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記憶のパイプとトラウマ

 嫌な思い出ほど消えない。消えないどころか、何度も思い出すので記憶の回路が強化されてしまう。それで何度も傷つきなおしてしまうのだ。

 今日の相談は「担当スタッフに声をかけたけど無視された」というものだった。「もうあの人、嫌や。担当を変えてほしい」と。

 もちろん、担当を替えることはできる。そんなのは簡単なことだ。でも。

 その人の話をよく聞くと、学生時代にいじめられた経験があり、そのいじめの始まりが「無視」だったので、誰かに話しかけて反応がないと自分の中にフラッシュバックが起きて、あっという間に心がタイムトリップして、その頃の自分まで戻ってしまうのだ、とその人は泣いた。自分などこの世に不要なのだというところまで考えが行ってしまう。

 その話を聞きながら、その人の中にある「無視される」という行為と過去のいじめ(トラウマ)に太い記憶のパイプができているのじゃないか、と感じた。その人にフラッシュバックが起きたのは、他にもいろいろと要因があるのだけれど、今回はそのパイプについて書いてみたいと思う。

 話をじっくり聞き、その人が私の話を聞くターンになった時、私はそのパイプのイメージをその人に伝えてみた。無視から始まったいじめられた経験はその人にとって“いのちの危険”を感じる類のものだったらしい。だから、その人にとって“無視される”ことは生死にかかわる問題であり、相手のその行為をキャッチすることは自分を守るための大切な“対処”の一つとなっている。自分を守るためにはできるだけ早く相手や状況を評価し、逃げるかどうかを決めなくてはならない。そのためにその部分の記憶のパイプは太くなり、その太いパイプを通ってかなりの短時間でタイムトリップする、という仕組みだ。

 それは時に“身を守るためには”役に立つけれど、人間関係の継続を困難にする。あいさつが返ってこないというだけで、これまでうまくやれていた人から逃げなければならなくなる、ということも起きるからだ。そして、その人の中にそういう太いパイプがあるだなんて相手は知らない。伝えないと分からない。

 「こんな弱い自分が嫌になる」というその人に私は言った。「あなたは弱くない」と。みんな見せないだけで、それぞれに「弱いボタン」を持っていること。そのボタンを押されると、パニックになってしまうようなボタンをみんな持っていて、それは相手に言葉で伝えないと分からない。だからあなたのことを大切にしてくれる人、あなたが大切にしたいと思う人、好きな人、この人との関係は失いたくないと思う人には、あなたの中にあるパイプとそれを発動させるボタンについては知っておいてもらわなければならない。それはとても勇気のいることだけれど、あなたにとって大事な人はその告白がどれだけ勇気がいることかかならず分かってくれる。今じゃなくていいから、そのことについて少し考えてみて、もしチャンスが来たら試してみてほしい。

 その人は自分の担当スタッフがいつも自分のことを考えてくれたり、優しく話を聞いてくれたりすることを分かっていた。「今後の人間関係の練習もかねて、今日のボタンとパイプの話、自分が無視されて傷ついた話をしてみようと思う」とそう面談の最後には話していた。

 いそがなくていいよ。

 いま特急電車のスピードで直通で過去のいじめ体験まで思考が走ってしまうけど、それを快速電車にし、いつか各駅停車くらいのスピードまで落としていけたら、きっと突然のフラッシュバックに座り込んでしまったり、大泣きしたり、モノにあたったりすることは減っていくはずだから。

 つらかったね。

 私がそう言うと、その人は「今は新幹線」と言って笑った。今でもじゅうぶん頑張っていること、でも嫌われるのがこわくて言いたいことが伝えられないこと、それで心のダムが決壊すること…自分の気持ちをある程度、言語化できたので、その人には“いまの顔”が戻っていた。面談当初には“過去の顔”をしていたのだけれど。

 トラウマというのは、とても厄介だ。自分で分かっていても、こころは軽々と時空を超え、自分の意志とは関係なく過去に戻っていってしまう。そして、過去に起きたことと今目の前で起きたこととの複層的で重層的な傷つき方をする。

 今日の話は「担当を替えてほしい」→「じゃあ、替えましょう」という話ではない。担当を替えてほしいほど傷ついた自分をどうケアするか、という話なのだ。先ほど書いたようにフラッシュバックもまた自分を守るための手段であり、その人との関係を絶つこともケアの一つだ。リストカットがその手段だったりする人もいる。アルコールの力を借りる人もいる。

 でも、それ以外にも自分をケアする方法をたくさん持てたらいいなと思う。ひとつには今日、その人が選択したように「他のスタッフ(今日の場合は私)に話を聞いてもらうこと」。「(今日でなくていいので)相手に傷ついたとちゃんと話してみること」。頓服薬を使う手だってあるかもしれない。何に傷ついたのかを言語化できるだけで楽になる場合もある。もちろん、言葉にすることでさらに傷つくこともあるけれど、整理されることだってある。相手の反応によってはさらに傷つくこともあるし。

 どの方法を選んでも、メリットとリスクはつきものだ。

 「今日、起きたことはあなたにはつらい体験だったけど、私はあなたとこんな風に話ができて良かったと思っているよ」と私が言うと、その人は私と話したことを書いたメモをしまいながら頷いた。

 実際にトラウマを経験している人は、私の言葉が薄っぺらくて、この記事を読んでいられないかもしれない。そうだとしたら申し訳ないと思う。聞いたこと、話したことの何分の一かしか書けなかったから。ただ「自分はトラウマを経験したことないけど、身近にそういう人がいる」という人に、少しでも理解の助けになればいいなと思って、この記事を書いた。

 この記事で、私が端折ったところは、その人をねぎらうこと(一日一日をいかに踏ん張って生きているか等)、その人の良いところ、つらい思いへの共感。そういうものが9割で、残りの1割が今日、その人に伝えたところ(記事にしたところ)だ。そういう9割がベースになければ、1割のアドバイスは1ミリも通じない。
 何なら1割のアドバイスがその人に残らなくても、9割のねぎらいと理解が伝わればいいくらいの気持ちでていねいに話を聞くこと。

 そうやってようやく「壊れかけても修復できる関係」がうっすらできる、ということが、トラウマを持つ人の周囲の人に届くといいなと思っている。

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