誰かに「やさしいじぶん」になる
「聖母みたいな人ってさ、本当にこの世におるんかな?」
そんな言葉が目の前の人間からぽろりまろび出た時、私の心がざわざわっ、とした。
***
先日、久方ぶりに双子の妹と話をした。
私が地元を離れて関東に来てからというもの、妹とはあまり話をする機会がなかった。
しかし、この度晴れて妹も東京へとやってきたということで、2人でご飯でもどう?なんて流れになったのである。
「どしたん、いきなり。笑」
いきなり何を言い出すのかと少し構えたりもしたが、妹はこう続けた。
「いや、聖母みたいな人…こう、『よしよ〜し^^』みたいな感じでいつも包み込む?みたいな人ってさ、本当にこの世におるんかなって笑」
そんなに優しい人間になるなんて、私には絶対に無理すぎる、って思ってさ。と、妹は後に続けた。
***
「聖母みたいな人」
その形容詞が象る人物像はきっと、人それぞれなのだろうと思う。
誰かのことを思い浮かべる人もいれば、理想の人物像を想像する人もいるだろう。
今回の私の解釈は、こうだ。
聖母みたいな人:相手に対し常に優しく、相手をいつも温かく包み込み、癒せる人物。相手の全てを受け止めることができ、全てを"赦せる"人物。
私の中の結論としては、こんな人はきっと、いてもごくごく少数である。
むしろ、いないと言っても過言ではないかもしれない。
しかし、それは全ての人に対してそうあれる人、と言う意味で、だ。
誰しも、万人に優しく誰も彼もを優しく包み込むようなことをしていては疲れてしまう。
いや、それを成し遂げることができる人こそ、真の"聖母"なのだが。
しかしながら、どんな人間であれ、自分の本当に大切な人に対してはありったけの真心を込めて接することができると思うのだ。
そして、そんな風に"接したい"と思える人こそ、私は「運命の人」だと思う。
これを読んでくださっているあなたは、自分の運命の人に出逢ったことはあるだろうか。
私の運命の人の話をするのはまた今度にしておくとして(そんな需要はないと思われるが笑)、唐突に運命とか乙女なこと言ってんなよ、キモチワルイ。そう思う人も多いだろう。大変申し訳ない。
ただ、
全てを受け入れて包み込んであげたい。
弱い時は風除けを、強い時は追い風を。
いつもいちばんの味方でいたい。
そんな風に思える人に出逢った時、人間は本当に"聖母"のようになれる。私はそう感じたのだ。
それはもう、魔法にかけられたかのように。
温かく包み込んで、その心をぎゅっ、と抱きしめてあげたい。
不思議なくらい、自分の心が広く、深くなっていくのである。
全ての人に優しくなくていい。
あなたの本当に大切にしたい人、いちばん近くにいてほしい人、いちばん近くにいたい人。
自分から離れてほしくない人。
そんな人を見つけた時、みんな全力で"聖母"になればよいのだ。
「やさしいじぶん」でいる。
それは、難しいことのように思えて、実はとても簡単なこと。
本当に大切なひとを、心から想い続ける。
そうすれば誰だって、驚くほど人にやさしくなれるのだ。
「そんなの嘘だ。」
そう思っているあなたはきっと、まだ。
"あなたの運命の人"に、出逢ってないのかもしれない。
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