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依存症と共依存③

では、実際の例をあげてみよう。
まず、うちの両親から、父は真面目な人だったが、双極性障害と発達特性のため、人間関係につまずき、何度も転職した。その中で貿易の仕事で、洋酒を扱い、仕事のために酒を飲み始めてアルコール中毒に陥った。
一時は、幻覚や妄想も出たのだろう。人格も壊れていた。私は人格が変容した父からの暴力を受けることもあり、いつも恐怖の中で暮らし、家庭は不安だらけだった。
最終的に、私たち家族は父を置いて家を出た。
しかし、2年後両親は再会し、父は酒を断ち、定職に就き、立ち直ることができた。その後、亡くなる寸前まで、通い婚の状態で両親は、上手くいったのだ。

我が家のケースは、実は希な話だと思う。これは、母や子どもに対する依存心の方が、父の中で優位だったから抜け出せたのだろう。

多くの場合、体がボロボロになるまで、アルコールを飲んでしまう。私は、亡くなった方もたくさん知っている。アルコール依存症の末路は、イネイブラーも追い出してしまい、孤独な酒になり、病院を受診せず、倒れルまで飲んで発見される。

依存症の怖さは、倒れるまで止められないこと。依存内容が、性犯罪や万引などであれば、捕まったときが更生の機会、依存から抜けられるチャンスだと思う。

ギャンブラーは、金銭的に追い詰められてしまうので、家族が非常に迷惑をこうむる。絶縁されていることが多々ある。

気づかれにくく、捕まりもしない依存は、スマホやゲーム等かと思う。これも、のめり込みすぎて、逸脱すると社会生活が送れなくなる。

そして、信仰、宗教も今、話題になっている宗教2世の問題などで、世に周知されたが、家族への影響がある。
1度、その人の脳にはまり、ドーパミンが放出される体験をすると、同じ行動を繰り返し、ドーパミンを欲するようになるため、何でも依存症になり得る。

人為的に計画された事であれば、騙されたといえるかもしれない。

親子間で繰り広げられるのが、教育ママと呼ばれる子どもに勉強を強いて、子どもの将来に自分の夢を叶えさそうとするケース。
ステージママもそれに値するだろう。
それと、子どもを自立させないケース。自立させず、ダメな手のかかる子でいさせることで、対比的に自分の必要性を高めさせて、子どもを自分の愛玩動物にしていくケース。
後者は、夫婦関係でも生じる。

世の中の極端に仲が良い親子関係や夫婦関係は、依存症が存在すると思う。
人は依存関係にあると、主従関係を形成し、依存者は、イネイブラーの共依存者に美辞麗句を発し、愛や必要性を全身で表現するので、夢見心地となる。
そこは、他人が入れない2人の世界なのである。
事実、父は母のことを、いつも頭が良いとか、可愛いとか、褒めちぎっていた。それは、母がおばさんになっても変わらず、親戚の前でも母を持ち上げていた。そして、私たちのことも父は褒めていた。
大人になって気づくと、そんな褒めてくれる異性は、何らかの依存関係じゃないと存在しないのだ。だから、共依存は、止められないということなのかなと思う。
イネイブラーになると、賞賛と尊敬、必要とされることで自己肯定感や自己愛も保持されるだろう。

私は、実生活では依存者だが、仕事では依存してもらう側なので、バランスが取れているのか?子どもには、依存されてて、ちょっとしんどく感じている。

自立とは複数の依存先を持つ事という説もあり、依存関係は複数存在することが、良いということだろうか。

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