ダメな所しかない自分と向き合いたい
私のTwitter上では、定期的にこんなツイートが上がってくる。
我ながら前科四犯はやりすぎだと思う。ツイートには書いてないけど「保育園バックの中に財布をいれたまま」というパターンの失敗も2回くらいやらかした。いつも先生からの「お財布が入っているようですが……」というお電話をいただいて、慌てて引き返す。毎朝ちゃんと子どものカバンの中身を確認し、異変があればお電話をくださる先生方に頭が上がらない。ほんとにすみません。
なんなら自転車という大型物ですら平気で忘れてくる。
通常ではありえないようなミラクルミステイクが報告される。
改めて振り返ると、本当に色々やらかしているな、自分……
今でこそ「あー、またやっちゃった」ぺろ、と開き直ってツイートできるけれど、こうなるまでは闇だった。
結構な頻度でうっかりミスや忘れ物が多いので、発達障害を疑い病院を受診したこともある。その結果は「現在のお仕事が出来ていて、生活に支障がなければ発達障害とはいえない」というものだった。
体感としては、仕事に支障があって、生活にも支障がある、と思っているのだけれど、それは困っているうちには入らないらしい。受診当時、管理職についていたので、その職務と子育てが両立出来ているなら発達障害にはならないのだそうだ。両立の定義とは一体。
世の中のお母さん、完璧にこなせてないと「両立できた」と言い切れないと思ってませんか? 私のようなポンコツでも両立できてると言えるらしいですよ。
しかしそうなってくると、よほどの大事故や虐待などがない限りは両立出来ているということになるんじゃないだろうか。いやいやいや、そんなことないでしょう。この生きづらさ、数値化や画像化して他人に見える状態だったらいいのに!
今のところ、取引先との大事な約束を破ったことはないし、取材のアポに遅れたこともない。多分、社会生活が営めている方なんだけれど、ずっと昔の呪縛のせいでなんだか生きづらい。それは間違いないと思う。
うっかりに歴史あり
私の「うっかり」にはそれなりに歴史がある。小さな頃から、母親がわりの祖母に「お前は粗忽(そこつ)者だから」「だらしないから」と言われて育ってきた。
いまでは自分の特性を「うっかりミスが多い人間だ」と認識している。それは果たして自分で自覚したからなのか、祖母からの刷り込みなのか。
おそらく後者だと思う。
祖母は情が深いタイプだが、思い込みが激しい人でもあった。嫌いと思ったらずっと嫌いだし、ダメと思ったらずっとダメ。地球が滅んでもダメ。
でも私は祖母が大好きだった。祖母は基本的に私のことを褒めまくってくれたし、惜しみなく愛情を注いでくれたのは間違いない。彼女は昭和1桁生まれだったけど、身内を卑下することはなかった。よそに対しても私を誇ってくれた。いつもそれが伝わってくるから、私は祖母が大好きだった。
好きだからこそ、彼女の言葉の影響力が大きすぎた。
愛情深い反面、祖母は几帳面で自分の思い通りでないと嫌な性格なので、私の身支度はほとんどやってくれていたし、おもちゃの片付けも殆ど祖母がやっていた。甘やかし、というより「自分がやってしまったほうが早い」という気持ちで全て自分でやってしまっていたと思う。私がなにか無くして見つからないとササっと見つけ出して渡してくれる。
そして彼女は決まって「お前は粗忽者だから」というのだ。
私はずっと自分がおっちょこちょいだと思って生きてきた。だって、そう言われ続けたから。不思議なもので、自分でそう思っているとそれ以上の動きはできなくなる。これがいわゆる言霊ってやつなんだろう。
まぁ、どう客観的にみても私は粗忽者だと思う。だけど、もっと早くにそれをどうにかしようとしていたら、今みたいに困ってないんじゃないだろうか。自転車をまるっと置き忘れることなんてなかったんじゃないだろうか。そう思うこともある。粗忽者を直す努力を始められたのが、大人になってからだったから、「うっかりのPDCA」を回す歴が浅いのだ。
もっともっと経験を積んで危険回避できるようにならないといけない。いまや私には息子がいるのだから、この小さな命を「うっかり」で危険に晒すことはできない。
子は親にされたことを繰り返す?
祖母に育てられたのなんてもう20年以上昔の話だし、その祖母も3年前に他界してもう接点もない。幼少期のことを思い出すなんて、ほとんどなかったんだけれど、自分の息子が幼児期に突入した頃からフラッシュバックすることが増えた。
子どもって、親にとって似て欲しくない特徴ばかり受け継ぐ。我が子は愛嬌はあるし器用だしとても優しいと思うけど、おおらかすぎるタイプだ。
ネガティブにいっちゃうと「雑」、めっちゃアバウト。自分の幼少期を思い出す。そもそも4歳だからどうしようもないのに、つい過剰に反応して「なんで置きっぱなしなの?」「どうして失敗するかな……」とキツい言葉をかけてしまうことがある。
あ、これダメなやつだ。
まだ世界が狭い小さな子どもには、親の言葉の影響力は大きい。親が思っている数千倍の威力で小さな体を支配する。
言われて、ショックを受けている子どもの顔を見て、あ、これダメなやつだ、と我にかえることも多い。そして実は子ども以上に自分がショックを受ける。それなら言わなきゃいいのに。
人は自分がされたことを他人にするっていうのは本当だと思う。
親の言葉は子を縛る。まさに”言霊”だ。その子をよくしてあげたいと思った言葉でも、時にはネガティブな鎖になって、子どもの一生を縛りかねない。
自分がされてきたことを子どもに繰り返してはいけない。だから、私は子どもにできるだけポジティブな言葉をかけたい。
忘れ物対策は全然すすんでないけど、もっと大事なことに気づけただけでも大きな進歩かな。私はダメな大人だけど、しっかり向き合える気がしてきた。
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