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失敗が吃音者を強くする

今日10月22日は、国際吃音啓発の日だ。
吃音症と共に生きてきたライターの私が、今日吃音について書かない訳にはいかない、そう思い見切り発車でnoteの投稿ボタンを押した。

吃音に関して最近気付いたことがある。
接客業を避けることや、人と出会う機会を損失することが問題ではない、それに対して自分が納得していることが大切なんだ。
機会を損失することではなく、機会を損失したと思っていることがダメなんだ、そう思っている。
改めて吃音症は心と繋がっているんだと、心底思う。

私は吃音の症状は軽く見られる方かもしれないけれど、心の状態は重症だと思っている。
自分で自分の道を決める勇気がない、心が弱いから失敗したくない、だから人の意見に流されやすい。
失敗したくないというのは、想像の中で「失敗しない人生の方が良い」「完璧な自分でありたい」と思っているのだろう。
でも実は失敗をあまり経験していないことで、ビビリの自分を作ってしまっているのではないかと思う。
「失敗=悪いもの、怖いもの」と想像を膨らませて、より怖いものに仕立て上げているのだと思う。
(これは吃音の予期不安にも当てはまる気がする)
もう少し失敗を積み重ねて、「失敗したって何かに活きるんだ」「やりたかったことだから満足できた」と心から感じる経験が重要なのではないかと思う。
(吃音が出まくっても生きていける経験を積むことが重要な気がする)
直近、病院で先生に質問するタイミングがあり、そこそこ盛大に吃った。
一瞬吃ったなぁ……と思いはしたけれど、しっかりと聞きたいことが聞けて、その後にも引きずるようなネガティブな感情は少なかった気がする。
失敗(失敗というものでもないけれど)を経験して、「あれ?大丈夫じゃん」という気持ちを感じる。
この繰り返しで、少しずつ自分を受け入れることができるかもしれない。
そう思うと色んなことに挑戦して、たくさん失敗していきたいなと思う。

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