育む人▶佐藤翔平。仕事と人と地域と一緒に生きる
佐藤翔平さんは、どう出会うかでその印象が変わります。ライターとして、カメラマンとして、神楽の舞手として、農家として、企画者として、ウェブディレクターとして、地域のガイドとして。
まだまだ挙げても良いのだけれど、佐藤翔平はなにかひとつの中心では捉えられません。どこで出会って、何を共にして、どう語り合うのか。そのタイミングと内容で、それぞれの佐藤翔平像があります。
けれど、そんな状況に本人も困っていました。
「ほんとに『何してるかわからん』っていわれるんですよ。だから自分の仕事を説明するようなことがしたくて」
そんな言葉から始まったのが、この佐藤翔平さんをめぐる記事です。佐藤さんが生まれ育ち、今も活動の中心とする宮崎県の高千穂町で、どのような仕事を、どんな思いでおこなっているのかを聞きました。
ひとりの中にある、いろいろな私
「今日はいろいろもってきたんですよ!!!これなら分かりやすいでしょ!!!」
という言葉と共に現れた佐藤さんは、”いまの仕事”を身に着けていました。
頭には神楽の際に頭にまくタクリ、ジャケットは地元の消防団、手にはパソコンと資料ファイル、首からカメラを下げて、サウナパンツという出で立ち。まわりから「何をやっているかわからない」と言われるのもうなずけます。けれどこれらが共存するところが佐藤さんのおもしろいところ。
「いま取り組んでいたり、関わったりしているものをあげると10個くらいになります。神楽の舞手、消防団の団員、農家、農家の支援、高千穂のガイド、ウェブ制作会社のディレクター、いろんな企画立ち上げ、ライター、写真、動画、そして無人古本屋の店主です。」
地域のことからクリエイティブの制作業務までその仕事は多岐にわたっています。佐藤さんを見ていると、どれかが中心で、どれかがサブということでもなさそうです。なぜひとりの中に、これだけ多岐にわたる仕事が並走しているのでしょうか。
公務員として4年、フリーランスとして活動して4年
高千穂町で生まれ育った佐藤さんは、一度県外に出た後8年前にUターン。その後、高千穂町役場に4年間務めることになります。
「持ってきたこのファイルは役場時代の給与明細なんですよ。高校生に見せるとその場が沸きます。公務員っていろいろイメージがあるとおもうんですけど、実際のところを伝えるのに使ったりしています。」
主に農業関係の業務に携わり、様々な行政手続きや、農家への支援を実施。公務員としての業務と平行しながら、高千穂や宮崎を盛り上げる活動にも力を入れ、様々な活動を展開します。
「今よりも、地域をなんとかしようっていう思いが出てきた時期だと思います。このときの役場での仕事の経験が、いまの農家さんの支援の仕事につながっていますし、当時携わっていたローカルメディアを運営する中で、初めてカメラも買いました」
いまにつながるルーツとなるような4年間を経て、独立。2022年はフリーランスとして働いている期間が、役場で働いた年月を超えた年でもありました。転機のひとつは、独立する際に抱いたひとつの思いだったと言います。
「地域という大きな枠をなんとかしようとする前に、まず自分のことをどうにかしろよって思ったんですよね。お前は何ができるんだっていうところから、このままだとやばいじゃんと思って」
「自信がない」から、全部をがんばる
「フリーランスでスタートするときに、自分の方針で、こうやっていこう、こうしていきたいっていうのは全然考えなかったんですよ。外圧とか流れでここまできたんです」
“まずは自分のことをやれ”という思いから始まった仕事がここまで広がったのは、佐藤さんの根っこにある性格が影響しています。
「基本的に全部自信がないんですよ。これは自分の性格の問題なんだと思うんですけど。だから、何かに向かうときに、『本当に自分で大丈夫なのか』っていうのは常に思っています」
だから仕事に向かうときは、背筋が伸びる。
「そのときそのときで全力を出さないといけないんです。自信がないから。バイト行く直前まで嫌だなぁ、どうしようかなぁって思っていても、いざ行くと、よっしゃがんばろうってなるのに似てる心境でいつも仕事してます笑」
「隙間」を埋める仕事は現地にいるからできること
佐藤さんは、自分の仕事を「再現性がない」と笑います。それは、特殊なことをやっているからではありません。
「ぼくの仕事って、『隙間を埋める』ってことだなと思うんです。写真が足りないなら写真撮りますよ、文章が足りないなら書きますよ、ウェブがないから作りますよっていうように、○○が足りないんだったらこれをしますよ、なんです。隙間全部埋めれますって感じですね。
そしてこれは現地にいないと無理だと思うんです。特に高千穂は、神話をはじめとして地域の物語が無数にあって、そこに人それぞれの背景も無数にあって、その中でみんな仕事をしているんですよね。だから、そこをきちんと汲み取らないといけないと思うんです。だから再現性もないし、現地にいないとできないと思ってます」
これは解決策がまずあって、それを問題に当てはめるかたちの課題解決とは真逆の仕方です。問題に合わせて解決策を作っていく。その仕事の姿勢こそ、ひとりひとり、ひとつひとつの仕事に向き合っているからできることでしょう。
日本全国の地域で、誰かが提供する一見万能そうな解決策が輸入されていく中で、個別にカスタマイズしていくようなあり方。これが現地にいるからできる仕事であり、本来のかたちのようにも思えます。
人にも、仕事にも優劣をつけない
インタビュー中、佐藤さんが最も答えに悩んだ質問が、「いろいろな仕事の中で、一番テンションがあがるのはどれか」というものでした。
「正直にいうと、楽しいとかポジティブになる仕事のジャンルっていうのはない気がします。じゃあいつそうなのかっていうと、働いていて楽しい人と仕事しているときなんですよ。工数が多くてもがんばれるのは、その人と仕事するのが楽しいからだし、割安でもやる仕事だったとしても。そこが理由になっているから苦じゃないんです」
お金の割が良い、工数が少なくて楽といった仕事でも、担当者が働いていて楽しくない人だと辛い。一緒に仕事ができなくなるという。
「仕事の内容で優劣はつけません。すべてにお客さんがいることなので、そこに優劣をつけるのは申し訳ないって思うんですよ。だから常に全力で仕事します。けど、一緒に働けないなってなると、限界を迎えてボキッと折れちゃう。無理だぁってなっちゃうんです。
逆に、気持ちよく仕事をさせてくれる人のためには、『何でもがんばります』ってなりますね」
今までがんばったから、そろそろ自分のことを
自分の考えや、あり方も、様々な仕事を経て変化してきているといいます。
「少し前までは、『我慢しないと』って思っていたことも多くて。頼まれたらやるし、集まりにも顔を出すし、気を遣って、こう言ったらあれだなとか、やめておこうとかいろいろ思ってたんですけど、『もうめんどくさいことはやらないぞ』って決めたんです」
その結果、いろいろな頼まれる役割からも降りていたり、代わってもらったりしている。
「基本的にぼくは嫌われたくない人間なんですけど、今までがんばったよなっていうのもちょっとあって。だからそろそろ自分のことをやろうって思いもあるんです。これは、我慢しないってことなので、当然嫌われることも増えちゃうんですけど、それでも良いのかなっていうふうに考えています。ほんとに口もきかない、っていう人もいるようになっちゃうかもしれないですけどね」
大事にしてくれる人を大事にして生きていきたい
嫌われても良いかと思えるようになったのは、「自分のことを大事にしてくれる人」が増え、見えるようになったから。
「たとえ誰かに嫌われたとしても、年齢も仕事も関係なく自分を大事に思ってくれる人は、それ以上にめちゃくちゃいるわけじゃないですか。だから、そういう人たちと生活できたら満点だと思うんです」
この一年で見ても、佐藤さんには変化が訪れていました。
佐藤さんの実家は、高千穂の中心部から自動車で30分程のところにあります。米や畑と共に牛を育てる兼業農家を営み、今年の5月に父親が病気で倒れてからは、佐藤さん自身も、実家の家業の割合を高めました。
「この実家のある地域が永遠に続くっていうことはたぶんないんですよ。50年後には、住んでいる人が一人っていうことも想像できる。それでもやっぱり人は残り続けるわけですよ。どんなに少なくなっても、なんとかどうにか生活しているんだと思うんです。そのときに、自分を大事にしてくれる人を、ぼくも大事にしていくはずじゃないですか。そうやって生きていけたら良いのかなと思います」
いまの中心は子どもがほしいという気持ち
いま、佐藤さんが強く抱いているのは、子どもがほしいという思いです。
「自分自身は、もともと子どもがほしいって強く思っていた方ではないと思うんです。で、やっぱりパートナーは子どもが欲しいと思っているし、祖父祖母に孫の顔を見せたいと思っているし、だったら子どもがほしいじゃないかと思ってるんですよ」
しかしそこには現在進行形で多くの困難があります。
「ずっと不妊治療をしています。何回かうまくいきそうでダメでを繰り返していて。精神的に大変なのと、平日に熊本の病院に行ってというのを繰り返さないといけないです」
お金も時間も多くかかる上に、周囲からも「子どもはまだか」という目線も感じるといいます。仕事も生活も、どちらも大事。その中で、いま中心にあるのは子どもがほしいという思いと、不妊治療の実践です。
「本当に大変なので、もうなんでもいいから子どもが欲しいって思っちゃいますよ。できるって確信がもてるならがんばれるけど、それも100%じゃなくて。やっぱり辛いな大変だよなと思う瞬間もあって。だから生活の中で大きなボリュームをしめてると思います。
でも、こういう働き方をしていないと、時間のやりくりもできなかったと思うんです。当たり前ですけど、仕事も生活もどちらも大事で。そして大事にしている人を一番大事にしたいんです。本当に当たり前なことだと思うんですけどね。あと公言することで同じ仲間がいたら痛み分かち合えますしね」
未来を育む人
佐藤翔平さんは、その口調も態度も、そしてインタビューでも明らかなように、すべてがフラットで、なめらかにつながっているような印象をもちます。佐藤さんは、一体何をしているのだろうと考えると、それは「育む」ということなのではないかと思います。
「育む」という言葉は、「羽(は)で含(くく)む」、つまり親鳥が小鳥を大事に「羽で包んで育てる」様子にルーツがあるそうです。佐藤さん自身が強調するように、いまの佐藤さんのあり方は、自身で選び作ってきたものではないとすると、それは、やってきた仕事や、出会った縁を大切に育み、自分の大事なものとしてしてつながりをつくってきたからといえるのではないでしょうか。
チャンスを掴むとか、夢にチャレンジするとか、野望を抱くとかではなく、この1日と、目の前の仕事と、隣にいる人たちを大事にする生き方。それがつまり、未来を育むということなのだと思います。
佐藤さんは、最後まで謙虚にこう言います。
「自分なんて泡沫で、隅っこの人間でいいんですよ笑。頼られたときに、相手に助かったなと思ってもらえるとうれしいです。ぼくも含めて、町を背負っていこうとか仰々しいことを言ったり思ったりしなくてよくて、それぞれが各々がんばったら良いんだと思います。大事にしてくれる人を大事にして、生きていきたいんです。」
おわり
Special Thanks
フォトグラファー:杉本恭佑
インタビュアー:岡田拓也
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