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どうか生き延びて

 今日は高校を卒業してからのことを書いていこうと思います。重い話になるので無理だと思ったらすぐにこのノートを閉じてください。

 高校生の頃の記憶はほとんどありません。どうしようもないクズ学校だったからです。生徒も教師もバカを通り越してクズばかりでした。はっきり言ってこの三年間は時間の無駄でした。ここで文字数を割くのも勿体無いのでこれ以上は書きません。

 高校を卒業して東京の専門学校に行くために上京しました。今では死語になったマルチメディア系の専門学校です。でもその専門学校は三ヶ月くらいで辞めてしまいました。なぜ辞めたのかというと、中学生の頃から続いていた過緊張、対人恐怖の問題があったと思います。それと昼間は学校に行き夜は警備員のバイトというハードな生活に身体がもたなかったのもありました。

 専門学校を辞めてからは警備員のバイトに専念していたのですが、それも一年半くらいで辞めてしまいました。上手く説明できませんがその頃の自分の奥底には深い深い闇が横たわっていたと思います。平和ボケという言葉では説明しきれない破滅願望。性的コンプレックス。そして寂しかったんだと思います。自分がどういう人間で、なぜここにいて、何を目指していて… 何もわかりませんでした。本当に信じてもいない受け売りを押しつけてくる大人たち。本や映画、音楽などで得た知識で鎧を固め、自分というものが全くなかったと思います。嘘で塗り固められた自分。それに気づいた時はショックでした。そういう自分を破壊してやろうと思いました。破滅へのカウントダウンが始まりました。今、思うと思春期的な暗黒時代でした。自分の奥底でそういうドロドロとしたものが肥大化していきました。

 警備員の仕事も出来なくなり、中野の四畳半のアパートで蛆虫のような生活が始まりました。鬱で身体が動かなくなり毎日のようにコンビニのお弁当を万引きして食い繋ぎました。ゴミも捨てられなくなりゴミの中からは本当に蛆虫が湧いていました。部屋にあるものは全部売りました。その頃は鬱病なんていう言葉があることも知らず自分はダメ人間なんだと思っていました。漠然とした寂しさからダイヤルQ2にハマり性的コンプレックスから大きな借金もしました。本当に八方塞がりでした。

 両親も読んでいるこのnoteでどこまで書いていいのかわかりません。特に性的なことは… 以前、回復施設のフォーラムでスピーカーをした時に話したことがあるので両親も知っているかもしれませんが…

 僕は同性愛者ではないのですが新宿二丁目で体を売って生活していた時期があります。自分にとってそれは自傷行為でした。ゲイでもないのに同性に体を売るということは最大の自傷行為だと思ったのです。そこまでして自分を壊したかったのです。この時期のことは詳しく書けませんが、お客には日本人の大半が知っている芸能人もいました。

 極端から極端に走ることで自分の中の過緊張を誤魔化していたのだと思います。昔から僕は極端で過激なものが好きでした。血まみれのプロレス、F1、極端な音楽。父さんとじいちゃんの怒鳴り合いの喧嘩を二階で怯えながら聞いていた時のとてつもない恐怖と緊張感をそういった過激で極端なもので誤魔化していたのかもしれません。新宿二丁目で身体を売ったのも自分を破壊するため、そして過剰な緊張感を誤魔化すためでした。

 そんな時に覚醒剤に出会いました。僕の生活は覚醒剤をやる前からそんな感じで破綻していたのですが… その頃はお金もありませんでしたし薬を手に入れる元気もなかったので、その時には数えるほどしか覚醒剤はやりませんでした。そんなことをしているうちに何もかも破綻して両親に実家に連れ戻されました。強制送還でした。

 この後も七転八倒の苦しみと人生は続いていくのですが、この後はそんな八方塞がりのどん底からどのようにして回復、再生、成長していったのかを織り交ぜて書いていこうと思います。

 今回はなんの救いもないような記事でしたが、僕が本当に伝えたいことはこの後なんです。今回の記事にウンザリしてもう読んでいただけないかもしれませんが、今、どん底にいて八方塞がりに感じている人がいたら、どうか生き延びてください。貴方と僕は状況もバックグラウンドも違うかもしれません。でも人はどんな状況からでも生まれ変わることができます。人生を生き直すことができます。そんな僕の言葉は一方通行に貴方の横を通り抜けて行くかもしれません。けれど少しでも何かを感じてもらえたら、僕の経験が何かの役に立つのなら、僕は書き続けます。

 どうか生き延びてください。

 読んでいただきありがとうございました。

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