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バルセロナは死してなお輝けるか。

どこかのタイミングで必要な敗北だったと思う。

ドイツの最強兵器に対する圧倒的優位な下馬評に対し、「相手はバルセロナだからなあ」と警戒する一応の様式美。申し訳なさすら覚えたのは自分だけだろうか。

無尽蔵の体力でハイプレスを継続し、4点差をつけても集中力はそのままに、決して手を抜かず、終始「らしさ」を貫く。バイエルンはとんでもなく強かった。

これだけ強い力に歴然たる差をつけられ、世界に無様を晒したことを幸運に思う。

リヴァプールやマンチェスター・Cの戦術の先端性が話題になりやすくなった昨今、バルセロナというコンテンツは以前と比べてセミクローズドなものになった。「哲学は死んだ」と言われ続けるも、その理由についての議論は内輪で展開されることが比較的多かったと思う。

感性と敏感さが死んでるとしか思えないフロントにとって、サッカーの結果で決定的な醜態を晒さない限り退陣の選択肢は有り得ない。少なくともCLが残っている時点で、ある程度の戦績であればガタガタと言い訳し、任期満了まで首の皮一枚で歩き続けられる腹づもりだったのではないか。

そうは問屋が卸さなかった。

何も言い訳できないほど敗北する様を、
全世界に向けて晒すこと。

すでに手遅れだが、これが最後の打撃になる。

いつだったか、「ボッコボコにやられて仕舞えばいい」と書いた気がするが、こういう日のことを夢想していたことは疑いない。

アンフィールドで不意を突かれてなお、クラシコで同じ隙を見せるような状態。その不安定さにテコ入れしようとも思わない、もはやサッカーに興味がない状態で資産をだらだら食い潰し、腐らせ、爛れた状態。

何度も何度も何度も、本当に何度も書いたから、もう細かくは言わない。

逆境になるたび逃げ道を探すのは退化と言うのも生温い。それを何度も繰り返すうち、信じるものとしての哲学を失った。

「そんな状態で、欧州最高峰の舞台で勝てるはずもない。なまじ勝ててしまうならば、粉砕されて仕舞えばいい。」どこかそんな気持ちだった。

チアゴ・アルカンタラが散々に渡って中盤とサイドをチェックし、突破と受けを潰し、奪い返して正確にタクトを振った。途中から出てきたコウチーニョがアシストし、ゴールまで決めた。

引導を渡されたと思った。同時に、試合を観ながら笑うしかなかった。

「勿論悔しいが、力の差に絶望を通り越した。」

違う。どこか安堵した。

単純にバイエルンが圧倒的に強いだけなら、負けた悔しさと何がマズかったのかだけに想いを巡らせることができた。そうだとすれば、2戦合計0-7で負けたときと同じ感覚になるはずだった。

今回は違う。確かに勝って欲しかったし、大好きなチームが負けて気分の良いはずもないのだが、どこか清々しい。

バルセロナの現状を世界へ突きつけ、退路が無い現実をフロントへ叩きつける。非難を一気に集中させるきっかけとして、圧倒的な力量差のある相手が必要だった。これが今のバルセロナで、これがお前らの惨状だと。

寝てしまいそうな展開を繰り返す試合、ファンも慣れて諦めの境地へ入ったところ、頭から冷や水をぶっかける。

バイエルンの繰り出す強烈な縦パスの一本一本、キーパーから立て直す動き、両翼からの仕掛け、抉ってからの折り返し、中盤からの効果的な散らし、ハイプレス、そのすべてのプレーを通して「お前らのやりたいことは何だ」と叱られている気分にさせた。

蹂躙ではない。教鞭である。

「バルセロナにサッカーを教えてもらった」と言った若きネイマールのコメントを、バイエルンに贈る。今日を境に目覚めなければ嘘だ。

醜悪な姿はさもありなん。歴史に刻まれる大敗で横面を叩かれたことは良いリターンにしなければならない。

この負け方で本当に良かった。

やれることをやり尽くし、やらんでもいいことまで手を出した。現会長(名前を書くのも気持ち悪い)陣営が辞める辞めないは議論する余地もない。

ここはどん底。しかし現在地。

それでも種を植えることはできる。

植えてある種を育てることもできる。

育てた力で何年かかっても取り返す。

本当の意味でリスタートを切れそうなバルセロナに、今はワクワクが止まらない。

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