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p.8【カンボジア】美術教育の現状

今日は私が大好きな国、カンボジアの教育、特に美術教育に関するお話を書きたいと思います。

私のnoteで幾度となくお話していますが、1970年代のポルポトらによる知識人虐殺によって、画家や教師が殺害されました。その影響で、カンボジアの初等教育における美術教育は、文化省によって定められたカリキュラムの存在はあるものの、日本のように、実際に資格や経験等をもっている人が、生徒に美術を教えているわけではありません。また、カリキュラムとは別の内容が教えられてしまっている現状もあります。

また、カンボジアには、クメール美術とよばれるヒンドゥー教と仏教が混ざり合ったような美術が存在します。アンコールワットもクメール美術の1つです。とても美しいですよね。

しかし、カンボジアでは美術教育が十分ではないという現状があります。そうなれば、クメール美術の保存は難しく、希薄化していく可能性があります。
ここからは、美術教育に関する面白い研究を紹介します。(私が登壇したINTER DESIGN FORUM TOKYO 2020の1年前、INTER DESIGN FORUM TOKYO 2019に登壇した先輩、清水さんという方の研究です。)

それは、カンボジアのとある小学校の生徒300人(1〜6年生)に絵の具、筆、パレットを渡して、「私の思い描くアンコールワット」というテーマのもと、絵を描いてもらったというもの。

しかし、アンコールワットを知らない、見たことがないという生徒が多いそうで、カンボジアの国旗で見たとか、メディアで数回見たことがあるとかというレベルで、アンコールワットを具体的には覚えている、知っている生徒はほぼいなかったそうです。
この研究の結果としては、1〜6年生の描いた絵に技術的な差異が見られなかったこと、記号的な絵が多かったということなどが挙げられます。

6歳も年齢が離れれば、絵には技術的に差が見られると思いますが、カンボジアでは差が見られなかった。このことから、美術教育の大切さがわかります。
また、記号的な絵が多かったというのは、アンコールワットを描くときに三角を三つ描くだけというものが多かったということです。


つまりはこういうこと↑

美術教育は、子供たちの感性や表現力を磨いたりと、とても重要な教育手法の1つだと思います。また、美術教育を疎かにすれば、カンボジアの美しいクメール美術を失うことに繋がります。

しかし、カンボジアには、美術教員の不足、美術教育が重要視されていない、そもそもの画材を調達するのが難しいなどの問題点があります。
美術教員が不足しているならば、オンラインで他国の美術教員が授業しては?絵の具が足りないなら、カンボジアの大自然から採取した草花から自然素材の絵の具を作ってみては?と思います。可能性は無限大ですね。

そんな私も、実は小学生の頃からずっと絵画教室に通っていて、水彩はもちろんですが、油絵やガラス絵なんかもやっていました。(実は、世界規模のコンクールで賞を頂いたこともあります。当時は、結構真剣に自分は美大・芸大に進むと思ってましたし、武蔵美とか金美とか本気で憧れてました笑)

私にとって、絵画というモノは、今の私の感性をだいぶ作り上げてくれたものだと思いますし、今でも絵を描くことがストレス発散に繋がったり、友達に頼まれて絵を描いたりしています。絵を描くことで表現の幅が広がったり、絵画コンクールの表彰式では他の入賞者の絵画も目にしますよね、私は結構それから、インスピレーションを受けたり、刺激を受けたりしてました。

だから、私にとって美術はとっても特別なもので、小中学生の時なんかは、図工や美術の授業が1番の楽しみでもあったので,カンボジアの子供たちにも絵を描く楽しさや、そこから得られるものを感じて欲しいなと強く思います。

いつか、カンボジアに行ける日を夢見て、今できることを精一杯して、知識を最深化させておきます!

今日はここまで!
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。



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