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なぜ僕は瞑想するのか① ~瞑想との出会い~

なぜ僕は瞑想するのか。

今回は、僕の瞑想との出会いから、瞑想を続ける理由まで、個人の経験をもとに瞑想について深くお話をします。
この記事を読んで、より多くの人に瞑想を知って興味を持っていただければ幸いです。

瞑想の効果についてはネットで検索すれば客観的なデータとともにいくらでも出てくると思います。そのため、ここでは僕が直接実感した瞑想の効果を、あえて主観的な視点で書いてみたいと思います。
「発達障害に効く」と言われ、また「マインドフルネス」として西洋医学にも取り入れられている瞑想。
「生きづらさMAX人間」の僕が瞑想に出会って、どう変わっていったか、できるだけ自分の言葉を使って書いてみます。

今回も、前半と後半と分けてみました。前半では瞑想との出会いをメインに、後半では瞑想で実感した効果についてお話します。少し長くなるかもしれませんが、なるべく平易な言葉を使って書きました。ぜひ、最後までご覧ください。


1.スリランカでの出会い


僕の瞑想との出会いは6年前でした。

僕は学生のときからバックパッカーとして海外を貧乏旅行するのが好きでした。社会人になってからも長期休みがあるとバックパック1つで海外に出かけていました。
6年前に僕はスリランカを訪れました。スリランカと言えば、インドの南に位置する小さな島国。国民の顔もインド人に似ているためヒンドゥー教の国かと思いますが、実は約70%が仏教徒を占める仏教国。しかも、上座部仏教が主流です。上座部仏教は、東アジアで一般的な大乗仏教と比較すると、修行を重んじる流派であり、ブッダの教えにより近いと言われます。

スリランカの世界遺産都市キャンディには、上座部仏教の聖地とされるダラダー・マーリガーワ寺院(通称:仏歯寺)という寺院があります。ここにはブッダの犬歯が納められていて、多くのスリランカ人が参拝に訪れます。
僕はそれまでイスラム教国ばかり旅していたことが多く、仏教にさほど興味があったわけではなかったので、「名所だからなんとなく出かけよう」という軽いノリでこの寺院を訪れました。

しかし、ここの厳かな雰囲気に衝撃を受けます。現地の仏教徒はみな白い装束に身を包み、ブッダの歯が納められている仏壇に大勢が詰め寄せています。まるでメッカのガアバ神殿のような様子です。素肌を出した格好での礼拝は禁じられていたため、ハーフパンツを履いていた僕は近くの布屋で布を買って身体に巻き付け寺院に入りました。寺院では参拝にきた仏教徒でいっぱいでした。そして、寺院の中の少し開けた場所では、座って目を閉じている人を数多く見かけました。

僕は、近くにいた英語ができたスリランカ人の僧侶に声をかけ、「彼らは何をしているのか」と聞いてみました。「Meditation.(瞑想だよ)」と彼は一言答えました。そして、その場でやり方を教わりました。
「目を閉じて、呼吸や自分のお腹の動きに集中して、心を静めるだけだよ」と彼は言いました。

見よう見まねでそこに座り、目を閉じて、自分の呼吸に集中してみました。雑念が浮かんできたら呼吸に注意を戻します。これを何度も繰り返していくと、そのうちに雑念が浮かぶ頻度が減っていきます。10分くらい続けると雑念が浮かんでもすぐに気づけるようになり、次第に心が落ち着いてきました。参拝客のがやがやした声が、寺院の講堂に響き渡り、とても静かとは言えない状況にも関わらず、心はとても穏やかで何とも言えない安心感に包まれました。

これが私の初めての瞑想体験です。この時は、瞑想の目的や効果を全く知らず、瞑想が何なのかすらわかっていませんでした。しかし、実際にやってみて深い安堵感と満足感で心がいっぱいになり、この時から私は瞑想に興味を持つようになりました。


2.瞑想の習慣化


寺院での瞑想体験とあわせて、ちょうどその頃読んでいた本に瞑想のことが書かれていることに気づきました。本のタイトルや著者は忘れてしまいましたが、日本の経営者が書いた自伝で、「瞑想を習慣化したら人生が好転した」ということが書かれていました。そして、私は瞑想のやり方について書かれた本を一冊購入して家でもやってみることにしました。

その時に買った本は、宝彩有菜の「どこでもできるはじめての瞑想」という本でした。この本は瞑想時の姿勢が図解されているため非常にわかりやすく、入門におすすめです。


さて、本を買った私は書かれている通りに忠実に手順を踏んでやってみることにしました。最初は雑念が浮かんでなかなか集中できず苦労しましたが、1週間くらい毎日続けると、雑念の浮かぶ頻度が減ってきました。そして、そのままもう1週間続けると、雑念が浮かばなくなりました。心が「無」になりました。

瞑想中のこの感覚は、日常生活では絶対に味わうことができない感覚です。一切の思考の明滅がなくなり、心が平穏で満たされます。形容しがたい至福感と恍惚感です。

この後もしばらく毎日欠かさずに瞑想を行います。仕事が終わり帰宅後に瞑想を行っていましたが、仕事であまりに脳が疲れている日だとなかなか集中できません。雑念が収まらないことも多々ありました。しかし、ストレス軽減に効果があると本に書いてあったため、めげずに毎日続けました。

ところが瞑想を開始してから半年間くらい経つと、仕事の都合で引っ越すことになり、この引っ越しがきっかけで瞑想をする習慣がぱたりと無くなってしまいました。さらに、新しい部署での仕事が激務すぎて自分に合わない仕事や職場の人間関係がストレスとなり、メンタルを大きく壊すことになりました。


3.再習慣化と現在に至るまで


月日は流れてメンタルが改善してきてから、瞑想を再び習慣化することにしました。ちょうどコロナ禍が始まり、家にいる時間が増えたためです。また瞑想は、日々のストレス軽減だけでなく、脳の構造を変えて忍耐力や感情制御力など実行機能を変えてくれるということを聞きました。そして、この先の人生でメンタルを壊すことのないよう、瞑想を通じてメンタルを鍛えることを目標としました。

再習慣化からそれから2年半が経ちますが、ほぼ毎日欠かさず瞑想を行っています。瞑想には座って行う瞑想だけでなく「歩行瞑想」や「ボディスキャン瞑想」など様々な種類があるのですが、僕は色んな瞑想を生活に取り入れています。

また、瞑想と合わせて原始仏教についても学習も行っています。仏教における瞑想修行の位置づけやブッダの教えを細かく学ぶことで、仏教徒が目指す仏教の方向性や目的についても学びました。また、瞑想の効果を脳科学や臨床心理の観点から説明した良書も何冊もあります。色んな本を読み漁り、瞑想の実践だけでなく瞑想について理解を深めていくことで、まさに「知行合一」(知識と行為は一体であること)の実現を目指しました。

今は、瞑想やブッダの教えを人生に取り入れ始めています。瞑想は私の人生を変えてくれるツールであり、私の人生はブッダの教えと共にある、と胸を張って言うことができます。瞑想の効果をそのレベルまで実感することができました。初期に読んだ日本人経営者の本で書かれていた「瞑想の習慣化は人生を好転する」は、まさに私にも通じることでした。

ちなみに、瞑想をやっていなかった空白の数年間は、会社の寮に入居していた時期です。前職が物流企業だったのですが、寮が会社の倉庫の上にあり24時間騒音が酷く、瞑想できる環境ではありませんでした。(今考えたら、とんでもないQOLの低い寮ですよね。社員を大切にしていないことがよくわかります。)
もし、その間も瞑想を続けていたらメンタルを壊すがなかったとつくづく考えてしまうのは事実です。瞑想に必要なのは、習慣化するスキルと合わせて、静かな集中できる環境です(無音でなくても構いません)。

気になる瞑想の効果は次回の記事でお話することにしたいと思います。特に、私の記事を読んでいる皆さんは発達障害で悩んでいる方が多いと思いますので、発達障害の特性が瞑想によってどうやって軽減していったのかということに焦点を当てていきたいと思います。

それでは、次回の記事にご期待ください。
今回も最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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