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高校生の時にうつになった話.ep3

前回、班長に任命されてしまった私。
さて、これからどうなるのでしょう。


追い詰められていく日々

「おい!なめんなよ」って言え。

今でも思い出すのが、1年生を巻藁小屋に集めて人生で初めて「おい!なめんなよ」と言ったのだ。言い慣れていないから声が震えていただろう。

これは今でも少々トラウマものというか、ほんとに嫌でした。
これこそ、私がうつになってしまった根本原因でもあると言えます。

班長になった私は、入ってきたばかりのぴよぴよ言うひよっこ1年生達を怒らねばなりません。
班長とは、1年生を束ねるというリーダーでもありながら、それは同時に「躾ける」役割でもあるのです。
怒り、厳しくすることで規律を整えるのです。2年生や先輩がなめられないように、厳しくしないといけないのです。

「班長=怒鳴る人」だったのです。
ふう。なんて役なんだこれは!!

任命前から言われていたことではありますが、超キツイ。
もともと人に対して怒ったこと、怒鳴ったことが無い私にとって、苦しい。
それをしないと先輩から叱られ、したくも無いことを強要される。しないと周りの同級生や先輩からも「あいつは全然役割を果たしていない」と言われるのだ。

通常の健康な状態であれば、部活の練習の時だけ「班長」という人格でやれば良い。頭では分かっていても、身体で実行が出来ない。
部活外の時間まで、プライベートまで含めた私自身の人格を否定され、したくもないことを強要され、出来なければ責められる。
24時間ずっとそう感じていた。

それまで自分の技術を磨き、楽しめていた弓道が、班長になってからは人に怒るということだけで頭がいっぱいになり、苦しい時間となった。

1人あたりにかかる役割や責任の多さ

私達は1人にかかる役割や責任が多く、何かあると目立ちやすい。
先輩たちの代はすごく人数が多くて、男女合わせて35名くらい居たんじゃないかな。女子は20名くらいかな。それに比べて私たちの代は女子だと私含めて5名。20人も居たら、部長や班長等幹部として部の運営を担う人、自分の弓に集中できる人等、1人あたりの行動や存在がそれほど目立たないからなんとなくうまくやって乗り越える人もいるだろう。
しかし5名じゃ、のらりくらり出来ない・・・・。先輩4人分を1人で引き受けているようなもんだ。

人を指導するのはとても難しいこと

先輩方にたくさんしてもらっていた弓を引いている時の指導も、自分は出来ないことに気がついた。というより、すごくプレッシャーに感じた。
同級生や先輩、コーチが見る中で、後輩に技術の指導をする。緊張で何をどう指摘してよいかが分からなかった。だいたいのこと、基本的なことはまあそれっぽく出来るが、細かいこととなると、わからない。その人をしっかりと見てしてあげないと。その場では出来ないし、してはいけないと思った。私が真面目過ぎるのか、みんなは指導が出来ているのか、それともそれっぽく言うのがうまかったのか。

自分が弓を引き終わった後、次組のために、的の点数を記録する人、掲示板を更新する人、矢の回収をする人など、引き終えた順にそれぞれ仕事をするのだが、そういった仕事は3人1組の1、2番目の人が行くので、一番最後の人は次組の人たちにする「指導」が役割として残るのだ。
私は1番最後の順が多かったので、必然的に指導役になってしまっていた。
いや、組を組むのはコーチや先輩なので、もしかしたら意図的だったのかもしれないが。

そういえば1年生の時に、よく立ち往生していてぶつかってしまう先輩がいた。そわそわというか、焦りのような。
自分がその立場になって初めてわかった。そういうプレッシャーを感じていたのか。その先輩も指導が苦手だった気がする。そうか。そういうことか。

女子の先輩たちのいびり

先輩たちも含めた練習メニューの設計や運用も私の役目。
「(私)が変なメニュー送ってきたよね。」「なにがしたいのか分かんね」とか、わざと聞こえるように言われたり。

でも、これを言ってきたのは、弓が下手な弱い人だったな今思えば。上手い強い先輩はそういうことしなかった記憶。その先輩は今でも好き。

朝練が唯一の癒やしの場

通常の練習中は班長の役割で時間を割くことが増え、自分の弓の鍛錬の時間がとれない。よって、前にも増して朝練等に行くようになった。
朝練、当たり前のようにしていたが、実は出来ている人は意外と少ない。
私と、私のモデルケースだったM先輩の2人だったこともしばしば。
その朝練に来たもの同士で感じることもあったな。
この時間はまだ1年生が居なかったので、「班長」としての役割を求められることがない、放課後の練習時のように運営も無いので唯一自分のためだけに使える時間。

※朝練は、班長になりたての頃までは有志の人だけで、上手い先輩ほど居た。私の同級生も同じ。やっぱり上手い人ほど陰で努力している。その後班長になってからしばらく後くらいから、実質参加が必須になり、来ていないとなんだあいつ感が強まった記憶

ギリギリの生活

毎日始発~夜は21時頃までONの状態が続き、部活動中はしたくもないのに人に怒ることを強要され、先輩たちや同級生等周りから陰で言われたり。
帰宅後もやすらぐことはなく、常に部活動のことを考えるようになってしまった。そのうち、言われてもない(と思う)陰口が聞こえるようになって、自分の本来の人格がわからなくなった。

最初のうちは行けていた朝練だったが、そのうちに朝練に行かなきゃ。と、強迫観念に囚われるも、身体が言うことを聞かず、朝起きれなくなった。そのうち自分で電車に乗れることも少なってきて、朝、自宅からは何キロも離れた学校へと、両親に車で送ってもらうようになっていた。
頭も動かなくなり、何をしたら良いか全然分からない。頭の整理がつかず、練習メニューも考えられない。俊敏に行動しないと行けないのに動けない。頭が真っ白。

そんな中でも必死に頑張っていた。
部を辞めるなんて選択肢は思い浮かばなかった。

そんな状態で迎えた夏合宿。
学校の敷地内にある合宿の宿舎。
合宿中は携帯電話を触るのも禁止で、当時はiPod nanoで音楽を聞いていたのだが、それを夜の消灯後、布団に包まり隠れて涙を流しながら聞いていた。
もうこの時点で私はギリギリだったのかもしれない。

そして崩壊する

そんな日々を過ごしていたのだが、ある日。
テスト期間中になり放課後練習がお休みだった日の放課後。
スクールバスに乗った時に、部長だったS先輩と、同級生のO君と乗り合わせた。席が少し離れていたが、お互いに存在を認識していた。
2人が話を始めた。

そこで、当時の私にとっては衝撃的な言葉を言われる。


「あんなやついたっけ。」


当時尊敬して憧れであり、信頼をおいていた部長だったS先輩が、私を見ながら放った一言である。
同級生のO君は、「え? 〇〇(私)ですよ!何いってんすか笑」みたいにフォローなのか何かを言っているが、S先輩は私を睨んでいるように見えた。

部で班長という役割を果たせず、最近は朝練にも来ず、部活動中も思考停止して動けていない私。怒っていたのかな。それとも冗談だったのか。
私には本当のことは分からないが、その時、信頼をしていた人から裏切られたように感じた。体感としては、鋭利なナイフで滅多切りにされた心地だった。

そこで、私はそれまで必死に頑張って這いつくばって、いろんなものを寄せ集めて人の形をつくってやってきたことが、ダメだったんだと拒絶をされた気がした。
私は必死に頑張っていたつもりでも、他人からみたら『ただただ怠けているように見えていた』のだろうなきっと。

そこで私は死んだのだ。心が。

そこからはあまり覚えていないのだが、気づいたら自宅最寄り駅に居た。しかしながら時刻はもう22時とかだっか辺りは真っ暗で、心配した母からメールや着信が何件も携帯に入っており、自転車で弟と迎えに来ていた。

母の姿を見た瞬間、それまで堪えていたものがドッと溢れ出したのか、
涙が止まらなかった。

そこからはもう、頭も身体も動かなくなった。
記憶も正直あんまり無い。

自宅に帰り布団に入った。
そのまま眠れず朝になった。

あ。朝練に行く時間だ。
と、そう思ったが、身体がピクリとも動かない。
ただひたすらに涙が流れ、頬を伝い、枕が濡れていた。

その日から、部活動はおろか、学校にまで行けなくなった。
朝起きることも出来なくなった。

朝日が昇り窓の外が明るくなると、ホッとするのか、眠気が来て眠りに就く。そして深夜、家族がみな寝静まりリビングに人がいなくなると、布団から起きて何か食べたりする。日中は家の外に出たり、もはやベッドから起き上がるのも出来ない。何も出来ない。

そんなわけで昼夜逆転した生活。
ほとんど布団で寝ている状態。
そして、ひたすらに静かに涙を流している日々。

ある日の深夜。母が少しでも私が元気になるようにと買ってきてダイニングテーブルの上に飾っていた赤い綺麗なバラの花。
それを、無心で涙を流しながら、花をハサミで全て首を切り落としたのだった。

翌朝、母は私に何も言わないが、「病院に行こう」、そう言った。

朝起きて切り落とされた花々を見た時の母の気持ちを想像したら、今でも胸がとても痛い。
当時は、何にこの自分の苦しみや辛さをぶつけたらよいのか分からずに藻掻いていたのだろう、自分を否定せずに受け入れてくれるであろうとしていた母ならこんなことをしても許してくれるだろうと思ってここにすがっていたのかもしれない。本当にもうしわけないことをした。

ここから、闘病生活が始まります。
次回に続く。

※暗くて辛めの話になりちょっと読むのしんどくなってしまった方も居るかと思いますが、大丈夫。ナイフを突き刺したS先輩とはこの2年後にチョメチョメするので今となっては大丈夫です。

高校生の時にうつになった話.これまでのお話はこちら
ep1
ep2

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