須田桃子 「捏造の科学者 STAP細胞事件」 (本のご紹介)
須田桃子 「捏造の科学者 STAP細胞事件」 (文藝春秋 2014年)
数年前(それこそSTAP細胞事件が世間を賑わせていた頃)、世界の心理学界にも激震が走っていた。トンデモ論文(何と未来予知に関わるもの)が、一流心理学雑誌の査読を通ってしまったこと、そこには心理学研究における構造的問題の存在が伺われること、多くの心理学研究に再現性が乏しいこと。たまたま大学で教えるようになったばかりの私は、大学図書館所蔵の心理学雑誌(「心理学評論」誌)でこのことを知ったのだが、時の流れとともに忘却の彼方へ…。
そして先日、手元に届いた「教育心理学年報」(日本教育心理学会)に、このテーマの“続編”が掲載されているのを目にする。心理学研究の再現性危機と、公正な研究手法の探求は、一朝一夕に成し遂げられるものではなく、今でも燻り続けている(追究され続けている)ものだと思い返した。
諸論文に再び目を通しつつ、「そういえば、世間をにぎわせた科学スキャンダルがあったな」(恥ずかしながら当時は、スキャンダル程度の認識しか持たなかった)と思い出し、手に取ったのが本書である。
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割烹着姿で写真に納まる女性研究者と、スキャンダルが報じられての、涙ながらの記者会見での「STAP細胞は、あります」という言葉。派手派手しく報じられたSTAP細胞事件は、若手女性研究者の過大な心と稚拙な研究スタイル、異例の厚遇、メンターや上司の無責任だけでなく、所属組織(理化学研究所)の隠ぺい体質、耳目を集める研究成果への焦りや、学術雑誌の掲載方針、今日の科学行政の歪みが複雑に絡んだ、真に社会的な問題だったと知る。私たちが教訓として理解しておかなければならない(そして実践しなければならない)ことは、数多い。
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作者は、毎日新聞社の科学記者として、当初から一貫してこの問題に取り組んできた方。科学への信頼と愛情が深く伺え、好ましい。
科学とは何か、真に定義することは難しい。それを、「真実に開かれ、真実を求める探索」だとすれば、私たちのあらゆる営みは“科学的”でなければならない。コロナ禍を経て(それだけが理由ではないだろうが)、科学への信頼が低下しつつあると感じられる今だからこそ、改めて私たちは、STAP細胞事件の教訓を思い出さなければならない。
心理学や心理臨床実践は科学的である、と胸を張ることを躊躇う自分がいることも確かである。改めて、我が身を“科学的に”振り返り、“科学的に”振る舞い、“科学的な”発信を心がけたい。
居ずまいを正すような読書であった。
(おわり)
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