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テクノカットについての考察

カップヌードル 年間売上1000億円達成記念。60個の流行語をカップヌードルにしてみた!?懐かしいあの頃にタイムスリップした気分を味わえるラインナップを紹介!(日清カップヌードル2020年夏のキャンペーンより)

1983年のワードにテクノカットが選ばれていたが(女性でもやってる人はいたので男性のトレンドと限定するには無理がある)、

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実際に誕生したのは79年初頭、YMO『ファーストUS版』にあるアーティスト写真(3人がタキシード姿でケーブルを持っている)にはモミアゲがなく、これが初めてのテクノカットと思われる

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これを誰がカットしたのか、定説では同年のワールドツアーにもヘアメイクで同行した本多三記夫が考案したと長年思っていたのだが、細野サンの近著でテクノカットの創始者はヴィダルサスーンであると、「えええー⁈」と驚いたのは自分だけであろうか?

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ニューヨーク公演の時にヴィダルサスーンのサロンに行ったとあるが、ワールドツアーは79年秋のことで、既にテクノカットである『ファーストUS版』と『ソリッドステイトサヴァイヴァー』の撮影はそれより前であることから、ニューヨークでカットしてもらってテクノカットが誕生したわけではないのは明白、つまりそれ以前のヴィダルサスーンカットの中でテクノカットの元になるようなものがあり、それをヒントに本多三記夫氏がアレンジしてテクノカットが完成したということなのかもしれない、ただタキシード+短髪というコンセプトは小澤征爾が指揮した北京交響楽団の姿をテレビで見てヒントを得たというのが定説で、細野サンの記憶の中でヴィダルサスーンがどう入り込んできたのか悩ましいところではある

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改めてWikipediaを確認すれば、クラフトワークの『放射能』(写真はインナーより)で採用されたヘアスタイルとあったが、刈り上げでもないし、モミアゲの処理がどれくらい狙ったものなのか、この時点では分からない、当時ドイツで散髪すれば自然とそうなった可能性もなくはないのかなと

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次のアルバム『ヨーロッパ特急』のラルフヒュッター(右端)のモミアゲは完璧だが刈り上げではない、そしてついに次のアルバム『人間解体』で4人のビジュアルイメージ(モミアゲ+短髪)が徹底された

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その後のリリースであるYMO『ファーストUS版』では北京交響楽団の存在と共に『人間解体』も参考にしている可能性大だが、そもそもYMOもまだ刈り上げてはいなかった

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テクノカットはいきなり完成したわけではなく、モミアゲ+短髪→刈り上げと段階を踏んで完成となるが、どの段階で刈り上げたのか、『ソリッドステイトサヴァイヴァー』の表ジャケでは分かりにくいので裏ジャケを見ると坂本龍一以外は刈り上げとはちょっと言い難い

その後のメンバー写真を見ても3人揃ってモミアゲ+短髪→刈り上げだった時期があるのかな?というくらいでYMO現役時代もテクノカットが徹底されていたわけでもない、モミアゲはまだしも刈り上げに関しては曖昧、しかしモミアゲだけでは「テクノカット」としては物足りない

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83年でいえば「胸キュン」のジャケでテクノカットをキープしてるのは細野サンだけだとわかる、坂本龍一は刈り上げてはいるが、鋭角的なモミアゲカットをもう意識的にやめていてる、そして本多三記夫は同年デビューするチェッカーズのヘアスタイルを担当、モミアゲ+刈り上げのテクノカットにギザギザ前髪たらしをプラスした「チェッカーズカット」を手掛けている、テクノカットの終着駅はチェッカーズカットだったと

テクノカットはモミアゲと刈り上げの両方で完成するはずだが、モミアゲだけで語られてしまうケースも多い、現在ならオードリーの春日などがそうだが、短髪ながら刈り上げてはいない初期テクノカット、80年代半ばの玉置浩二(安全地帯の全盛期)はモミアゲは鋭角にカットしているものの、襟足を伸ばしているためテクノカットとはいえない(本人もそのつもりではない)、テクノカット以降80年代はテクノカットとは関係なく、モミアゲを鋭角にカットするのが一般的になってしまった時期もある、やはり冒頭の日清カップヌードルにもある通り、モミアゲと刈り上げがセットでないとテクノカットとは思えないが、現在それを継承しているのが柳沢慎吾となると何だか腑に落ちない(笑)彼が80年代当時からアアだったわけでもないので

敬称略、削除済2020年8月10日Instagramより加筆再構成

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