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完全なる美、完全なる対称性、完全なる無。

“背徳”とは美しいものがそうでなくなるときに魅せる美。

詩人と量子宇宙論者が奇しくも同じ結論に辿り着いた。

量子宇宙論はこう述べる。宇宙開闢のとき、プラスの粒子とマイナスの粒子が対消滅を起こして消えていったと。プラマイの粒子が完全に同数であったなら、0を原点に折り返した対称性を持つと言える。

対称性は美しい。しかし同時に、対消滅の結果、存在としては何も残らないことを意味する。
完全なる美、完全なる対称性、それは完全なる無。

しかし、この世界はある。

なぜ何もないのではなくて何かがあるのか?


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ここ1ヶ月くらい、1食のカロリーを200〜300kcalくらいに抑えてるんですが、明日は1食で1000kcalを超える大盛りのギットギトのラーメンを食う予定です。なので、スッゲェドキドキしてる。
注文するとき誰か手を握ってて欲しい。

だってそのカロリーたるや、テトリスやってたら、4x4の塊が落ちてきたみたいなことだから、朝夕を抜くとか、運動量を増やすとか、そういうやりくりや努力で対処できる範囲じゃないんです。これはレボリューションなんだよ。完全なる破壊。

食べる前から背徳感がすごいですね。積み上げてきた秩序が失われる高揚感が味覚を何倍にも鋭敏にしてくれそう。秩序が失われる瞬間に魅せる輝きの味をくれ。


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なぜ何もないのではなくて何かがあるのか?

人類が正解を追い求めてきた問いである。量子論は次のように答える、生まれた粒子は宇宙全体で見ればほんの少しだけプラスが多く、消滅せず残った、と。いわゆる対称性の破れだ。

ではなぜ対称性は破れたのか?ということになる。理論は割愛するが、対称性は、美は崩れゆくさだめだという。流転のさだめ

完璧ゆえの無が、不完全へと堕天し、光や音に満ちたこの世界を存在せしめた。この世界は人間を生み出し、やがて人間は物語を文化を料理を作っていった。

新しい美。麺とスープの調和。高い格式。高い熱量。ありがとう対称性の破れ。ありがとう家系。そしてまた明後日から頑張ります。

いつでもサポートお待ちしております。凍える荒野を行く旅人の足を前へ進めるのは、いつだって心地の良い熱を持った風だから・・・