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大人になった私たちは、あの頃のときめきさえ忘れてしまう

女子高生のころ、私たちはいつも「恋がしたい」と願っていた。

つまらない勉強。
退屈な放課後。
遊ぶ場所なんて商店街のカラオケボックスか街に一つある映画館、あとは公園くらいしかない。

そんな田舎でただ一つ、輝いて見えた「恋」。
鮮やかで、きらきら光るその日々。

あんなに特別な気持ちを、私たちはいつ忘れてしまったのだろう。


「ああ、結婚したいなあ」

神楽坂のワインバルで、はるかは三杯目のグラスワインをあおりながら言った。
こうして集まって、愚痴とも願望ともつかない話を吐き出す。最近あった嫌なことや、出会った男のこと。
とりとめなく話しまくって、ちょっといいお酒で洗い流すのが、ここ何年も私たちの定番になっている。

「この間ご飯に行った人は、どうだったの?」

そう聞くと、うーん、とほのかに赤い顔で彼女はうなった。その反応に、デートが失敗に終わったことを悟る。

「もうね、ひどかったよ」
「同期の紹介だっけ?」
「そう、2個上。〇〇銀行の人」

はるかは美人だ。
ワンレンのボブで、はっきりした目鼻立ち。十人いたら、たぶん七人くらいは「きれいな子だね」という。もし彼女が鵜飼いとか、鷹匠とか、漁師みたいな職業についていたら、美人過ぎるなんとか、なんていわれたことだろう。
だけどもちろん私たちは普通の会社員だし、「美人過ぎる」ということもない。

27歳になったばかりのはるかの顔は、制服を着ていた高校生のころと変わらないように見える。けれど、よく見れば目元にくすみがあったり、ほうれい線に少しだけファンデーションがたまっていたりする。明らかではないけれど、確かに年を重ねつつあるのだ。その顔を眺めながら、もう20代もとっくに折り返しだものな、と自分のことを棚に上げて思う。

「まず大学がさ、H大だったんだよね」
それははるかが通っていた大学より、幾分かランクの劣る都内の大学だった。

「私の大学名聞いて、『頭いいんだ、すげえ』っていうの」

そういう反応を嫌う彼女の気持ちは、私にもなんとなくわかった。自分の学歴にやたらと感心されると、かえって縮こまってしまう。分不相応に高級なものを身に付けていることを、自覚させられたような気分になるのだ。

「お店も予約してくれてなくて、金曜だからどこもいっぱいでさ。散々さまよって結局、入れたのはチェーンの居酒屋で」

その時のことを思い出したのか、彼女ははあ、とため息をつく。

「別にさ、予約する余裕ないなら、言ってくれたらいいじゃん。私、適当に探すし。なんなら食べログプレミアム会員だし」

また赤いワインを口に含んで、今度はチーズを摘んだ。今日はピッチが速いな、と思いながら、私はそれを黙って見ている。

「しかも、途中でいきなり煙草吸い始めて。たばこが悪いってわけじゃないよ、せめて一言断って欲しいだけ。こっちはその日のために買ったおニューのニットワンピなんだから」

うんうん、と頷くと、彼女は畳みかけるように言う。

「お会計もさ、四千円でいいよって。だけどちらっと見えた伝票が、八千百円なの。さも多めに出しましたって感じのどや顔だからさ、思わずありがとうって言ったけど」

もうありがとう泥棒だよ、自信喪失だよ、と言って、はるかはわっ、と泣き真似をしてみせた。

そんな彼女の頭を、よしよし、と言いながら撫でる。つまらないデートをしてしまった後のむなしさは、もちろん私も知っていた。ないがしろにされた幾つもの夜を、私たちは越えてきたのだ。

「ときめきたいなあ」

私が言うと、はるかはぶんぶん首を横に振った。

「もうときめきとかいらない。結婚したい!」

彼女はきっと、もう誰にも傷つけられたくないのだ。
がむしゃらでまぶしい青春は、もう二度と訪れない。なぜなら、私たちは大人になってしまったから。

感傷に浸る私に、四杯目の赤ワインを頼んだはるかが、思い出したように言った。
「そういえば、晃、結婚するんだって」

ふうん、と返事する。マドラーでモスコミュールをかき混ぜると、溶けかけた氷がからんと音を立てて沈んだ。

晃とは、高校三年生の三ヵ月間だけ、付き合っていた。そのことは、杏奈だって知らない。

あのころ、晃は私たちのヒーローだった。
野球部の四番バッターで、背が高くて、日に焼けた横顔が凛々しい。下級生の女の子たちの中には彼のファンもいて、グラウンドの隅から練習を眺めては、黄色い歓声をあげていた。

晃とは、三年生のとき、はじめて同じクラスになった。最初のホームルームの後、教室に残っていたみんなでアドレスを交換した。その中に、晃もいた。
自分の携帯に彼の連絡先が入っているだけで少し嬉しくなって、家に帰ってから、にやけて電話帳を眺めた。

その時、見ていたのとまさに同じアドレスから、新着メールが届いたのだ。

「斎藤、チョッパー好きなの?笑」

私のアドレスにはそのころ、ワンピースの某キャラクターの名前が入っていた。それを見てメールをくれたのだろう。本当のことを言うと、すでにマイブームは過ぎかかっていたのだけれど、「うん、好き!」と返信する。
すぐに返ってきた「俺も」という返事に、私はチョッパーありがとう、と心の中でお礼を言った。

それから、なぜか彼は私にちょくちょくメールをくれるようになった。
学校ではほとんど話さない。何人かで雑談している時に、少し言葉を交わすくらいだった。晃のまわりにはいつもたくさんのクラスメイトがいて、一応クラスの中心のカーストにはいるものの、そんなに目立たない私との接点はほとんどなかった。

メールの内容はいろいろだった。野球部の練習のことだったり、テレビ番組のことだったり。今思えばなんてことはない、くだらない内容だ。だけど、私にはそんな何でもないやり取りを晃とできることが、とてもうれしかった。

一緒にアドレスを交換したはるかにそれとなく聞いてみても、どうやら晃からのメールは届いてないらしい。

私だけなのだろうか。どうして?
考えるほど、彼の事が気になった。

そわそわして、何も手につかない。一時間前に送ったメールに返信が来ないと、何度もメールセンターに問い合わせをした。どんな絵文字がいいだろうかと悩んで、数行を打つのに何十分もかかった。

そうか、私は「恋」をしているんだ。

そう気が付くと、世界は虹色に輝きだした。

そのうち、私の図書委員の当番と晃の練習が重なる日には、自転車置場で待ち合わせて一緒に帰るようになった。同級生に気付かれないよう、偶然を装って。

二人で公園に寄り道して、おしゃべりをすることもあった。ローソンでパピコを買って、二人で半分こにして食べた。ブランコと砂場しかないしょぼい公園だったけど、晃と一緒というだけでディズニーランドよりも楽しかった。遅くなると、決まって晃は遠回りをして、家まで送ってくれた。

ほどなくして、私たちは付き合うことになった。

今でもよく覚えている。

「明日ヒットを打ったら、付き合ってほしい」

県大会の最後の試合の前日、晃はそう言った。
なんならヒットを打てなくても付き合おう、という言葉が喉元まで出かけて、ようやく飲み込む。今思えば、漫画の読み過ぎかよというかんじだが、その日の夜はドキドキしてほとんど眠れなかった。

ものすごく暑い日だった。私たちは制服にくそダサい学校指定の帽子をかぶって応援に行った。彼の打った白球が青空に飛んでいったのは、三回の裏。ホームランだった。
応援席にいたはるかと私は、歓声をあげて抱き合う。晃はゆっくり塁をまわって、こちらを見上げて笑った。その顔がまぶしくて、なぜだかちょっと涙が出た。

だけど結局ヒットはそれだけで、試合はコールド負け。そのまま、晃は野球部を引退した。

こうして付き合い始めた私たちだったが、ほどなくして別れることになる。

受験生には、恋愛している暇なんてない。学年全体にそんなムードが広がっていて、公に付き合っているカップルに陰口を言う人もいた。だから、誰にも気付かれないうちに別れなければいけないような気になった。
今思えば本当にくだらないけれど、当時の私はロミオと引き裂かれたジュリエットばりに落ち込んだし、めちゃくちゃ泣いた。

そして彼は地元の大学に、私は東京に進学した。
会うこともほとんどなくなって、最後に見たのは成人式。それも、遠くから姿を眺めただけだ。相変わらず、彼の周りにはたくさんの人がいた。


そうか、晃、結婚するのか。

はるかがほら、と差し出したインスタグラムの画面には、仲の良さそうな男女がうつっていた。あの頃の面影を残した晃は、それでもずいぶん太っていて、あごヒゲを生やしている。着ているのはスウェットで、田舎のドンキにいそうな感じだ。
隣でピースをする女は、控えめに言って、ダサくてブスだった。

「地元の看護師だって」

はるかはそう言って何やら説明をしたけれど、私はもうどうだってよかった。晃のとなりにいる女にかわりたいとも思わなかった。

こうして、過去の恋さえも死んでいくのだ。歳をとると。

しばらくぼんやりしているうちに、はるかはもう別の話を始めている。何でも、丸の内のバーが一押しの出会いスポットらしい。

「いいね、今度行こうよ」と笑って、溶けた氷で薄まったモスコミュールを飲み干す。

次は私もワインにしようかな。そう言うと、「二人でボトルあけちゃう?」と、屈託のない顔ではるかが笑った。

どうやら、夜はまだまだ続きそうだ。

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