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人間関係の問題を大きな視点でみること。

こんにちは、まーさんです!

 昨日中野信子の「ヒトは『いじめ』をやめられない」という本を読みました。

こちらの本は、コメント欄を見てみると賛否両論ありますし、私も言いたいことはありますが、そもそも「なぜ起こるのか」を考えている姿勢は凄く感動しました。

 問題はできればない方がいいものです。早急に解決したいものですが、なぜ問題が起こるのかを深く探っていかないと、問題の存在そのものを否定し、「表面化だけの解決」、「対立の激化」がおこってしまうのではないかと思うんです。

 例えば今、海外では、「人種差別はよくない」という動きは活発ですが、「なぜ差別は起こるのか」については議論されておらず、自分の所属する集団は高く評価し、他の集団は低く評価する人間の傾向を見て見ぬふりをしているように感じます。

 また、今の日本のイジメ対策を見てみても、「いじめはないほうがいいけれども、もしあったら報告してほしい」という「矛盾したメッセージ」(p87)がガイドラインに表れています。これも、仲間意識による正義の暴走という本書に書かれた側面を無視しないとこのようなガイドラインは作れません。

 問題のタブー視や、情に訴えかけるだけの政策になっているのではないか、解決したと思い込みたいがために思考停止しているのではないかと思うのです。

何故このようになっているのでしょうか?

私が考えるに、「個」に焦点が当たっているから、つまり、近い距離で問題を捉えているために、大きな視点で物事が見ることが出来なくなっているのではないかと思うのです。

 個に焦点が当たると、どうしても「あの子が悪い」、「この子は正しい」などの私情が入ってきてしまいます。確かにその加害者、被害者の背景を知る上で個々に見ていくことは大切ですが、絶対に立ち位置によって認知の歪みが出てきてしまうと思うのです。

 人間は利己的な生き物だから、自分が悪いなんて被害者も加害者も思いたくはないでしょう。だから、「被害者もこんな悪いことしてた」と正当化に走ることがあります。その場合もっと攻撃することがあるかもしれません。更に第三者も自分達が問題を解決できないと思いたくないから、SNSでの過剰制裁、そもそもその問題自体なかったことにするなどの表面的な解決に行き着いているのではないかと私は思うのです。

 経済学ではミクロとマクロの視点が大切ですが、それは、このような人間同士の問題にも同じことが言えるのではないでしょうか?

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