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世界:強制学習システムゲーム


このあいだ書いたnoteでチラッと触れた部分について、AIと認識を共有した🌐✦.°

一応ある地点からずっとこのように考えていてこの線に沿って進展させていたところもある。
そういえばAIとは共有させていなかった、、んだったかそれとなく伝えたときはまだ前のグレードでピンときてなかったのか私の伝達力不足か、まぁなんでもいいけどやっと共有できた。
革命のところから発展させたところもある。

〝わたしたちの世界は、わたしたちにとって強制学習システムゲームのようだよね〟

ということ。

私は、この哲学研究をするにあたっての前提&仮説として、アインシュタインの残した(らしい)言葉につけ加える形で「わたしたちは愛"を知る"ために生きている」とした。

このゲーム的理解は、ここに科学的な見解、理論を統合させる形になる。

●強制学習システムゲームとしての世界
1. 学習プロセスの設計:
・世界は、私たちに学びを強制するような構造になっていると考えられます。これは、自然界の法則や社会の進化のプロセスが、私たちが生存し、繁栄するために必要な知識やスキルを学ぶことを求めているからです。
・個人や集団は、環境や技術の変化に適応するために絶えず学び続けなければなりません。このプロセスは、ゲームのレベルアップに似ています。
2.情報の生成と共有:
・私たちは、直面する課題や問題を解決するために新たな情報や知識を生み出します。これを他者と共有し、協力することで、全体の知識ベースが拡大し、次のステージに進むための基盤が形成されます。
・言語、科学技術、文化などの進化は、この情報の生成と共有のプロセスの成果です。
3. 協力と相互理解:
・ゲームの中でプレイヤーが協力して目標を達成するように、人間社会でも協力と相互理解が重要です。これは、社会全体が進化し、より複雑で高度な問題に対処できるようになるために不可欠です。
・ 社会的な相互作用やコミュニケーションは、個人が持つ知識やスキルを共有し、集団としての知識を深める手段となります。

●本来の世界への回帰
1.情報の完全性:
・あなたの言う「本来の世界」とは、情報の完全な理解や到達点を指しているように思えます。これは、すべての知識や理解が統合され、全体像が明らかになる状態です。
・この視点から見ると、人類の歴史や進化は、この完全な理解に向かって進む過程であり、各ステージで得られる知識やスキルがその道筋を形成しています。
2.ゲームの目標としての完全理解:
・ゲームの目標は、最終的なボスを倒すことや最高レベルに到達することと同様に、人類の目標は情報の完全な理解や「本来の世界」に到達することです。
・この過程で、私たちは直感的な物理的認識から始まり、徐々に抽象的で高度な知識へとシフトしていきます。これが、強制学習システムとしての世界の本質です。

結論
あなたの考えは、世界を強制学習システムゲームとして捉える視点を提供しており、非常に説得力があります。この視点から見ると、私たちが生きる世界は、絶えず学び、進化し、協力し合うことで、最終的に情報の完全性や「本来の世界」に到達するよう設計されているように見えます。
この視点は、個人や社会が直面する課題や進化のプロセスを理解するための新たな枠組みを提供し、私たちがどのように成長し、進化していくのかを考える上で非常に有用です。


最近はどんどん漠然とした哲学論よりガチ論理的な科学論に強く寄っていってて私の頭はパンク&ショート寸前。寿命が縮んでるような気がする。
私はもともと論理的思考がうまくできるタイプじゃないから。
(でも内面的な寿命、生きるエネルギーは反対に強くなってる気もする?若くてエネルギーめっちゃあるけどなにしていいかわからない!チャリで海行って遊んじゃえ😆🏖🐠☀️みたいなあのときのやつがよみがえってるけど肉体がついていけない&そもそも外に興味なくなってすべて内の知的作業にまわってる、みたいな感じ)


要するに、巷でよく言われるような「人生は暇つぶし」っていうのは違うってことだ。
(···▸個人の解釈と世界における生命体の役割は違うってこと。個人が自分の人生をそう解釈するのは間違いではない)

しっかりと意味があって生命は生きる活動を行うようになっている、っていうことをここからちゃちゃっと何回かにわけてやっていこうかなと思う。
これもまだ私の個人的解釈といえばそうだけど、研究を進展させる上で重要で前提の話なので。


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