見出し画像

不登校のはじまり

学校に行きたくない、、、。

無表情で訴える息子。


ついに、きたか。なんとなく、予感はしていました。

1ヶ月前から、青白い顔で言葉少なく、淡々と朝過ごしていたから。

きっかけは、部活動の先輩からの嫌がらせ。

明らかな悪意をあまりぶつけられたことのない息子にとって、ナイフを刺されるくらいの衝撃だったのかもしれません。

いいよ。休もうか。そう伝えました。

その時は私も仕事が忙しく、引っ越しも重なり、余裕ない日々を送っていました。

その中で淡々と文句も言わずに学校と部活動に向かう息子。声がけはしていましたが、すんなり話す時期ではなく。

背中から何かを訴えているように感じていました。でも、親ができることは家が安心できる居場所であるようにしておくこと。

無理に蓋をこじ開けずに、私のできる事を。そう思って見ていました。


きっかけを話してくれたのは不登校になって一ヶ月過ぎた頃でした。

周りの雰囲気を繊細にキャッチしてしまい、誰よりも気をつかってしまう。とても優しい部分がある息子。

ハラハラと涙を流しながら言葉を詰まらせる息子。まだ記憶のループにいるんだな。苦しんでるんだな。なんとも切ない気分になった事。でも、話せてよかった。話すことは自分の心の中から手放すことにもなるから。

それでも、思い出すと今でも胸が抉られるような感覚になります。母親としてしてあげられる事。まだまだあったかなぁ。思わずにはいられません。


些細なきっかけに過ぎない。弱い。優しすぎる。色々耳にしました。

他人からね。

揺らぎ揺らぐ思春期。一度自分を見失うような感覚を覚える時期だったのを思い出します。そんな繊細な時期を見守る大人、お友達。とても大切ですよね。


繊細な事、優しいことは悪くないはずなのに。どうしてこの世は、そんな人達が生きにくいんでしょうね。

大人の意識改革がまず先だわ。と思ったのが大きかった。


耐えろ、我慢しろ。努力してなんぼ。戦後間も無くはそうだったのかもしれない。じゃないと今の経済的な発展もなかった。でも時代は変わってる。子供達は魂レベルで私とは違うと感じることが沢山あります。

昭和、平成を経て、今は令和。


まずは私自身の意識改革を心に決めたのでした🌱✨

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?