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今までの私をたどって②

小学1〜2年の時は人見知りめちゃくちゃ発動で授業中も手も上げたことなく話す事も殆どなかった私だけどそんな私でも家に帰ったらランドセル🎒をほったらかして夕方遅くまで帰ってこない元気キャラだった
学校も 高熱があっても行ってた位
小学3年の担任は勉強より遊び最優先!て人だったから授業より遊びの方が多かったり笑
この自由に遊ばせてくれた先生のおかげでおしゃべり元気キャラ復活し小学生を終えた

中学に入ると入学式早々 目が悪いだけなのに
メンチ切ってると勘違いされ先輩に目をつけられ 1年は大人しく過ごすも親の不仲の影響もあって中1終わり頃からグレ始め大人しめのワルへ
高校なんて行かないやい!と突っぱねたものの一応受験して合格するも家庭の事情もあって
父と2人で引っ越してから
結局中卒で働き出した私だったけど 17歳迄は
めまいも心身の不調もなんにもなかったのに
18歳の通勤途中に突然やってきた初めての症状発作? 

そこから次に症状が出始めたのが23歳で結婚して新居で暮らし始めてすぐだった 呼吸がしづらくなったり、バスに乗ったらすぐに呼吸荒くめまいや前が見えなくなる程チカチカなったり頭も痛くて何とも言い表せない状態になり1駅で降りたり、料理中にバタンと倒れて呼吸苦しくなり 救急車🚑で運ばれたり、風邪から肺炎引き起こして入院したり、その頃 胃も痛くて医者からは神経性胃炎とだけ言われてた…
新築に引越したからホルムアルデヒドの影響だろうか…とも
その最中で結婚式を挙げたもんだから 結婚式当日も顔が青白くフラフラした花嫁だった 笑

そんなこんなで治療もどんどん遅れる…
その後 3ヶ月でダンナが帰らなくなり
(嫁がこんな状態だから新婚生活とはいえない毎日に嫌気がさしたのもあるだろうなマザコン夫だったけど…)

それからもどんどん私の症状はおかしくなったけど、約2年間ある団体の施設に住込みしてた時は発作起こしてる場合じゃなかったからか症状は出なかった 
その施設から半ば逃げる様に出て実家に戻ってからはダンナの離婚してくれ!の電話に毎日怯えて震えと吐き気や呼吸の乱れや動悸が止まらなくて… 
ある時プツッとどーでもいいやってなって離婚届に判を押した
そこからまた父と引っ越して 時々症状な様なのが出ながらも必死で朝から夜遅くまである時は朝まで車のローンやその他諸々返す為 残業残業で働いてた
その時心療内科の存在をまだよく知らなかった…
また症状がすごく酷くなってきた原因は
その時に付き合い始めた言葉のDV彼氏
今日はココまで...

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