そもそも②
ついにその日はやってきた。彼がバイト先にくる日だ。
彼が来ることは店長さんと女将さんにも報告しており、「ハンバーグ作ってあげてね」とひき肉も買ってもらっていた。
ずっとドキドキしながら開店準備をし、ドキドキしながらハンバーグをこねていた。
やっぱり来ないかもと少し思いつつも、どこか彼は来てくれるという自信もあった。
そんなこんなを考えている間に彼が来てしまった。
緊張しすぎて「いらっしゃいませ」すら言えず、店長さんが気を利かせて買い物に行ってしまったせいでめちゃくちゃテンパってる中、狭い店内で2人きりになった。
兄弟の話だったり、次の日のテストの話をしたと思う。
初めて見たマスクを取った彼は少し歯並びが悪くて唇が厚い、と思った。
でもその横顔はいつまでも眺められると思った。
何を話そうかと考えながら上の空で返事をしているうちにハンバーグが少し焦げてしまったりもした。
彼が食事を終え、そこそこお酒も飲み、一服した後に帰ろうとした時、ちょうど店に道を尋ねる人が来た。
彼はお会計をしようと立ち上がっていたのだが店長さんはそれの対応をし、私は店長さんに遮られたため彼のところに行けなかった(キッチンからホールへ行く通路はめちゃくちゃ狭い)。
今思い返すと、この人たちが来ていなかったら、私たちは付き合っていなかったのかもしれない。
結局彼は諦めてまた座ってしまい、店長さんと話をしていた。
店長さんはさっき彼が帰ろうとしていたことに気がついていなかったのか「よければ何か飲ませてあげて下さい」と彼に言ってくれた。
そのおかげで初めてじっくりと2人で色々な話をすることができた。
音楽の話、兄弟の話、将来の話。いつもより優しく微笑む彼を見てお酒が入ったらこんな風に笑う人なんだ、と思った。
私がダメもとで「彼女さんいないんですか」と聞いたら「おったら来る訳ないじゃん」とニヤニヤしながら言ってくれたのが嬉しかった。
連絡先を交換したいと提案したら「ほんまはあかんけど」と言いながらも携帯の画面にLINEのQRコードがばっちり写っていてずるい人だなあ、と思った。
私のバイト先の素晴らしいところは、私しかアルバイトがいないところと働きながら酒を飲んでもいいところなのだが、この日は心の底からここでバイトしていてよかったと思った。
私の作ったハンバーグを美味しかったと目をキラキラさせながら何度も言ってくれる彼のことをもっと好きになった。
そこから付き合い始めたのは2日後。
この関係が変わる日が来るなんて、インターフォンに彼の姿が映っているのを見ても、私の部屋のベッドに彼が腰掛けているのを見ても現実味が湧かなかった。
これは全部お酒のせいで見えている幻覚なのかと、意識を保つためにずっとお気に入りのポムポムプリンのぬいぐるみを抱きしめていた。
次の日も仕事があるのに私のために深夜にチャリを飛ばして家まで来てくれる人がいるだなんて想像もしたことがなかった。
バイト先に誘った日からまだ1週間も経ってはいなかった。
恋人と抱きしめ合いながら寝るのは漫画の中だけの出来事だと思っていた。
薄闇の中でお互いの存在を確かめ合うように何度も何度もキスをした。
彼もお酒を飲んでいたからか唾液は甘いお酒の味がした。
あんなに怖かった男の人に好きなように触れられているのに、嬉しいと思っている自分がいることに驚いた。
縋り付くように抱きしめてくれる彼も1人が嫌いなんだろうな、と抱きしめ返しながら思った。
電気を消した後に彼がかけてくれたはずの布団は、寝る前には下敷きになっていた。
その日はカーテンを閉め忘れていたせいかいつもより早く目が覚めた。
隣でまだ寝ている彼の寝顔を見た瞬間に湧き上がって来たのは、愛しさより罪悪感だった。
馬鹿だよなあ、私なんか好きになっちゃって。バレたら首になっちゃうんだよ。
まだちょっとしか話してないのに、好きになってはいけないと何度も予防線は張っておいたのに。なんで私なんか。
思い返せばその頃からもう拗らせまくっていたのかもしれない。
初めて両思いになって付き合ったものの、お互いの立場上大っぴらに周囲には言えない。
普通に近場にデートにいくこともできない。
それは昨日の夜も話して私が「それでも」と言い、付き合うことにはなったが、本当は彼が私から心が離れていくことが怖かったからだった。
この機会を逃すともう付き合えないかもしれない、他の人を好きになるかもしれない。
結局私は自分のことしか考えていなかったのだ。
だからわざとすぐに別れようと思った。でも、私からは言えない。
適度に嫌われて、彼にこのままの関係が続くことはいけないと悟らせて、一旦別れよう。お互いの立場が変わったらまた付き合えばいい。
あと半年か一年近く彼の一番近くに居られなくても20年後、30年後も彼の隣に居られるのだったらいいじゃないか。
「次付き合う子とは結婚考えてる」って彼も言ってたし。
きっとそうなる。
大丈夫。
だいじょうぶ。
案の定1ヶ月も経たないうちに彼から別れ話はきた。
その前の週から彼が熱を出したり、私が風邪をひいたりして会うことができなかったり、彼の仕事が忙しくなったりしたこと、彼から毎日来ていた「おはよう」のLINEがなくなったことなどからその兆候はあったのだが。
「同じマンションに学生がいる」「付き合うまでが早すぎた」「価値観もあってないし」それ以外にも色んなことを彼は言っていた気がする。
でもそれが今まで彼がしてくれていたこととは正反対のことばかりで受け止めきれなかった。
急に深夜に電話をかけて来るのは彼からだったのに、電話は苦手だと言われた。
一緒にいる時にいつもひっついてくれていたのに、ベタベタするのは好きじゃないと言われた。
電話の向こうにいるのが本当に彼なのか信じられなかった。
合鍵を渡したことも、重いと言われた。
「こういうものはもっと信頼できる人に渡しなさい」と諭してきた。
私の家の合鍵は1つしかない。だから恋人ができたら渡そうとずっと思っていた。
心の底から信頼できる人なんて、彼しかいないのに。誰よりも信頼しているのはあなたなのに、なんでそんなこと言うの。
「りんには幸せになってほしいから」だなんてそんな無責任なこと言わないでよ。
それでも「一旦リセットしよう」と彼が言ってくれたそれが希望だった。
以前の関係に戻ることは一時的なものなのだとお互い思っていればまた戻れる、恋人同士になれる。
行こうって約束していた水族館も温泉も、街中でのデートだってどこへだっていける。
彼が作ってほしいと言ってくれた朝ごはんだって、何回でも一緒に食べれる。別れるのは今だけ。
そう信じてやまなかったから別れてからしばらく経っても泣かなかった。
そこからメンヘラ大暴走に至ってしまったきっかけはそれから1ヶ月後の電話で彼に「(関係が変わるまで)待ってって言える訳ないじゃん」と彼に言われたことだった。
じゃあ、なんであの時「一旦」なんて挟んできたんだよ。
じゃあ、なんで私はわざと別れようとしたんだろ。ただの馬鹿じゃん。
そりゃあ私以外の人と付き合えば何も気にせずデートできるでしょ。
6つ下の私とは違って、歳が近い人と付き合ったら、結婚だって子供だってすぐできるのかもしれない。
キスだってセックスだって、私みたいにいちいち戸惑う人よりも経験豊富な人とした方が楽しいんでしょうね。
いつまでもこんなにグダグダ言ってすみません、本当に。
いまだにLINEの履歴を見返しているし、ゲシュタルト崩壊しそうなほど一緒に過ごした時間や、彼からかけられた言葉を思い返している。
あなたがまた東京に住みたいって言ってたから、就職先も東京に変えたのに。
仕事も年内に辞めるかもと行っていたくせに、彼とは今も学校で会っている。
どういう気持ちで優しくしてくれてるんだろう。
子供扱いしないでよ。
私はあなたじゃないとダメなのに、なんで私じゃダメなんだろう。
結婚は妥協だなんて言ってるくせに、なんで妥協して私にしてくれないの。
誰よりいい奥さんになるのに。いいお母さんになるのに。
好きだとか可愛いとかたくさん言ってきてたけど、それって、こんなにすぐに変わっちゃう程度の気持ちでも言えるものなの?
ねえ、辞める前に生徒と遊べて満足した?
私はこんなドロドロとした感情を全部飲み込めるほど大人じゃなかった。
全てを捧げた人だし、私だけだったとしても、結婚まで考えた人だ。
私だって、あなたみたいに簡単に割り切れるならそうしたいよ。
いくら子供だと思われても吹っ切れられてないのに「他の人とお幸せに」なんて言うもんか。絶対に。
ここに書いてあるようなことは大概彼にも言ってしまっているし、家庭環境も洗いざらい話したおかげで私がメンヘラ化した原因もおおよそ把握してくれている。
そのせいで、めんどくさい女に完全認定されてしまっているが、まあ私には別れた後に一度ほぼ地の底まで落ちた彼からの好感度を、現在までに普通よりちょい上(当社比)にした実績がある。
後は彼が転職して!!
マッチングアプリとかを始めないことと友人から紹介してもらう女性が彼のお気に召さないこと!!!!
私と定期的に飲みに行ってくれること!!!!!
家に遊びに行ったり約束していた水族館に行ってきゃっきゃできるような知り合い以上恋人未満の関係になること!!!!!!!
それが揃ったら!!!!復縁できる!!!!!!と信じて生きている。
彼は自称「冷たい人」らしいのだが、ちょろいことには私の中でかなり定評があるので()ぜひ結婚までこぎつけたい(ニッコリ)。
彼と付き合った経緯は流石に長すぎるからかなり端折ったし珍しく2本にまとめた。
しかし「こんだけ色々あったらまだ引きずってもいいでしょ!!?」と言い訳するためのものなので、いつかこんなブログを書いていたこと自体笑い話になってほしいな、と思いつつ、私はまた今日もこつこつと記事を書く。
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