ってしまっている。
もっと私が頑張れば、強くなれたら泣くことも無くなるのだろうか。
彼への執着も無くなって、素直に彼の幸せを願えるようになるのだろうか。
去年の8月、初めて彼と目が合った時の彼がどんな顔をしていたか今でもはっきりと思い出せる。
思わず足が止まり、そのまま彼の大きな黒目に吸い込まれそうだった。
その瞬間に孵化した小鳥のように彼の存在が私の中に刷り込まれてしまった。
ここまできたらもはや呪いのようにさえ感じてしまう。
その時は彼と付き合うことも、人生の中であんなに幸福な時間が来ることも、そのせいで死のうと思うほど苦しむことになることも想像できなかった。
来年の8月は誰とどうして過ごしているんだろう。
彼がまた私の隣で笑ってくれていたらいいな、なんて今は思ってしまうけど。
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