見出し画像

勝手に書評|石牟礼道子|苦海浄土 わが水俣病

石牟礼道子(1972/2004新装版)『苦海浄土:わが水俣病』講談社文庫

この本、読んだことありますか?
そう聞いてみたくなる。あまりに切実な内容だ。この本をきっかけにして、公害や環境問題に意識を向けるようになった人は少なくないと思う。

今から50年以上も前に書かれた本なのに、その内容とともに打たれた警鐘は現代にも強く鳴り響く。むしろ、50年も経ったのに状況はさほど変わっていないどころか悪化しているかもしれない、と胸がざわめく。

小学生か中学生の頃、社会の授業で「公害」というのを習った。水俣病やイタイイタイ病など、名前が印象的だった。加えて、教科書か資料集には、白黒の痛々しい写真が掲載されており、猫も病気になっておかしな動きをして死んだというエピソードとともに、子ども心に恐ろしさを覚え、以来忘れることはなかった。

内容は、言わずもがな水俣病に関することであり、当時主婦であった著者の石牟礼道子さんが独自に当事者から話を聞いたりして書かれた本である。必ずしも全てがインタビューに基づく訳ではないということが、渡辺京二による解説に書かれているが、その内容はあまりにも具体的で、すんなりと読ませてはくれない。時に戸惑い、時に当時者の気持ちを、いや痛みを想像しながら、この本を読んだ。

水俣病による被害は、元々身体の弱いものやお年寄り、貧しくて栄養失調になり気味な人々などに偏ることなく、健康そのものだった人や若者、男女を問わず誰しもが被害者となった。唯一の共通点は、沿岸に住む人々で新日本窒素肥料株式会社の水俣工場から流れ出た排水によって汚染された海域で魚介類を採っていたことだけである。ただこれだけの事実によって、当事者たちも言うように「前世でどんな悪行を積んだのか」と思うほどの苦痛を味わうことになった。水俣病にかかった患者はもちろんのこと、その家族や同じ集落に住む者たちもみな、当事者となり、そして苦労を共有していたことが描かれている。この苦労や苦しみは、本書を読めば、方言の言葉の細かい意味は分からずとも、心に直接的に訴えかけてくる。

年寄りたちは、子どもたちにゆずり渡しておかねばならぬ無形の遺産や、秘志が、自分たちの中で消滅しようとしている不安に耐えているようだった。

同書 p.14

「ほかの身体障害で入った者が、見舞人に水俣病と間違えられるときはおかしかったない。名誉傷つけられるちゅうて、水俣病の部屋とはなるべく離れておらんば迷惑じゃと、見舞人の来れば、こっちよこっちちゅうて、そっちの方は水俣病の衆じゃと、自分たちはさも上等の病気で、水俣病は下段の病気のごといいよらす」
「そんならわたしどんが名誉はどげんなさるや」
「名誉のなんのあるもんけ、奇病になったもんに」
「名誉ばい!うちたちは。奇病になったがなにより名誉じゃが!」
「タダ飯、タダ医者、タダベッド、安気じゃねえ、あんたたちは。今どきの娑婆では天下さまじゃと、面とむかっていう人のおる」
「そりゃあいう方の安気じゃ。何が今どきの娑婆じゃろか。二度と戻ってくる娑婆かいな」

同書 p.311

上のセリフは、おそらく著者である石牟礼が想像で書いた部分だろう。当時、水俣病患者たちが表で、陰で、あるいは心の中で言われていたことを元にして書いたに違いない。その意味で著者は水俣病当事者の代弁者であり、その役目をこの本は果たしている。この本を読むということは、50年以上前に水俣病で苦しんだ人たちと対話することだということを、この本を読み終わってから気付いた。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?