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「最悪のタイミング」で良かった!

なんでこんなタイミングなんだろう?

ずっと鎌倉のレストランやバーについて本を書きたいと思っていて、それが具体的に動き出したのが一昨年。担当編集者と話し合って鎌倉が一番いい季節ということで、4月の刊行を決めた。女性誌やライフスタイル誌がゴールデンウィーク前後に鎌倉特集を組むことも視野に入れていた。

連載していたものに書き下ろし部分の原稿を加えて、今年1月に締め切りから少々遅くなりながらなんとか渡した。おっかなくてしっかり者の担当編集者には「刊行、ずらしますよ?」と二度ほど脅され、関わる人たちすべてに迷惑をかけながらも無理矢理間に合わせた。いや、間に合わせてもらった。私の本にイラストが入るのは初めてで、そちら方面にもかなり強引なことをしてもらったはずだ。

しかし、原稿を入れたあたりから新型コロナウイルスという単語がニュース番組で聞かれるようになり、校了(書いた原稿の印刷サンプルで確認して GOを出す作業)の頃になるとかなりシリアスになってきた。鎌倉でも感染者が出たと報道があった時は生活者としても、鎌倉に関しての本の著者としても、ショックだった。

プレスリリースの文面の確認をする一方で、刊行記念のトークイベントは告知前に中止になった。いつもなら刊行に先駆けてインタビューを仕込んでもらったりするけれど、あっという間にそれも頼みにくい状況になった。

私は、数年前インフルエンザになった時に高齢の母に移してしまい、母は肺炎を起こして1ヶ月も入院した。そのことがあるからかなり神経質に対策をしている。マスクは二重、外出の際は医療用手袋をして、髪はまとめる。アルコール消毒をし過ぎて顔がかぶれてしまったぐらい。

それでも、本が出る頃には少しはましな状況になっているだろうと思っていた。思い込もうとしていた。春分の日から始まる三連休、鎌倉には観光客があふれていて、それがニュースになっていた。複雑な気持ちだった。街にウイルスがうごめいているようにも見えた。見本が出来てきて知り合いの編集者に紹介を頼んでも、「今、鎌倉はちょっと…」と言葉を濁されたりもした。致し方ないのだけれど、やっぱり落ち込んだ。

イベント関連の仕事をしている友人から「出版はまだいいほうじゃない?」とLINEをもらった。すべてがキャンセルになって、その後始末に追われているという。いやいや、私だって、例えば、映画についてのエッセイを書いたら映画そのものが公開延期になってしまい、原稿はペンディング。この先、そんなことが何回起こるのだろうか。不況になったらますます本は売れないだろうし、などと思ったりもした。

オリンピック延期が決まったタイミングで、堰を切ったようように感染者が増えたのは周知の事実。神奈川県での感染者が170を超えた翌日、『鎌倉だから、おいしい。』という本が刊行された。私が行きつけの店を中心に26軒のレストランやバー、カフェなんかについてのエッセイである。担当編集者も単なる店紹介の本には留まらないようにとあれこれ考えてくださり、私なりに「いい店とは何か?」を感じ、考えたものだ。

子供の頃から外食が好きだし、育った街には愛着があるし、ずっと心の中にあったテーマだし、はっきりいって自信作だった。それがこんなタイミングで刊行とは。

もう最悪じゃん、と思った。私、ツイてないなあ。

何しろ未知のウイルスである。みんなどうしていいのか、わからない。飲食店はキャンセルが相次ぎ、悲鳴をあげている。外出自粛以降は街から人が消えた。そんな時期にレストランやバーについてのエッセイなんて、需要あるんだろうかと暗い気持ちになった。週末は本屋も休んでいるところが多い。

原稿で取り上げた各店にはサインを入れた本を送ってもらった。すると、何人ものシェフや料理人、オーナーに連絡をもらった。 みなさん、言葉の違いはあれど、この本で勇気付けられたといった内容だ。私は恥ずかしくなった。

本は無事に刊行された。数ヶ月後には印税も入る。SNSでは「お家時間のお供にいかがですか?」と呼びかけることだってできる。それなのに、インタビューがないなんて不満をいったりして。自分のことしか考えてなかったよ。

この自信作が、私がいつも楽しませてもらっているレストランやバーやカフェの方々の気持ちを少しでも前向きに出来て、はげますことになっているんだったら、何よりも嬉しいことだ。このタイミングで良かったのだとしみじみ思った。

元々、本ってそういうためにある。情報を得たり何かを簡単にするためのものではない。

本は心に栄養を送るために存在しているのだ。それを忘れそうになっていた。反省。



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