考える、思考する。
考える、思考する。
今日も今日とて僕は考えている。
中学3年生、14歳、璃々千隼は今日も考えている。
何についてかと言われると、「色々だよ」としか答えられないのだが…
本当に色々考えている。身近で起こった事柄に対して深く掘って、理屈を見つけて、新たな価値観に触れる。
僕は常に思考する。
考えて考えて、今日も生きている。
ということで、今回は僕が深く思考した題材の一つ、
「人それぞれの生き方」について発信してみようと思う。
人それぞれの生き方ってあると思う。
というか、ある。
人は人それぞれの考え方、価値観を持っている。
人は「考える」が出来る生き物だ。
一人一人違って、まったく同じ人などあまりいないはず。
考え方や価値観が違うのなら、生き方だって一人一人違うはず。
適当に生きて、それなりの年齢で死んでいく人。
芸術に人生のすべてをつぎ込む人。
四六時中研究をして、新たな原理を見つけようとする人。
勉強だけに目を向けて、他のことはからきしダメな人。
逆にゲームだけして、他のことはからきしダメな人。
自らを不幸に追いやる人。
これだけの人間がいるんだ。もっともっとたくさんの生き方があるだろう。
その中で、自分と合わない生き方の人っている。必ずいる。
例の中でも出した2つをピックアップしてみよう。
「勉強だけに目を向けて、他のことはからきしダメな人。
逆にゲームだけして、他のことはからきしダメな人。」
この2つは学生さんならよくあることではないだろうか。
僕の学校にはいる。こういう生き方をする人たちが。
勉強だけする人は、ゲームだけする人が理解できない。
逆に、ゲームだけする人は勉強する人が理解できない。
勉強だけする人は、ゲームだけする人をこう言う。
「将来困るのは自分なのにね、可哀想。」
ゲームだけする人は、勉強だけする人をこう言う。
「勉強ばっかして何になんの?社会の中じゃ報われる方が珍しいのに。」
僕がこのセリフを作ったわけじゃなくて、実際にこう言っているんだ。
実に興味深くて、面白い。
当たり前の事だが、皆あまり気付いていない。
これだけの人が存在するのに、彼らは自分の価値観だけが全てだと思っている。
価値観って、考え方って、一人一人違うはず。
価値観や考え方の衝突は必然的に起こるはず。
これに気付いていないから、自分と違う考え方の人がいた時に受け入れることが出来ないんだ。
どっちか正しいか、なんてない。
人の考え方に正解はない。
「人を殺しても良い」
というこの考え方も、実は間違ってはいない。
危険な考え方ではあるけどね。
「人を殺めてはいけない」
なんて法律も、人間が勝手に作った約束事だから。
それなら、「人を殺しても良い」というこの考えも、
考える分には勝手だろう。
さて、ここまでいくつかの考え方を分解してきた。
ここまで読んで、あなたが何を思うだろうか。
僕にはわからない。
あなただけにしかわからない。
「当たり前」を考えている。
今回考えた「当たり前」は、結局僕にとっては「当たり前」だった。
でも、考えてみれば「当たり前」が「当たり前」じゃなかった、
なんてこともある。
考えれば考える程、世界は面白い事で溢れている。
世界を考える。
今日も今日とて僕は考えている。
中学3年生、14歳、璃々千隼は今日も考えている。
正解なんて存在しないこの世界で、僕は今日も正解を知ろうだなんて、
的外れなことを考えている。
それでも僕が考え続ける理由。
それが、考えたことが、思考したことが、僕の生きた証になるから。
誰に批判されようと、否定されようと、僕は僕の考え方で考える。
それが、僕の生きた証、僕が僕であったという証になるから。
というこの考え方も、僕独自の考え方なんだけどね。
さあ、考えよう。
あなたは紛れもなく人間だ。
そしてあなたが考えたことを是非発信してほしい。
僕はもっと色々な人の考え方を知りたいんだ。
世界を考える。
今日も今日とて僕は考えている。
中学3年生、14歳、璃々千隼は今日も考えている。
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