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夢にも思わぬカンボジア



都内在住34歳、独身、彼氏なし。


ごく普通の派遣社員だった私がまさか3ヶ月後、カンボジアに移住するなんて夢にも思っていなかった。

30を過ぎた頃から留学やワーホリで海外暮らしを経験している知り合いが増えた。同僚は会社を辞めてロサンゼルスにインターンで行くと言う。

いいなー、カッコいいなー、アメリカ西海岸。20代の頃は全く海外に反応を示さなかった私が徐々に興味を持ち始める。

はたまた、地元の友人たちは次々と結婚、出産、マイホーム購入。実家に帰るたび祖母から「良い人はいないのか?」と聞かれるようになる。

この歳になっても独り身。何のしがらみも無い。それならば一度きりの人生、まだ見たことのない世界を見てみたい。むしろ、ここまで独身なことに何かしらの意味があるような気がしてくる。

そんな私にチャンスが訪れる。それは、カンボジアでの日系ホテル立ち上げプロジェクトだった。

このプロジェクトに関わり始めたのは新緑が気持ちの良いゴールデンウィークの頃。当初、私は日本に住みながら関与する予定だった。ところが、どうにもこうにも現地に行かないことには内容的に難しかった為、移住という決断に至った。


大学の卒業旅行で日本人だらけのグァム島に行って以来、12年ぶり二度目の海外。カンボジアどころか、東南アジアにすら行ったことがない私のカンボジア情報と言ったら「世界遺産アンコールワット」位しか持ち合わせていなかった。

行く前に周囲から「治安は大丈夫なの?」「衛生面が心配」などと言われる。そう言われましても、行くと決めてしまったので後には引けない。ということで、気合いを入れてアホみたいに馬鹿でかいスーツケースを購入。

慣れないパッキング。飛行機の預け荷物の重さ制限を余裕で超える。勘の良い方ならお気付きかも知れませんが旅行自体、苦手科目です。心配性の為、ついつい荷物が多くなってしまう。

そんな私がどうにかこうにかして、ようやく渡航。バンコクを経由してカンボジアに辿り着いた。渡航前からYouTubeで現地の様子は予習していたが、実際にこの土地に自分の足を踏み入れた瞬間の感情は形容し難い。


「…ここが、カンボジアか。」


自分の表現力の無さに絶望する。ただ、初めて見たカンボジアの空、妙に低い雲が印象的だったのを今でもよく覚えている。


到着して数日は渡航前から関わっていた現地に住む日本人やカンボジア人と初対面をし、レストランやバーなどへ連れて行ってもらい人生初カンボジアを楽しんだ。しかし、仕事で来ているのですぐさまホテル立ち上げの仕事に取り掛かった。


当然ながら暑いカンボジア。寒いより暑い方が得意な私。だがしかし、これが思っていた以上に体力を使う作業が続いた。更に一緒に来ていた立ち上げのリーダーとも、なかなか馬が合わない。。(その節はすみませんでした‥)

バタバタと渡航準備をし、飛行機に飛び乗ったはいいものの、疲れが溜まっていたこともあり、ふと気が付けば漠然とした不安に襲われていた。渡航前はあまり深く考えずに突き進んでいたが、急に怖くなってしまった。

「あれ?もしかしてカンボジア移住ミスった?」

「いやいや、そんなこと無いよ!」


自分で自分を励ます。いや、誤魔化すの方が正しいかも知れない。そんな日々が続き、カンボジアに到着して僅か2週間にして高熱に見舞われる。

これって何かの洗礼?日本に帰れってこと?カンボジア行くって決めたの、やっぱ間違ってた?そんな事を窓の向こう側で寝ている猫を眺めながらベッドに横たわり思う。このまま死ぬんかなーなどと大袈裟にもなる。

床に広げたスーツケースの上でこちらを見ているヤモリさんと「こんにちは」する。今ではもう慣れたが、この時は高熱で朦朧とする中、密室にヤモリと2人きりという状況に泣きそうになる。と言うか、ちょっと泣いた。


日本人の知り合いがお見舞いにフルーツ、冷えピタ的な物、SARS検査キットを届けてくれた。ん、SARS?いやいやCOVID-19では?そんな事ここカンボジアでは気にするに値しない。

とりあえずSARS検査キットを試してみる。はい、陽性。ま、SARSではないでしょうが、お大事にして下さいって事ですね。

そんな訳で異国の地で引きこもり生活スタート。

この期間はやたら日本のヤンキー映画ばかり観ていた。普段からヤンキー物が特別好きなわけでもないのに、あの時ヤンキー系を欲していたのは妊婦さんがやたら酢の物を欲するみたいなものかしら。いや、ただの現実逃避か。

この時に観た全てのヤンキー映画が兎に角泣けた。勿論泣ける内容だったから泣いた。でも、今の自分が置かれている状況に泣いていたのかも知れない。

ヤンキーさんの力を借りて自分の感情を涙という形にして表に発散させてもらったのだ。34にもなって海外にまで来て、一体何をやっているんだと虚しくなって、情けなくなって、泣いたのだ。


ベッドの上をぐるぐる回るファン。スマホの中の写真たちを見て黄昏ずにはいられない。

「あー、この時の自分はまさか数ヶ月後、カンボジアのベッドでうなされる事になるなんて夢にも思ってなかったなー」「あー、この時楽しかったなー」「日本のみんな元気かなー」「お母さんの手料理食べたいなー」「てか普通にマック食べたいなー」「なんでカンボジアにマック進出してないんだよーバカバカバカー泣」

そんな事を考えるか、ヤンキー映画を見るかの二択。誰かに電話でもしようものなら、きっと泣いてしまう。だから、この時私が頼ったのはヤンキーの皆さんだった。

徐々に回復し、発熱から10日後、ようやく復帰した。復帰初日は新メンバーを空港へ迎えに行き、そのまま歓迎会へ。これって私の復帰祝いも兼ねてくれてる?と勝手に思ったりしながら。

実は発熱直前にリーダーと衝突していた。幸い時間が空いていたのでそれほどの気まずさはなかった。ナイス発熱。

歓迎会1軒目がお開きとなり2軒目に移動した直後、狂ったように激しいスコールが降った。カンボジアは雨季真っ只中だった。外壁のないオープンな作りの店だった為、雨が入ってきたので奥の席へ移動。

「あ、やっぱここ本当にカンボジアなんだ。暫く引きこもっていたけど、今わたし日本に居ない、外国にいるんだ」と実感する。


翌日、新メンバーも加わって早速作業に取り掛かろうとしたところ、リーダーが「今日はアンコールワットに行きましょう」と言う。ついにこの時が来たか、アンコールワット様。


ここで突然だが話は20歳の頃に遡る。当時付き合っていた彼氏が所属していた地元のフットサルチームのメンバーの1人に、ずる賢くて口の悪いヤンチャな〝ほんちゃん”という男友達がいた。

ほんちゃんは、私の彼氏はきっと浮気するに違いないみたいな話をしてきた。最初は適当に聞き流していたが、あまりにもしつこかったので最終的に私は泣かされた。

あの頃の私はそれなりに可愛かったなと現在35の私は思う。今思えば、ほんちゃんの意地悪は好きな子にちょっかいを出す小3男子みたいな感じだった気がするのは私の思い違いだろうか。

そんなほんちゃんが大学4年の時にアンコールワットに行ったと話していた。あの意地悪ほんちゃんが、アンコールワットを観て感銘を受けたと言っていたのだ。

あんな意地悪で、平気な顔して嘘をつく男が、心を入れ替えてカンボジアから帰ってきたのだ。人にそんな影響を与えるカンボジアのアンコールワット。いつか私も絶対に訪れてみたい場所の一つだった。脱線したので話を戻そう。



私達は観光客がよく乗るトゥクトゥクではなく、3輪車と言われる地元の人が利用する小型車に中年男×2+中年女×1、ぎゅうぎゅう詰めでチケットセンターへと向かった。

チケットを購入し、再び三輪車に乗りアンコールワットに向かう途中、道端のおじさんに止めらる。何かと思えばチケットの確認だった。

カンボジア人は入場無料だが、私達が外国人フェイスだった為、止められ緩いチケット確認。そしてついに、世界遺産アンコールワット様とご対面。



ただならぬ厳かな雰囲気を感じつつ、これまで張り詰めいていた私の心と体が一気に解きほぐれるような感覚があった。

ー カンボジアへようこそ、よく来たね ー

誰からともなくジンワリ伝わるものがあった。

遺跡について全く予習もしていないし、日本語ガイドも手配しなかった。ただ黙々と観て回った。壁面に彫られた無数の人や動物、架空の生き物?のような物が私を待っていてくれたかのように、その時の私は勝手に感じ取っていた。


カンボジアに行くと決めてから、ずーっと張り詰めていた緊張と不安。この選択が正しかったのか、間違いだったのか、独り自問自答する日々。

東京で一人暮らしをしていたワンルームの部屋を引き払って、あらゆる物を処分してきた。一部の荷物は実家の小さな子供部屋に詰め込んできた。

期限切れになっていたパスポートも取り直した。いつ帰って来れるか分からないので、取り敢えず大量の常備薬と日焼け止め、基礎化粧品を買った。レジでこの人どうした?みたいな感じでお会計をされる。同僚達にはカンボジア行ってきます!と言って仕事を辞めてきた。

34歳の夏、私は人生の大きな選択をした。

この先も人生の選択をする場面が私を待っているだろう。ただあの時、アンコールワットでようこそと言ってもらえた気がしたのは、私自身が自分を肯定しようとする気持ちがあったという事の現れだ。そう気付かされたのだ。

私は元々カンボジアに何の縁もゆかりもなかった。たまたま関わったプロジェクトがカンボジアビジネスだった。本当にたまたま。

あれから1年が経った今。アメリカ西海岸に憧れていたミーハー女は、カンボジアのお洒落カフェでこの執筆を書き終えようとしている。もうすっかりカンボジア愛に満ち溢れた女である。だがしかし、後半の肩書きは変わっていない。

カンボジア在住35歳、独身、彼氏なし。


#あの選択をしたから

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