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息子がつくるごはんはおいしいだけじゃない

 我が家の3歳の息子1号は料理が好きだ。わたしがキッチンに立つと、ダイニングの椅子をずりずり引きずって、隣に立つ。もちろんわたしは呼んでいない。

 マイエプロンもマイ包丁も持っていて、卵を割るのも慣れたもの。2歳ごろからキッチンに立ち続けた彼はフライパンの上のフレンチトーストを華麗にひっくり返したりもする。

 そんな彼は2か月ほど前からお料理教室に通っている。同年代の女の子に混じって、張り切って腕を振るう姿はとても頼もしくて、かわいらしい。

 お料理教室では、30分ほど料理をしたあと、簡単なドリルをする。文字の読み書きや数字を数えたりする等のお勉強っぽいことが大嫌いな彼は、その時間になったとたん一瞬にしてフリーズする。まさに無。ドリル書かれた質問や迷路などをなんとなくぼそぼそと答え、ただただその時間が過ぎるのを待つ。先ほどまでの張り切り具合とは天と地ほどの差がある。少しばかり小学校に行きだしたときのことが心配になるが、まあそのうち興味持つかな、とわたしは少しばかりの焦りを見て見ぬふりをして、帰宅後に彼の作った料理を味見することに思いを馳せる。

 毎回張り切って参加している教室だが、前回少し手間取って、調理する場所に立つのが遅れた。出席のシールを貼ることだったり、手を洗ったり、エプロンをつけたり、そういった事前準備がなんとなくうまくいかず、先生が説明を始めたときに間に合わなかった。(先生少し待ってよとも思ったが、ここではそういうことには触れないでおく)

 彼は自分だけが置いていかれたような気分になったのだろう。泣きそうな顔をして、わたしの顔を覗き込んだ。わたしは彼をぎゅっと抱きしめて、一緒に包丁とまな板の前に行って、大丈夫だよと手を握った。

 息子は元来、切り替えが早いタイプだ。それに大好きなお料理教室。ニンジンを懸命に細切りにしたり、先生の質問に答えたり、調子をすぐに取り戻した。わたしはほっとして、彼のそばを離れた。完成したプルコギは大人が作ったと言っても誰も疑わないレベルで、とても美味しかった。調味料をつぐところなど、もちろん先生が手伝ってくれたところも多々あるが、親バカなわたしから言わせたら天才的である。

 完成した料理を自分のお弁当箱に詰めて、バックにしまう姿はどこか誇らしげで、小さな手が大きく見えるほど。わたしは冒頭の躓きをすっかり忘れてしまっていた。

 けれどその日の寝かしつけのとき、暗い部屋で彼が言ったのだ。

「ママ、ぼく悲しかったんだよ。お料理教室のときママが隣からいなくなったでしょ。どうして離れちゃったの」

 わたしはただただ息子に謝った。小さな体を抱きしめてごめんね、と何度も。彼はきちんと言葉にして、悲しかったと気持ちを訴えてきた。そこでわたしはその出来事を思い出した。そして、目に見えないところで息子は頑張っていたり、悲しんでいたり、辛い思いをしていると気付かされた。

 よく笑い、よく遊び、泣いていてもほんの数分でけろりと遊びだす。ちょっと転んだくらいじゃ泣かない。そんなあっけらかんとした姿を普段から目にしていて、わたしは息子に甘えていた。彼はまだ人生3年目なのだ。いつもの日々に初めてのことや慣れていないことが溢れていて、刺激的。そんな日々を彼が送っていることを忘れていた。

 息子のまっすぐな言葉はわたしに気づきを与えてくれた。大人にとってはなんでもないことでも彼にとっては大きなことであること。人生3年目にして不安を隠すことができること。言葉にしないと分からないことがあること。

 そのあと息子は朝までぐっすりと眠り、やはり次の日はけろりとしていた。見えない敵と真剣に戦っていた。ポーズも様になっていて、技も多彩だ。夕食の準備のときはいつものようにお手伝いをすると椅子を引きずってきて、ごはんを茶碗によそってくれた。

 息子、ありがとう。またママが何か忘れたり、気づかなかったりしたら、教えてね。しゃもじを握り、一生懸命ごはんをつごうとしているその横顔にそっとつぶやいた。

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