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敬老の日のニュース【マックで働くのには年齢制限がない】をみて悩み深く

これは美談なのでしょうか。

Twitter(✖️)でも話題になっていたので読んでみました。

良い点としては
働きたい意欲に応える場所があること
身体を定期的に動かすことは、健康維持になること。

悪い点としては、この方個別の案件としてのことではなく、この年齢にまで働かざるを得ない社会構造となってしまっていること。

病気を患ったから働くべきではないとか、
年齢制限をもっと引くべきだとか
そこは違うと私も考えています。
働ける、その場がある、というのは素晴らしいですよね。

さて、先日の敬老の日のニュースでは
10人に1人が80歳以上と報道されました。

まず思ったのは、
大きなマーケットであるということ。

年金から搾取しよう分野というわけではなく、
それだけの人口がいるなら購買層、消費層としてのマーケットにできるだろうということ。
(これについては私にも考えがあるので、プロジェクトとして動けるかはまた別の話)

しかし、働く層としてこの年齢の人たちをカウントするのはどうなのでしょう。

心情的に、悠々自適の引退生活を送れる社会であってほしい。

エアコンを我慢して熱中症で亡くなったり、
買い物難民になって我慢に我慢を重ねたり、そうしなくて良い世の中になって欲しい。

だが年金の受給者数と、それを支える働く人たちの人数比率で考えるとまたこれはこれで暗澹たる気持ちにもなります。

それにしても、国会議員の皆さんは、なぜあんなに年寄りばかりなのだろう?
そこまでこないと決断ができないんですか?
むしろ金銭的な面で美味しすぎるからぶら下がり続けているのではないですか?頑迷固陋になりがちな年齢層が、当たり前のように実力者としてのさばっているように見えます。
彼らの報酬が高すぎるのも納得いきません。

60で若手?とかマジ嘘でしょ?って。
もちろんもっと若い人もいますけど。

若い人が上に立ったら、カンダダが蜘蛛の糸を登る後ろに続く人たちのように、よってたかって引っ張ってるんでしょうか。

社会構造を変革する視点を持つべき国会議員だけが社会の枠組と異なるワールドにいることがおかしいと常々思います。

私も、まだまだ働かないと!と仕事をどんどん増やしています。
老後が心配だから。老後に備えるために今更遅い年齢だけど結局もがかざるを得ない、

なんだか社会にどこかに穴を開けて変えていかないと、ダメなんじゃ?意識の問題ではなく、構造の問題としてどこかガツっと。

最初の記事の方は、自分のために働いているように書かれています。
もちろん素敵なことだけど、なんだかそれを手放しで褒めてもいけないと、私の心は叫ぶのです。

今回はお年寄りのこと、敬老の日にちなんでちょっと薄く考えてみました。

また分野を絞って考察していきたいと考えています。

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