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美の基準

「フランス人が本当におしゃれかどうか確かめたい」
そんな動機を綴り、かつて私はワーホリに応募し、そしてあえなく落選した経験がある。その後留学という形でパリに住みながらも「果たしてフランス人はおしゃれなのか?」と考え続けていたが、「結局の所、スタイルが良いから何を着ても素敵に着こなせる」という安易な結論に至っていた。この結論も間違いではないと思うが、二月に久し振りにパリを訪れ、「パリジャン、パリジェンヌはやっぱりおしゃれだな(私も頑張ろうっ!)」と強く思い、そのおしゃれの所以を改めて考えてみた。着ている服装自体がおしゃれな人ももちろんいるが、上質かつ高級そうなアイテムで着飾っているとかではなく、それよりもやはり彼らの体形(これはやはり否定出来ない)、立ち居振る舞い、そして何より彼らの醸し出すムードがおしゃれなのだという気付きを得た。(矛盾するようだが、人種民族問わずどんな体型でも、服を素敵に着こなせる人は割といる)。そしてパリからロンドンに渡ってからも、若干ムードは違うが「ロンドナーもおしゃれだな」と図らずもヨーロッパ美至上主義的な思考に染められて行った。

 着ている物が着物ならまた違うのだろうが、ヨーロッパ発祥の洋服で勝負する際、やはり日本人に分が悪いのは致し方ない。そして「美しさの基準」すら欧米から持ち込まれた物であって、私自身も三つ子の頃から相当に植え付けられているはずで、これは正直もう抗えないものだと思っている。
また日本の某化粧品メーカーがアンコンシャスビューティバイヤス(無意識的に持つ美への思い込みや偏見)を正すプログラムを提供しているが、長きにわたって「美」や「美しくいる/する」をマーケティング/プロモートして来た企業であり、化粧品を売る立場であることからも、たとえ「自分らしく」なんていう枕詞が付いたとしても「綺麗でいる」ことを前提とし、それを正当化せざるを得ないのではないだろうかと、このプログラムの「正す」ということについて考えてしまう。
 さらに数年前からファッション業界は「ボディ・ポジティブ」が脚光を浴び、プラスサイズモデルがランウェイに登場する。(過度なダイエットをせずとも、自然とガリガリの人もいるのにマイナス方向はあまり注目されないのが不公平だが)このボディポジティブのコンセプト「自分の体型をありのままにポジティブに受け入れよう」も「なんでポジティブじゃないといけないのか?」「体にそもそもフォーカスする必要あるのか?」という批判を浴びた結果、「ボディ・ニュートラル」という物が生まれたそうな。確かに、と納得もするけれど、この「もう何も言えない」風潮も息苦しい。全てに「ただ私が思うだけですけど」という前置き(「知らんけど」も代用可)をして、防御すべきなのだろうか。

 今回の旅では、立ち寄った本屋ではアフリカ系留学生(多分)と、ユーロスターでは隣になったインド系おじさん(お酒臭い人だと思っていたら「この列車ビール臭いね、きちんと掃除されていないね」と話し掛けられ、結局とても親切な方でした)と、さらにカフェでは、出くわした日本人プログラマーと不意に話しをする機会があり、(お一方は一目惚れレベルにイケメンだったこともあり)そんなコミュニケーションの垣根の低さみたいなものも海外の魅力だなと、ようやっと島国から這い出た私は楽しく感じた。

 

「ただ私が思うだけですが、やっぱりパリとロンドンは素敵な街です。人もおしゃれだし!」

相当に大きな太字フォントでこう書きたい、そんな気分です。


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